トリエステ県
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トリエステ県 Provincia di Trieste |
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国 | イタリア |
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州 | フリウーリ=ヴェネツィア・ジュリア |
県都 | トリエステ |
面積 | 212 km² |
人口 - 総計 - 人口密度 |
240,000 人 1,132 人/km² |
コムーネ数 | 6 (50音順一覧) |
主なコムーネ | ムッジャ |
略記号 | TS |
CAP | 34000-34100 |
市外局番 | 040 |
ISTATコード | 032 |
県知事 | ファービオ・スコッチマルロ (Fabio Scoccimarro) |
県公式ウェブサイト | |
本ページ内の人口値で、"2005-01-01" となっているものは、ISTAT(国立統計研究所)のサイトで公表している推計値。 |
トリエステ県 (Provincia di Trieste) は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の県の一つで、イタリアで最も東に位置する。県都はトリエステ。
目次 |
[編集] 地理と交通
アドリア海と標高約400mの丘陵地に挟まれた、幅5~10kmの帯状の狭い平地が、北西のゴリツィア県モンファルコーネから南東のトリエステまで30km程度続く。県の西側は、アドリア海のトリエステ湾に臨む。トリエステの南は、入り江(ムッジャ湾)になっており、対岸にムッジャがある。
カルスト地形の場所に位置するため、数多くの洞窟が存在し、中でも特筆すべきグロッタ・ジガンテ(Grotta Gigante, 巨人の洞窟)がある。
[編集] 歴史
現在のトリエステ県の領域が形作られたのは、フランク人の占領時代に遡る。13世紀のハプスブルク家統治時代の到来と共に、この領域はドゥイーノ(今日のドゥイーノ=アウリジーナ、ズゴニーコ、モンルピーノの各コムーネをあわせた領域に相当)、トリエステ、サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレ、ムッジャの各領主に分封された。自由港の設立のおかげで、マリア・テレジアと次のヨーゼフ2世の治世の間、この地域での海運業が発展した。
1809年にはナポレオンのフランス帝国によって併合された。県の領域の大部分はトリエステを首都としたが、サン・ドルリーゴはポストゥーミアの管轄下に置かれた。ウィーン会議によってオーストリア帝国に併合され、ドゥイーノ=アウリジーナ、ズゴニーコ、モンルピーノのコムーネはゴリツィアと合併し、トリエステのコムーネは直轄市となった。また、サン・ドルリーゴとムッジャはイストリア地方の一部となった。
1920年11月のラパッロ条約により、トリエステ県とイストリア地方は、イタリア王国に併合された。この地域は、第二次世界大戦後は領有権が争われたが、1954年のロンドン協定によってトリエステ県はイタリア領、イストリア地方はユーゴスラビア領とすることで合意に達し、1975年11月に正式にオージモ条約を締結することで確定した。
[編集] 経済
観光が主な産業で、港湾関係もある。
[編集] 関連項目
イタリア共和国 フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の県 |
ウーディネ | ゴリツィア | トリエステ | ポルデノーネ |
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