イリアス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『イリアス』(希:ΙΛΙΆΣ、イーリアス、ラテン語:ILIAD、イリアッド)は、ホメロス(ホメーロス、ホーマー)によって作られたと伝えられている叙事詩である。ギリシア神話を題材とし、トロイア(イリオス)戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イリオスの英雄ヘクトルの葬儀までを描写する。ギリシアの叙事詩として最古のものながら、最高のものとして考えられている。叙事詩環(叙事詩圏)を構成する八つの叙事詩のなかの一つである。
もともとは文字ではなく口承によって伝えられてきたもので、日本において琵琶法師が『平家物語』を演じたような格好で歌われていた。『オデュッセイア』第八歌には、パイエケス人たちがオデュッセウスを歓迎するために開いた宴に、そのような楽人デモドコスが登場する。オデュッセウスはデモドコスの歌うトロイア戦争の物語に涙を禁じえず、また、自身でトロイの木馬のくだりをリクエストし、再び涙を流した。イリアスの聴衆たちも、アキレウスと共にアガメムノンの理不尽を憤り、アキレウスがヘクトルへの復讐を果たしたくだりではカタルシスを覚えたことだろう。
イリアスの作者とされるホメロス自身も、そのような楽人(あるいは吟遊詩人)だった。ホメロスによってイリアスが作られたというのは、紀元前8世紀半ば頃のことと考えられている。その後、イリアスは紀元前6世紀後半のアテナイにおいて文字化され、紀元前2世紀頃アレキサンドリアにおいて、われわれが今見ることのできるような形にまとめられたようだ。
目次 |
[編集] 構成
[編集] ムーサへの祈り
ホメロスの叙事詩は、朗誦の開始において、「ムーサ(詩神)への祈り(英語:Invocation to Muse)」の句が入っている。それは、話を始める契機としての重要な宣言と共に、自然な形で詩のなかに織り込まれている。『イリアス』では、最初の行は次のようになっている:
- Menin aeide, thea, Pele-iadeo Akhileos
言葉の順番に意味を書くと、次のようになる:
- 怒りを 歌ってください 女神(ムーサ)よ ペーレウスの息子である アキレウスの(怒りを)……
ホメロスの劇的構成というのは、この最初の一行より始まっており、何故アキレウスが怒っているのかという聴衆の興味を引きつけた後、できごとの次第を息も継がせぬ緊迫感で展開する。
[編集] ポイボス・アポローンの銀弓
先の戦いで、アカイア勢(ギリシア軍)はトロイエ側にささやかな勝利を収め、戦利品を手に入れた。しかし、その戦利品のなかには、光明神ポイボス・アポローンの神官であるクリューセースの娘もまた含まれていた。戦闘の混乱のなかでアカイア勢に捕らわれた娘を返して貰おうと、神官クリューセースはアカイア軍の陣地を貢物を携え訪れるが、傲ったアカイア勢はクリューセースを侮辱する。
目的を果たせず、海辺を一人戻るクリューセースは、みずからが仕える神アポローンに祈り、「アカイア軍に報いを」と求める。ムーサの言葉は劇的に転回し、クリューセースがこう祈るや、オリュンポスの高みより、ポイボス・アポローンが銀弓を手に空を飛び、アカイア軍の陣地の上空に至るや、数知れぬ矢を射かけ、アカイア軍陣地は、神の送る疫病に悲鳴をあげて倒れる兵士たちの修羅場と変ずる。
しかし、雄壮なアポローンの活躍を活写した後、なお、なぜアキレウスは怒っているのか、その理由は不明である。こうして、うたは更に続いて行く。
[編集] 物語のあらすじ
翻って、このようにアキレウスが怒りを抱いたというのは、一体、戦いのどのような時点であったのか。それは、パリス(イリオス王プリアモスの王子)に奪われたヘレネを取り戻すべく、ヘレネの夫メネラオスをはじめとするアカイア族(ギリシア勢)がイリオスに攻め寄せてから十年の歳月が流れたときのことであった。
ギリシア勢はメネラオスの兄でミュケナイ王のアガメムノンの指揮の下で戦い、イリオス勢はプリアモスの長子ヘクトルの指揮の下に戦っていた。アキレウスは、友人パトロクロスと共に、ミュルミドーン人たちを率いて戦いに参加していた。このような背景のなかで、神官クリューセースの神アポローンへの祈りの事件が起こったのである。
[編集] アキレウスとアガメムノーンの確執
アポローンの矢による、疫病の発生から十日目、アキレウスの発議により集会が持たれた。カルカスによって、アポローンの怒りを鎮める必要があるため、献策がなされた。それは、身の代なしに娘クリュセイスを神官クリュセースに返すというものだった。クリュセイスはアカイア勢の総帥アガメムノーンの戦利品となっていた。アガメムノンはやむを得ず娘を解放することに同意する。
アガメムノーンは娘を失う代償を諸将に求める。それに対し、アキレウスは戦利品を分配しなおすべきでないことを主張し、「わたしには戦う義務はない。しかしあなたがた兄弟のために戦闘に参加している」と述べる。アガメムノーンは立腹し、軽率にも「われらのために戦う戦士は山ほどいる。そなたが義務で戦うというのなら、われらは汝なしでも戦うことができる」と応酬した。そして、クリュセイスの代償として、アキレウスの戦利品であるブリュセイスを自分のものにする。
アキレウスはアガメムノーンの仕打ちに怒り、母テティスに祈り、ゼウスがイリオス勢の味方をすることでギリシア勢を追い詰めさせることを願う。テティスが請け合い、ゼウスに頼み込むと、ゼウスもこの願いを受け入れた。ゼウスの妻ヘラは、ゼウスがテティスの願い通りイリオス勢の味方をするつもりではないかと気付き、ゼウスを難詰したが、息子ヘパイストスのとりなしで、とりあえず怒りを納めた。
アキレウスはその日以降、集会にも出ず、戦闘にも参加しなくなった。こうしてアキレウスの怒りから始まり、『イリアス』は劇的な展開において物語を繰り広げて行く。
[編集] 総攻撃の開始
ゼウスは、テティスの願いをどのように叶えるのがよいかを考え、ギリシア勢の総大将アガメムノンを夢でまどわすことにした。アガメムノンは、ネストルが「オリュムポスの神々は皆ギリシア勢の味方をすることになったから、全軍で攻め寄せればイリオスを攻め落とせる」と説くところを夢に見た。目が覚めたアガメムノンは、すぐにでもイリオスを陥落させることができると思い込み、総攻撃を決意する。しかしゼウスは、ギリシア勢を劣勢に追い込み、アガメムノンに、アキレウスを怒らせたことを後悔させることが目的だったのである。
ギリシア勢が美々しく隊伍を整えると、イリオス勢も攻撃準備を完了した。両軍は、まさに激突しようとしていた。
[編集] パリスとメネラオスの一騎打ち
このときパリスは軍勢の先頭に立ち、「誰でもいいから俺と勝負しろ」と言った。メネラオスは、仇敵の姿を見るや、喜び勇んで飛び出してきた。しかしパリスはメネラオスを見ると怖気づき、逃げ出してしまった。これを見たヘクトルは、イリオスの災厄の種であるパリスの不甲斐なさをなじり、「貴様のような格好ばかりの奴は、さっさとメネラオスに殺されてしまえばよかったのだ」と責めた。 するとパリスは殊勝にも「私とメネラオスで一騎打ちをし、勝ったほうがヘレネと奪った財宝を取ることにしたい」と申し出た。ヘクトルは喜び、ギリシア勢にこの話を申し込んだ。アガメムノンもこの話を呑み、両軍の戦士が武装をはずして見守る中、両者が一騎打ちを行うことになった。
対峙するパリスとメネラオス。双方が槍を投げるが、両者共にこれを避けた。次にメネラオスが剣を抜いて切りかかると、メネラオスの剣はパリスの兜にあたって砕けた。パリスがくらくらしているところを、メネラオスが兜を掴んで自軍に引いていこうとした。するとアフロディテ(アプロディテ)が兜の紐を切ってパリスの窮状を救った。メネラオスの手には兜だけが残った。そしてなおも追いすがるメネラオスから守るために、濃い霧でパリスを隠し、イリオスに退却させた。
メネラオスは姿を隠したパリスを探すが、見つけることができない。そこでアガメムノンはメネラオスが勝ったとして、ヘレネと財宝の引渡しをイリオス勢に申し入れた。
ヘクトルは目の前の出来事に青ざめたものの、誓い通りに戦いの結果を尊重しようとした。しかし、ゼウスはトロイアの運命に基づき、アテナに命じてトロイアの武将に甘言をささやいた。それは誓いを破り、ギリシア(メネラオス)への仇討ちをせよ、というささやきであった。
彼が矢を放った結果、メネラオスは傷を負い、それを契機に再び戦いが始まった。
[編集] パトロクロスの出陣
アキレウスなしでも優勢に立っていたギリシア勢も、名だたる英雄たちが傷ついたことをきっかけにして総崩れとなり、陣地の中にまで攻め込まれる。これを見たパトロクロスは、出陣してギリシア勢を助けてくれるようアキレウスに頼んだが、アキレウスは首を縦に振らない。そこでパトロクロスはアキレウスの鎧を借り、ミュルミドーン人たちを率いて出陣する。
[編集] パトロクロスの死
アキレウスの鎧を着たパトロクロスの活躍により、ギリシア勢はイリオス勢を押し返す。しかし、パトロクロスはイリオスの王プリアモスの息子で、事実上の総大将であるヘクトルに討たれ、アキレウスの鎧も奪われてしまう。
[編集] アキレウスの出陣
パトロクロスの死をアキレウスは深く嘆き、ヘクトルへの復讐のために出陣することを決心する。アキレウスの母テティスはアキレウスのために新しい鎧を用意し、アキレウスに授ける。出陣したアキレウスは、イリオスの名だたる勇士たちを葬り去る。形勢不利と見てイリオス勢が城内に逃げ去る中、門前に一人、ヘクトルが待ち構える。
[編集] ヘクトルとアキレウスの一騎打ち
ギリシア勢とイリオス勢が見守る中、アキレウスとヘクトルの一騎打ちが始まる。アキレウスはヘクトルを追いまわし、ヘクトルは逃げ回ってイリオスの周りを三度回る。しかし、ついにヘクトルはアキレウスに討たれる。アキレウスはヘクトルの鎧を剥ぎ、戦車の後ろにつなげて引きずりまわす。復讐を遂げて満足したアキレウスは、さまざまな賞品を賭けてパトロクロスの霊をなぐさめるための競技会を開く。
[編集] ヘクトルの遺体引き渡しと葬儀
競技会が終わった後も、アキレウスはヘクトルの遺体を引きずりまわすことをやめない。ヘクトルの父プリアモスはこれを悲しみ、深夜アキレウスのもとを訪れ、息子の遺体を返してくれるように頼む。アキレウスはプリアモスをいたわり、ヘクトルの遺体を返す。ヘクトルの葬儀の記述をもって、イリアスは終わる。
[編集] 『イリアス』の翻訳
『イリアス』には各国語の翻訳があるが、ここでは日本語訳について触れる。
『イリアス』の全訳は呉茂一による戦前のもの(岩波文庫、全三巻)と土井晩翠による戦中のもの(冨山房)と松平千秋による最近のもの(岩波文庫『イリアス』上・下巻)がある。呉訳は七五調を基本とした擬古文で、原文の語法などを生かすことを主眼においている。三巻の翻訳のうち、上巻には、それまでの古典学の解釈の慣例を破り、あえて直訳した箇所などもあり、その苦闘が伺われる。土井訳は終始一貫して日本語の韻文調に訳しており、『イリアス』の叙事詩としての美しさを伝えようと腐心している。松平訳はこれに対し、現代人にとっての読みやすさを念頭に、原文が韻文であることをあえて無視し、散文におきかえている。
[編集] 後世の作品における『イリアス』の影響
トロイア戦争を主題にした古代ギリシア悲劇の多くが、『イリアス』に取材している。代表的なものは、アイスキュロスのアガメムノン三部作である。
古代ローマ時代には、詩人ウェルギリウスがローマ建国を描いた叙事詩『アエネイス』が『イリアス』を下敷としている。作中では、敗れたトロイアの武将アイネイアスが放浪の果てにたどり着いたイタリアでの出来事が語られ、その子孫がアウグストゥスの家系であることを示唆する描写があある。
1987年、マリオン・ジマー・ブラッドリー は『イリアス』を元にした歴史ファンタジー小説『The Firebrand』を発表した。日本ではファイアーブランド三部作『太陽神の乙女』『アプロディーテーの贈物』『ポセイドーンの審判』として1991年に翻訳出版された。この小説はトロイアの王女カッサンドラーを主人公にしたフェミニズムファンタジーである。
2004年に封切りされた映画『トロイ』は、『イリアス』のかなり自由な翻案である。配給元の大規模な宣伝や人気俳優の起用もあり、映画は興行的には成功を収めたが、アメリカ合衆国の映画批評家からは酷評された。何人かの批評家は「2004年最悪の映画」にこの映画を挙げた。ホメロスの描く物語とこの映画のストーリーにはごくわずかな共通点しかない。
ダン・シモンズは、2003年に『イリアス』を翻案した叙事詩的SF小説『イリアム』("Ilium")を発表した。この小説は、2003年の最優秀SF小説としてローカス賞を受賞した。