ケン・モッカ
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ケン・モッカ(Ken Macha, 1950年9月29日 - )は、アメリカペンシルベニア州出身のプロ野球選手、メジャーリーグ監督。
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[編集] 来歴・人物
ピッツバーグ大より1972年のドラフトでパイレーツより、6位指名を受け入団。その後エクスポズ、ブルージェイズを経て、1982年、中日ドラゴンズに入団。3番サードとして中日在籍4年間のうち、3回3割を越える打率を残し、円熟期の田尾安志・平野謙・谷沢健一・大島康徳・宇野勝・中尾孝義らとともに、恐竜打線と呼ばれる打線の一員として活躍する。1985年引退。選手・ファンからも信望が厚く、引退試合では選手から胴上げされた助っ人外人としても有名。
帰国後はマイナーリーグ監督・コーチを経て、2003年からオークランド・アスレチックスの監督をつとめる。3年契約終了後の2005年のオフシーズンには再契約が難航し一時は退団が発表されるが、その後契約合意がなされ2006年からも指揮をとることとなった。しかし、この年、3年ぶり自身2度目の地区優勝の好成績を上げながら解任された。この影響で、同年の日米野球ではMLBチームの指揮を取ることが予定されていたが、レッドソックスのテリー・フランコナ監督に代わると発表された(後にフランコナも入院したため辞退。サンディエゴ・パドレスのブルース・ボウチーが監督となった)。2003年にも東京ドームで予定されていたシアトル・マリナーズとのMLB開幕戦がイラク情勢の悪化で中止となってしまったため、結局監督として来日する機会を2度も失ってしまうこととなった。
[編集] 所属球団
[編集] メジャーでの通算成績
[編集] 日本での年度別成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982年 | 中日 | 130 | 483 | 57 | 150 | 20 | 2 | 23 | 76 | 1 | 1 | 3 | 51 | 74 | .311(5) |
1983年 | 中日 | 111 | 389 | 40 | 110 | 16 | 1 | 15 | 45 | 0 | 0 | 3 | 35 | 57 | .283(24) |
1984年 | 中日 | 130 | 465 | 71 | 147 | 25 | 1 | 31 | 93 | 1 | 1 | 2 | 62 | 54 | .316(8) |
1985年 | 中日 | 102 | 362 | 46 | 109 | 20 | 2 | 13 | 54 | 4 | 0 | 1 | 49 | 40 | .301(14) |
通算成績 | --- | 473 | 1699 | 214 | 516 | 81 | 6 | 82 | 268 | 6 | 2 | 9 | 197 | 225 | .304 |
[編集] タイトル・記録
- オールスターゲーム選出:1回(1982年)
- 5試合連続本塁打(1984年5月27日-6月2日)
[編集] 監督としてのチーム成績
年度 | 年度 | 順位 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | チーム本塁打 | チーム打率 | チーム防御率 | 年齢 | 球団 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | 平成15年 | 西1位 | 162 | 96 | 66 | .593 | 176 | .254 | 3.63 | 53歳 | オークランド・アスレチックス |
2004年 | 平成16年 | 西2位 | 162 | 91 | 71 | .562 | 189 | .270 | 4.17 | 54歳 | |
2005年 | 平成17年 | 西2位 | 162 | 88 | 74 | .543 | 155 | .262 | 3.69 | 55歳 |