ジュリアス・カッチェン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
ジュリアス・カッチェン(Julius Katchen, 1926年8月15日 - 1969年4月29日)はアメリカ合衆国のピアニスト。
ニュージャージー州ロング・ブランチ出身。14歳になるまで、モスクワ音楽院やワルシャワ音楽院の教師であった祖父母に音楽を学ぶ。10歳でモーツァルトのニ短調協奏曲(K.466)を弾いてデビュー。その演奏を聴いていたオーマンディに招かれ、ニューヨークでフィラデルフィア管弦楽団と共演する。
ハヴァーフォード・カレッジに進学して哲学を専攻、1946年に、在籍わずか3年で首席で卒業した。それからパリに行き、ユネスコ国際フェスティバルにアメリカ合衆国代表として出席、フランス国立放送管弦楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲《皇帝》を共演した。1947年の春にヨーロッパ各地を廻り、ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、パリ、ロンドン、ザルツブルクで演奏活動を行なった。その後はパリに永住することを決意する。「アメリカのピアノ界は、音楽学生同士の凭れ合いや馴れ合いが根底にある。それが嫌だ」といった意味の発言をしている。
1968年12月12日にロンドン交響楽団とラヴェルの《左手のための協奏曲》を共演したのが、最後の公開演奏となった。カッチェンは癌に侵されていて、翌春、帰らぬ人となった。
演奏会ピアニストとしての活動が長かったが、短い生涯の間に、ブラームスのピアノ独奏曲とピアノ協奏曲のすべてを録音に残した。ほかにモーツァルトやラフマニノフ、室内楽演奏も得意としていた。パスカル・ロジェはカッチェンの唯一の愛弟子である。
カテゴリ: 1926年生 | 1969年没 | アメリカ合衆国のピアニスト | クラシック音楽関連のスタブ