チーム青森
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チーム青森(-あおもり)は、青森県カーリング協会に所属する女子カーリングチームで、2006年に行われたトリノオリンピックのカーリング日本代表チームでもある。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] トリノ五輪まで
カーリングチーム「シムソンズ」のメンバーとして2002年のソルトレークオリンピックに出場した小野寺歩と林弓枝は、同五輪後も競技生活を継続するため、財団法人青森市文化スポーツ振興公社に、カーリングの指導などを業務とする嘱託職員として就職した。五輪の次の2002-03年シーズンでは、シムソンズで冬季アジア大会トライアルに臨んで敗れ、これが同チームの最後の公式戦となった。また、日本選手権では澤田真人香・優嗣子姉妹とチーム「RingoStars」を組み、青森代表として参加して3位に入賞する。
03-04年シーズンを迎えるにあたり、小野寺と林は、ジュニア時代に北海道南富良野町のチーム「空知こざくら」で活躍した目黒萌絵・寺田桜子を誘い、カーリングチーム「フォルティウス」(五輪標語"Citius, Altius, Fortius." =「より速く、より高く、より強く」に由来)を結成した。これに伴い、目黒と寺田は高校卒業後青森県の大学に進学した。そしてこのシーズンの日本選手権に優勝した。
そのシーズンオフには次シーズンの世界選手権出場とトリノ五輪出場権獲得を見据えて、小野寺・林の故郷北海道常呂町出身で、ジュニア選手ながら既に日本代表として前シーズンの世界選手権出場も果たした本橋麻里をチームに招き入れる。迎えた04-05年シーズンではパシフィック選手権に優勝し世界選手権の出場権を獲得した。同時に3シーズンの世界選手権の累積ポイントによって争われるトリノ五輪への日本の出場権も確定し、五輪代表チームの内定も得た。
しかし、「青森県協会」名で出場した日本選手権では、負傷による目黒欠場の影響もあり、「チーム土屋」(後のチーム長野)に予選ラウンドと決勝戦で連敗し準優勝となる。そのためトリノ五輪に派遣する代表チームに関しては、日本カーリング協会(JCA)が協議の結果、「代表決定戦を行い、チーム青森が1勝すればチーム青森に代表権を、チーム長野が2勝すればチーム長野に代表権を与える」ということになった。この決定を受けて2005年11月に常呂町で行われた代表決定戦の第1戦に勝利し、トリノオリンピック代表となる。
トリノオリンピックでは4戦を終えて1勝3敗とほぼ絶望的な状態であったが、劇的な試合運びで強豪カナダを破って勢いをつけ、スウェーデンには負けはしたものの延長戦までもつれこむ死闘を演じて見せた。前回のソルトレークオリンピックを制したイギリス、そしてイタリア戦に勝って4勝4敗とし、準決勝進出の可能性を残して迎えたスイス戦では、いったん5点差まで引き離されながら、第7エンドに2点差にまで追いつく粘り強さを発揮したが、第9エンド前にギブアップ負け。彼女たちのトリノオリンピックは終止符を打った。
しかし、この5人の選手の純朴でひたむきな姿は、小林宏の丁寧なテレビ解説とあいまって、カーリングのスポーツとしての面白さを日本の多くの視聴者に伝えることとなった。その余波を受け、同年3月に青森で行われた日本選手権では、かつてないほどの世間・マスコミの注目を集めて臨むことになった。トリノ五輪の後練習期間を十分に取れなかった影響もあり、予選総当たり戦では小野寺・林の母校で後輩に当たるジュニア年代のチーム常呂中学校に敗れるなど序盤で早くも2敗を喫した。しかしオリンピックと同様大会中に調子を上げ、総当たり戦は同成績3チームによるタイブレークの末、1位で通過した。決勝トーナメントではまず準決勝で、総当たり戦を2位で通過した常呂中に雪辱し、決勝ではライバルのチーム長野に総当り戦・タイブレークに続く3度目の勝利を挙げて、2年ぶりの日本選手権優勝を果たし、2006年秋に開催されるパシフィック選手権の出場権を獲得した。ちなみにトリノオリンピック前のカーリング日本選手権での観客者数は100名程度であったが、トリノオリンピック後のカーリング日本選手権の観客者数は千人を超え、入場者制限を行うほどの人気であった。
[編集] トリノ五輪以後
05-06年シーズンのオフに、目黒、寺田、本橋の3人は現役を続行してバンクーバーオリンピックを目指す意思を示した。小野寺と林は勤務している青森市文化スポーツ振興公社を退職して北海道に帰郷し、さらに同年5月17日、競技の第一線から退くことを公式に発表した。このため2006-2007年シーズンは新たに山浦麻葉をメンバーを加えて臨むことになり、一度内定した2007年の世界選手権の出場権を、改めてチーム長野と代表決定戦(12月17日・北見市常呂町カーリングホール)を行って争うことになった。5戦中3勝したチームが代表に内定する代表決定戦では、第5戦までもつれ込む接戦の中3対2で勝ち、代表権を得た。メンバー全員が大学生であったために日本代表として出場した2007年冬季ユニバーシアードトリノ大会では、総当たり戦こそ4勝5敗と黒星先行であったが、3位決定戦ではスウェーデンを破り銅メダルを獲得した。帰国後、軽井沢国際に出場し3位に入った後、日本選手権に前年度優勝チームとして出場、決勝は前年と同一カードとなり、チーム長野との延長11エンドまでに及ぶ激闘の末、全勝優勝を果たした。地元青森での開催で期待も集まった世界選手権では、アイスの読みに苦労し思うように勝てなかったが、4勝を上げ8位に入った。
[編集] 選手
- 2006-2007年シーズンのメンバー
- 目黒萌絵 (左利き:スキップ→リード→スキップ、2003年-)
- 寺田桜子 (右利き:リード→セカンド→リード→リザーブ→リード、2003年-)
- 本橋麻里 (右利き:リザーブ→セカンド→サード、2004年-)
- 山浦麻葉 (右利き:セカンド、2006年-)
- 馬渕恵 (リザーブ、2006年パシフィック選手権)
- 余湖明日香 (右利き:リザーブ、2006年世界選手権代表選考会、2007年冬季ユニバーシアードトリノ大会、2007年日本選手権、2007年世界選手権)
- 過去に所属していたメンバー
- 小野寺歩 (右利き:セカンド→サード→スキップ、2003年-2006年、結成時のメンバー)
- 林弓枝 (右利き:サード→スキップ→サード、2003-2006年、結成時のメンバー)
- 小林愛 (右利き:リザーブ、2005年世界選手権)
[編集] コーチ
[編集] 戦歴
- 2003年-2004年シーズン
- 日本カーリング選手権: 優勝
- 2004年-2005年シーズン
- パシフィックカーリング選手権: 優勝
- 軽井沢国際カーリング競技大会: 優勝
- 日本カーリング選手権: 2位
- 世界女子カーリング選手権: 9位
- 2005年-2006年シーズン
- トリノオリンピック代表選考会: 第1戦で5-2でチーム長野に勝利、トリノ五輪代表決定
- トリノオリンピック: 7位
- 日本カーリング選手権: 優勝
- 2006年-2007年シーズン
- パシフィックカーリング選手権: 3位
- 世界選手権代表選考会: 3-2でチーム長野に勝利、世界選手権代表内定
- ユニバーシアードトリノ大会: 銅メダル
- 軽井沢国際カーリング競技大会: 3位
- 日本カーリング選手権: 優勝
- 世界女子カーリング選手権: 8位
[編集] その他
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本のカーリング選手 | 日本のスポーツチーム | 青森県のスポーツ | 青森市 | スポーツ関連のスタブ項目