チョン・ミョンフン
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チョン・ミョンフン(英語表記: Chung Myung-Whun, 1953年1月22日 - )はソウルで生まれた指揮者・ピアニスト。現在はアメリカ国籍。かつては「チョン・ミュンフン」と表記されていた。
チョン・ミョンフン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 정명훈 |
漢字: | 鄭明勳 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
チョン・ミョンフン |
ラテン文字転写: | Cheong Myeonghun |
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[編集] 来歴
7人兄弟の下から2番目として生まれた。幼い頃からピアノを学び、7歳でソウル市交響楽団(ソウル・フィル)と共演している。先に姉は渡米して勉強していたところ、1961年にシアトルへ家族ごと渡ることになる。1968年にマネス音楽院で学ぶ。1974年のチャイコフスキー国際音楽コンクールのピアノ部門第2位をスタニスラフ・イゴリンスキーと分け合う(1位はアンドレイ・ガヴリーロフ)。1978年にジュリアード音楽院で指揮の勉強を終えると、ロサンジェルス・フィルハーモニックでカルロ・マリア・ジュリーニのアシスタントとなり、1980年にロサンジェルス・フィルの副指揮者に就任。1984年ザールブリュッケン放送交響楽団の音楽監督に就任。この時期にヨーロッパを中心に幅広い指揮活動を続ける。1986年にヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」でメトロポリタン歌劇場デビューを飾っている。1988年にはイタリアにてプレミオ・アッビアティ賞を贈られ、アルトゥーロ・トスカニーニ賞を受賞している。
1989年パリ・オペラ座のバスティーユ新劇場に最初の音楽監督として迎えられ、音楽的には高く評価を受けるが政治的理由により1994年に解雇される。1997年サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の首席指揮者就任。2000年、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。1995年のフィルハーモニア管弦楽団との来日以来度々日本で演奏を行う。1997年にアジア8ヶ国の演奏家を集めたアジア・フィルハーモニック・オーケストラを創立してアジアツアーを行うなど、アジアのクラシック振興にも力を入れている。1998年には韓国KBS交響楽団の音楽監督にも就いている。日本との関わりでは、2001年、東京フィルハーモニー交響楽団のスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーに就任するなど、来日公演も多い。2006月3月、ロンドン交響楽団と共に来日、好評を博した。
姉のヴァイオリニスト、チョン・キョンファ(鄭京和)およびチェリストのチョン・ミョンファ(鄭明和)とともにピアノ・トリオを組む。
[編集] 代表盤
代表盤はパリ・バスティーユ管弦楽団とのベルリオーズ(『幻想交響曲』は1995年の音楽之友社「レコード・アカデミー大賞」受賞)やメシアン(晩年のメシアンとの親交の中で生まれた名盤である)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とのプロコフィエフ、フィラデルフィア管弦楽団とのショスタコーヴィチ、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのドヴォルジャークなど。
カテゴリ: クラシック音楽関連のスタブ | 韓国の指揮者 | 1953年生