ティム・ダンカン
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男子 バスケットボール | ||
銅 | 2004 | バスケットボール |
ティム・ダンカン(Timothy (Tim) Theodore Duncan、1976年4月25日 - )はアメリカ領ヴァージン諸島セント・クロイ島クリスチャンステッド出身のバスケットボール選手。アメリカ合衆国のプロバスケットボールリーグNBAのサンアントニオ・スパーズに所属するパワー・フォワード。オフェンスではチームの稼ぎ頭として、ディフェンスではブロック・ショットやリバウンドでゴール下の守護神的役割を担い、センター(センターフォワード)もこなせるNBA屈指のオールラウンドプレイヤーとして活躍している。
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[編集] 経歴
[編集] 少年期と大学時代
- 少年時代は水泳をやっており、水泳選手としてオリンピックを目指していた。故郷ヴァージン諸島代表としてジュニアオリンピックにも出場している。だがハリケーンが島を襲い、練習していたプールが使用不能になってしまった。このことがきっかけとなり中学2年の時からバスケットボールを始めた。
- それからは天性の運動能力でバスケットボールの才能を開花させ、ウェイク・フォレスト大学ではスタープレイヤーとして活躍。大学には4年間在籍し、キース・バン・ホーンとのライバル関係はマジック・ジョンソン、ラリー・バードに例えられた。当時のNCAAでの得点、アシスト、リバウンド、ブロック、スティールの個人記録部門の歴代1位をマークし、ネイスミス賞を受賞した。
[編集] NBA
- 卒業年の1997年にサンアントニオ・スパーズにドラフト1位で入団した。プロ入り1年目から同チームセンターのデビッド・ロビンソンとの「ツインタワー」としてチームの主軸となる。この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。
- その後も安定した成長を遂げ、入団2年目にしてNBAファイナルを制し、自身もファイナルMVPという称号をも手にした。2003年と2005年にもファイナルを制し、両年ともファイナルMVPを受賞。ファイナルのMVPを3回以上受賞するという偉業はマジック・ジョンソン(3回)とマイケル・ジョーダン(6回)、シャキール・オニール(3回)に続き史上4人目の快挙である。
- ニックネーム「ビックファンダメンタル(基本に忠実)」と呼ばれるようにプレースタイルに華やかさはないが、一つ一つのプレーの正確さ、自己犠牲もいとわないチーム第一に考えた献身的な態度、精神的に浮ついたところのない逞しさなど現役選手の中では最も信頼された実力の持ち主である。ダンカンより派手で成績も上回っている選手は数多く存在するが、ダンカンより評価されている選手はほとんど存在しない。故に現役No.1プレーヤーの呼び声も高い。チームメイトのトニー・パーカー曰く、「ティミーはアンビリーバブルな存在」
- 長いNBAの歴史の中で入団以来8年連続でオールNBAチームとオールディフェンシブチームの両チームに選出された唯一の選手。2位の記録は7年連続のデビッド・ロビンソン。
- 入団以来8年連続でオールNBAファーストチームに選出された5人目の選手。残りはエルジン・ベイラー(10年連続)、ボブ・ペティット(10年連続)、ラリー・バード(9年連続)、オスカー・ロバートソン(9年連続)の4人。
- 彼の最高のゲームは、2003年のNBAファイナルで優勝を決めた対ニュージャージー・ネッツ戦。21ポイント、20リバウンド、10アシスト、8ブロックショットとクアドルプル・ダブルまであと2ブロックという大活躍でチームをファイナル優勝へと導いた。8ブロックはファイナルタイレコード、計32ブロックはパトリック・ユーイングの記録を抜くファイナルレコード。また、このゲームで盟友のデビッド・ロビンソンが引退し有終の美を飾った。
[編集] 個人記録
- 最多得点 53得点(対 ダラス・マーベリックス戦 2001年12月26日)
- 最多リバウンド 25本(対 マイアミ・ヒート戦 2003年2月1日)
- 最多ブロック 9回(対 メンフィス・グリズリーズ戦 2007年1月26日)
- オールNBAファーストチーム8回(1998年~2005年)
- オールNBAセコンドチーム1回(2006年)
- オールNBAディフェンシブ・ファーストチーム6回(1999年~2003年、2005年)
- オールNBAディフェンシブ・セコンドチーム2回(1998年、2004年、2006年)
- シーズンMVP(2002年、2003年)
- ファイナルMVP(1999年、2003年、2005年)
- オールスターMVP(2000年シャキール・オニールと共同受賞)