トロイア戦争
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トロイア戦争(Trojan War)とは、小アジアのトロイアに対して、ミュケナイを中心とするアカイア人の遠征軍が行ったギリシア神話上の戦争である。トロイア、あるいはトローアスという呼称は、後の時代にイリオス一帯の地域につけられたものである。この戦役は、古代ギリシアにおいて、ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』、『オデュッセイア』のほか、『キュプリア(Kypria)』、『アイティオピス(Aithiopis)』、『イリオスの攻略(Iliupersis)』などから成る一大叙事詩環を構成した。またウェルギリウスはトロイア滅亡後のアイネイアスの遍歴を『アエネイス』にて描いている。
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[編集] 原因
この戦の起因は、『キュプリア』に詳しい。大神ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミス(秩序の女神)と試案を重ね、遂に大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めた。
オリンポスでは人間の子ペレウスとティターン族の娘テティスの婚儀が行われていたが、エリス(争いの女神)のみはこの饗宴に招待されず、怒った彼女は、最も美しい女神へ捧げると叫んで、ヘスペリデス(不死の庭園)の黄金の林檎を神々の座へ投げ入れた。この供物をめぐって、殊にヘラ、アテナ、アフロディテの三女神による激しい対立が起り、ゼウスはこの林檎が誰にふさわしいかをトロイアの王子パリスにゆだねた(パリスの審判)。
三女神はそれぞれが最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ったが、なおかつ、ヘラは世界を支配する力を、アテナはいかなる戦争にも勝利を得る力を、アフロディテは最も美しい美女を、それぞれ与える約束を行った。パリスはその若さによって富と権力を措いて愛を選び、アフロディテの誘いによってスパルタ王メネラオスの妃ヘレネを奪い去った。パリスの妹でトロイアの王女カッサンドラのみはこの事件が国を滅ぼすことになると予言したが、アポロンの呪いによって聞き入れられなかった。
メネラオスは、兄でミュケナイの王アガメムノンにその事件を告げ、かつオデュッセウスとともにトロイアに赴いてヘレネの引き渡しを求めた。しかし、パリスはこれを断固拒否したため、アガメムノン、メネラオス、オデュッセウスはヘレネ奪還とトロイア懲罰の遠征軍を組織した。
[編集] 戦いの経過
ボイオティアのアウリスに集結した アガメムノンを総大将とするアカイア軍は、総勢10万、1168隻の大艦隊であった。アカイア人の遠征軍はトロイア近郊の浜に上陸し、アキレウスの活躍もあって、待ち構えたトロイア軍を撃退すると浜に陣を敷いた。トロイア軍は強固な城壁を持つ市街に籠城し、両軍は海と街の中間に流れるスカマンドロス河を挟んで対峙した。『イリアス』の物語は、双方に犠牲を出しながら9年が過ぎ、戦争が10年目に差し掛かった頃に始まる。
戦争末期の状況については、『イリアス』のほか、『アイティオピス』や『アイアース(Aias)』において語られる。トロイアの勇将ヘクトルとアカイアの英雄アキレウスの没後、戦争は膠着状態に陥った。しかし、アカイア方の知将オデュッセウスは、巨大な木馬を造り、その内部に兵を潜ませるという作戦を考案し(『小イリアス』では女神アテナが考案し)、これを実行に移した。この「トロイの木馬」の計は、アポロンの神官ラオコーンと王女カッサンドラに見抜かれたが、ラオコーンは海蛇に絞め殺され、カッサンドラの予言は誰も信じることができない定めになっていたのでトロイアはこの策略にかかり、一夜で陥落した。
[編集] 戦後
アイスキュロスの『アガメムノン(Agamemnon)』によると、トロイア戦争はアカイア遠征軍の勝利に終わったが、アカイア軍の名だたる指揮官たちも悲劇的な末路をたどった。小アイアスはアテナの神殿でカッサンドラを強姦した事でアテナの逆鱗に触れ、船を沈没させられ死亡。メネラオスは帰国途中、暴風に悩まされエジプトに漂流し、8年掛かりで帰還。総司令官アガメムノンは、帰郷後、妻の愛人に暗殺された。オデュッセウスは、『オデュッセイア』にあるように、故郷にたどりつくまで10年もの間、諸国を漂流しなければならなかった。
[編集] 考古学におけるトロイア戦争
古代都市イリオスは長く伝説上のものと思われていたが、19世紀末、ハインリッヒ・シュリーマンによりトロイア一帯の遺跡が発掘された。遺跡は9層になっており、シュリーマンは発掘した複数の時代の遺跡のうち、火災の跡のある下から第2層がトロイア戦争時代の遺跡と推測した。後に第2層は紀元前2000年よりも前の地層でトロイア戦争の時代よりもかなり古いものであることが判明した。シュリーマンと共に発掘にあたったデルプフェルトは下から6番めの第6層に破壊や火災のあとがあることから、第6層がトロイア時代のものであると考えた。1930年代にブレゲンによって再調査が行われ、第6層の都市の火災は部分的で破壊に方向性があることから地震の可能性が強いと推測した。そして第7層の都市は火災が都市全体を覆っていることや、破壊の混乱ぶりから人為的なものであると推測する。また、発見された人骨も、胴体と頭部が分離したものが発見されるなど、戦争による人為的な破壊を間接的に証明した。現在では第7層がトロイア戦争のあったと伝えられる時期(紀元前1200年中期)であると考えられている。
トロイア戦争それ自体は、確固たる歴史に編纂されるものではなく、紀元前1700年から紀元前1200年頃にかけて、小アジア一帯が繰り返し侵略をうけた出来事を核として形成されたであろう神話である。しかし、これについては、紀元前1250年頃にトロイアで大規模な戦争があったとする説もあれば、そもそもトロイア戦争自体が全くの絵空事であるという説もないわけではない。
トロイア戦争にまつわる叙事詩の全てが架空のものではないとすれば、その中心はやはりイリオスの破壊と考えられる。都市が火災に見舞われたことは考古学的に間違いないが、それが侵略によるものかどうかは、可能性としてはかなり高いものの推察の域を出ない。さらに、トロイアの略奪があったとする場合、『イリアス』に従えばアカイア人による侵略ということになるが、ミュケナイが宗主権を握っていることや、ここに登場する諸都市がミケーネ文明に栄えた都市であることから、アカイア人が入植する以前のミュケナイ人による侵攻、あるいはトラキアやプリギュアの他民族による侵略であったと考えられる。少なくとも、アカイア人であったとする積極的な証拠は存在しない。
[編集] トロイア戦争に関する作品
[編集] 書籍
- 『イリアス』 著者:ホメロス 出版:岩波文庫他
- 『オデュッセイア』 著者:ホメロス 出版:岩波文庫他
- 『キュプリア』 著者:ホメロス
- 『アイティオピス』 著者:ホメロス
- 『イリオスの攻略』 著者:ホメロス
- 『アエネイス』 著者:ウェルギリウス
- 『アガメムノン』 著者:アイスキュロス
- 『トロイアの黒い船団―サトクリフ・オリジナル 4』 著者:ローズマリ・サトクリフ 訳者:山本史郎 挿絵:アラン・リー 出版:原書房 ISBN 4562034300