クシロキング
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1982年5月18日 |
死没 | 1996年12月 |
父 | ダイアトム |
母 | テスコカザン |
生産 | 上山牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 安部昭 |
調教師 | 中野隆良(美浦) |
競走成績 | 25戦7勝 |
獲得賞金 | 2億4740万6400円 |
クシロキングは日本の競走馬。主な勝鞍に天皇賞(春)、中山記念、金杯(東)がある。
目次 |
[編集] 戦績
1984年9月、函館競馬場でデビュー。 惜敗を繰り返したが、4戦目で初勝利を挙げる。 ひいらぎ賞(オープン)を2着とすると、次走で順当に自己条件を勝ち上がる。
その後は、クラシック路線を歩むも、皐月賞は13着に終わり、東京優駿は骨折のため回避した。 半年の休養を経て、復帰戦を2着と好走すると、900万条件を連勝して、4歳シーズンを終える。
年明け初戦となったのは、中山での金杯。このレースから鞍上は岡部幸雄に替わった。 53キロの軽ハンデを生かして、危なげなく差し勝ち、重賞初制覇を飾る。 続く目黒記念は3着だったが、中山記念はトウショウペガサスにクビ差競り勝つなど、本格化を遂げていた。
この年の天皇賞(春)は、前年の2冠馬ミホシンザンが骨折で離脱したため、主役不在という前評判だった。 その中で、クシロキングは3番人気。これまでの実績から距離不安が指摘されていたためである。 しかし、後半勝負に賭けて、実質マイルの競馬に持ち込んだ名手岡部の完璧な騎乗が光り、クシロキングが戴冠を果たした。
この後のクシロキングは、天皇賞で燃え尽きてしまったかのように大敗が続いた。 6歳の春には、中距離重賞で勝てないまでも好走が続き復調気配を見せたが、GIでは連覇を狙った天皇賞(春)の5着が唯一の掲示板入りだった。 そして、この年の有馬記念でメジロデュレンの9着に敗れたのを最後に引退することとなった。
[編集] 引退後
引退後は、馬主の個人所有という形式で、三石町の大塚牧場で種牡馬入りするが、種付け頭数が集まらず、目立った活躍場は出せなかった。 1995年には種牡馬からも引退。同年5月に乗馬として山梨県の風林ファーム移ったが、1996年12月に放牧中の事故で脚を骨折。重傷であったため、安楽死処分となった。風林ファームはその直後に閉鎖されたことから、実際は処分されたという噂が立っている。
[編集] 年度別競走成績
1984年 (5戦1勝)
1985年 (6戦3勝)
1986年 (8戦3勝)
- 1着 天皇賞(春)(GI)、中山記念(GII)、金杯(東)(GIII)
1987年 (6戦0勝)
- 2着 アメリカジョッキークラブカップ(GII)、大阪杯(GII)
[編集] 血統表
クシロキングの血統 プリンスビオ系/Fairway4×5=9.38% | |||
父
*ダイアトム Diatome 1983 黒鹿毛 |
Sicambre 1948 黒鹿毛 |
Prince Bio | Prince Rose |
Biologie | |||
Sif | Rialto | ||
Suavita | |||
Dictaway 1977 黒鹿毛 |
Honeyway | Fairway | |
Honey Buzzard | |||
Nymphe Dicte | *ダイオライト | ||
Nanaia | |||
母
テスコカザン 1977 鹿毛 |
*テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Suncourt | Hyperion | ||
Inquisition | |||
ハナカンザシ 1969 栗毛 |
*ソロナウェー | Solferino | |
Anyway | |||
*エスタブリッシユメント | Worden | ||
*ストーミーセツシヨン F-No.1-w |