ファイト・クラブ (映画)
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ファイト・クラブ Fight Club |
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監督 | デヴィッド・フィンチャー |
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製作総指揮 | アーノン・ミルチャン |
製作 | アート・リンソン ショーン・チャフィン ロス・グレイソン・ベル |
脚本 | ジム・ウールス |
出演者 | エドワード・ノートン ブラッド・ピット ヘレナ・ボナム=カーター |
音楽 | ザ・ダスト・ブラザーズ |
撮影 | ジェフ・クローネンウェス |
編集 | ジェームズ・ヘイグッド |
公開 | 1999年10月6日 1999年12月11日 |
上映時間 | 139分 |
製作国 | アメリカ |
言語 | 英語 |
制作費 | $63,000,000 |
ファイト・クラブ(Fight Club)は1999年製作のアメリカ映画。日本では2000年に20世紀フォックスから公開された。チャック・パラニュークの同名小説の映画化。
アメリカでは賛否両論の反響を呼び、余り注目されていなかった小説版とその作家に脚光があたるきっかけになった。またカルト的なファンも多い。評論家からは(映画内で死んでいるのは数人だけにもかかわらず)あまりにも暴力的だと非難された上、公開当初は製作費を回収出来ずフォックス重役が何人も解雇される事態となった。ロジャー・エバートはこの映画をいみじくも「マッチョ・ポルノ」と評している。現在ではIMDBで「時計仕掛けのオレンジ」、「タクシー・ドライバー」などの名作を抑えて、ベスト40位をキープしている。
目次 |
[編集] キャスト
- エドワード・ノートン:主人公
- ブラッド・ピット:タイラー・ダーデン
- ヘレナ・ボナム=カーター:マーラ・シンガー
- ミート・ローフ:ボブ(ロバート)・ポールスン
- ザック・グルニエ:リチャード
- ジャレッド・レト:エンジェル・フェイス
[編集] あらすじ
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
自動車会社に勤務し、全米を飛び回りリコール調査の仕事をしている主人公(エドワード・ノートン)は不眠症に悩まされていた。彼は自宅の高級コンドミニアムに、イケアのモダンな家具、高級ブランドの衣類、洗練された食器やインテリアなどを強迫観念に駆られるように買い揃え、雑誌に出てくるような完璧な生活空間を実現するが、精神の方は一向に落ち着かない。世の中にはもっと苦しむ者がいるという神経科の医者の雑談をヒントに、末期ガン患者や結核患者などの互助グループに偽患者として通ううちに、症状は回復に向かうかに見えた。しかし同様に偽患者として互助グループのハシゴを行う、どう見ても不治の病を患っているように見えない女・マーラ(ヘレナ・ボナム=カーター)と出会うことで再び不眠症が悪化してしまう。
そんなある日、出張中に自宅が爆発事故に遭う不幸が起こり、家もブランド品も全てを失った主人公は、出張途中の機内で知り合った石鹸の行商人・タイラー(ブラッド・ピット)に救いの手を求めた。バーで待ち合わせたタイラーは、彼が会った事のない、カリスマとユーモアあふれる危険な男だった。タイラーはバーを出た後、駐車場で主人公にある頼みをする。「力いっぱい俺を殴ってくれ」。
殴り合いでぼろぼろになった二人は痛みの中で生きている実感を取り戻した気になった。見ていた酔客の中に殴り合いに混ぜてくれという者が現れファイトの輪が広がり、やがて駐車場での殴り合いは毎晩のように行われるようになる。そのうちに場所を地下室に移し、大勢の男達が集まる一対一の秘密のファイトが行われるようになった。タイラーはこれをファイト・クラブと呼び、全員が公平に殴り合いに参加するためのルールを作っていった。
主人公は痣だらけの顔で会社に通っていたがもはや不眠は感じなかった。彼はタイラーの住む廃屋で二人暮らしをし、知識豊富なタイラーから偽善に満ちた世の中の仕組みや誰でもできる簡単なテロの方法の話などを聞いて楽しみ、高級痩身クリニックから捨てられた人間の脂肪を盗み、石鹸を作って売る副業を行った。ある日ふとしたきっかけでマーラがタイラーに会い、不安定な三人暮らしが始まる。主人公はタイラーとマーラの猛烈なセックスの音と、タイラーが自分を置き去りにしてファイト・クラブのメンバー達と何かを行っていることに苛立ちを感じ始める。
タイラーはファイト・クラブの男達に、昼間の平凡人としての時間に、何か社会に対する嫌がらせをしてケンカをし、わざと負けろという「宿題」を出す。メンバー達は町中で、店の客や通行人とケンカを始める。主人公も「宿題」に取り組む。上司に会社のリコール隠しをばらしてやると口論をふきかけ、彼の前で自分で自分を殴ってぼろぼろになり、物音を聞いて駆けつけた他の社員の前で上司に暴行されたと吹聴し、訴訟を恐れた会社から在宅勤務の権利を認められ自由の身になった。カリスマであるタイラーのファイトクラブメンバーに対する試練、自己滅却への扇動は更に続いていたが、主人公は蚊帳の外になっていた。メンバーの中から黒い服を着た「スペース・モンキーズ」と称する集団が現れ、主人公達の住む廃屋の地下で作業を開始した。モンキーズはみな自分の名前を捨てており、主人公にすらも自分達に与えられた目的を明かさなかった。疎外された主人公にはタイラーの居場所も分からなくなっていた。
やがて主人公はスペース・モンキーズが「宿題」から発展した『プロジェクト・メイヘム』という、社会的権威に対する破壊工作を行っていることを知る。大資本によるファストフード・チェーン店や都心に鎮座するパブリック・アートなどに対するいたずらじみた行為ではあったが、破壊活動中にスペース・モンキーズの中から死者も出ることになる。これに対し警察は、社会秩序を不安に陥れる破壊行為と戦う対策を発表しようとするが、直前に会見場に乗り込んだタイラーとモンキーズは警察首脳を拉致・脅迫して対策発表を辞めさせた。主人公はタイラーに再会するが彼は狂信者たちに囲まれており、タイラーの持つ死とすれすれの危険な自己破壊衝動は確実に強まっていた。
主人公はタイラーの去った部屋から全米を飛び回った跡のある使用済み航空券を見つけ、彼の足取りをたどる。タイラーは全米のどの大都市にもファイト・クラブを作っており、どこでもプロジェクト・メイヘムの犠牲者は聖者としてたたえられていた。そんなとき、クラブのメンバーのいた店で見知らぬ店主に話しかけられた彼が自分は誰なのかと問うと、店主は「あなたはダーデンさんです」と答えたのだ。慌ててマーラに電話で自分の正体を確認したとき、再びタイラーが目の前に現れた。タイラーは自らの正体を「主人公にとっての理想の姿、もう一つの人格(アルター・エゴ)」だと明かした。主人公が夜中に不眠症になっていたのは別人格のタイラーとして映画館やレストランで働いていたからであり、爆破事故の真相は、雑誌や流行に踊らされて買った品物ばかりの虚飾に満ちた部屋をタイラーとしての自分が破壊したのであり、タイラーとの殴りあいも自分で自分にパンチを浴びせていただけであり、マーラとのセックスもプロジェクト・メイヘムの指令も全てタイラーとしての自分が行っていたことだったのだ。
さらにスペース・モンキーズは地下室から忽然と消え、主人公は彼らの残したメモから市内各所にある銀行・クレジットカードなど、資本主義システムをつかさどり全米の個人のローンや資産を管理する大企業各社のビルに対する同時爆破テロが計画されていることを知る。強い衝撃と後悔に見舞われた主人公は、爆破を止めるため深夜のビル街へと向かう。爆破の寸前、ついに主人公は高層ビルでタイラーと対峙し、別人格タイラーと「殴り合い」をして床に倒れ、椅子に縛られタイラーに銃を突きつけられる。さらに主人公は窓からマーラがスペース・モンキーズに捕まり、連れて来られるのを目撃する。主人公にもはや勝ち目はないと思われたが、彼は「タイラーが銃を持っているということは、自分が銃を持っていることだ」と気付く。気付くと銃は主人公の手に握られており、彼は自分でのどを撃ち抜いた。これで別人格タイラーを倒し二重人格を統合した主人公はマーラと抱き合うが、既にテロまでの時間はなかった。
二人は手をつなぎ、金融会社の高層ビルが次々と崩壊する様をただ見ていた。そして彼らのいるビルも激しい衝撃に襲われるのだった。
[編集] 主人公について
本作は、小説、映画とも主人公の一人称視点で進行するが、主人公の名前は終盤まで明らかにされない。作品の映画版のクレジットでは「ナレーター (Narrator)」と表記されている(便宜上、映画版で主人公が朗読する古本に書かれている人物の名を取って「ジャック」と呼ぶ場合がある)。
[編集] 小説版との違い
- 小説版との違いは多い。小説の膨大なせりふ(特に主人公の独白)は、映画版では発言の主がタイラーほか数人の登場人物に変更されている。また小説版では主人公とタイラーとの出会いの場がヌードビーチである点、小説版では主人公はメイヘム計画にかなり積極的にかかわっており、疎外されているようには描かれていないなどの違いがある。
- またロバート・ポールスンがメイヘム計画の途中殺された経緯も変更されている。小説版ではATMにドリルで穴を開け、中身をどろどろしたもので満たそうとしていたところ、巡回中の警官に見つかりドリルを銃だと誤認されるものである。
- メイヘム計画の目的について、映画版では主人公が推測するだけであるが、究極的な目的は小説版では描かれている。これは新しい暗黒時代を作り出すことで人類の技術の進歩を遅らせることにある。(映画では、ラスト近くのシーンでこうしたアイデアは語られている。)また歴史の消去も計画の目的の一つである。ビルを爆破する目的は、小説版ではビルを横倒しにして隣にある国立美術館を押し潰すことにある。
[編集] 舞台
この映画の舞台は、アメリカのどこにでもありそうな大都市のひとつであるが、具体的にウィルミントン (デラウェア州)ではないかと指摘する声もある。ウィルミントンは多くの大資本、とりわけクレジットカード会社などが本拠を置く金融都市である。映画中に登場する郵便番号はウィルミントンの物であり、劇中で言及されるニューキャッスル、デラウェアシティ、ペンズグローブといった街はウィルミントンの近くにある。主人公の住むコンドミニアムに書いてあるモットー『A Place To Be Somebody(ひとかどの人物になるための場所)』はウィルミントン市のモットーと同じである。またラスト近くに出てくる街路の名もウィルミントンに実在する(金融エリアを実際に通っているわけではない)。
映画製作にあたり、ウィルミントンでのロケが意図されていたが、市当局は模倣犯が出るのを恐れ撮影を拒絶した。このためほとんどのシーンはロサンゼルスで撮られている。
[編集] その他
映画ではサブリミナルのようにタイラーのイメージが挿入されている部分がある。これらは主人公がタイラーに出会う前、オフィスや空港での日常シーンで不意に数コマタイラーの姿が挿入されたり、よく見ると主人公とすれ違う人物の中にタイラーがいる、ホテルのCM中に勢ぞろいした従業員の中にタイラーがいる、といった具合である。主人公がタイラーに会う前から、タイラーは主人公の「なりたい自分の姿」として意識下に現れていたと見るべきであろう。また、この映画の根底に流れる男性性にダメ押しをするかのように、ラストシーンにほんの数コマペニスが写っている(これは劇中のタイラーの映画館での悪戯によるメタ構造だという見方もある)。
デヴィッド・フィンチャー監督作品 |
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