フアン・ロマン・リケルメ
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フアン・ロマン・リケルメ(Juan Román Riquelme、1978年6月24日 - )は、アルゼンチン出身、元同国代表のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー(トップ下)。ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に所属。
アルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織でキャリアをスタートさせる。当時のポジションは中盤の底の守備的ミッドフィルダー。アルヘンティノスの練習場近くに住んでいた元アルゼンチン代表監督のカルロス・ビラルドに見出され、ビラルドのボカ・ジュニアーズ監督就任にともなってボカに移籍。ポジションを現在のトップ下に替える。カルロス・ビアンチの監督就任によって、ボカの10番を背負いレギュラーに定着。トヨタカップを頂点に数々のタイトルを手に入れた。そんな中、弟であるクリスティアンが身代金誘拐されるという事件が起こる。無事に解放されたものの母国への絶望感と深い心の傷を負い欧州への移籍を切望する。その後移籍したFCバルセロナでは不遇の時を過ごしたが、レンタルで移籍した同じスペインのビジャレアルCFで復活。クラブ史上初となるUEFAカップ出場に引き続きチャンピオンズリーグ出場にも大きく貢献。2005-2006シーズンのチャンピオンズリーグではベスト4進出の原動力となったが、彼自身のPK失敗によってチームの敗退が決定的となるという悲劇も味わった。2006-2007シーズンは、ビジャレアル首脳陣との確執などによってメンバーから外される事が多くなり、2007年2月9日に古巣ボカへの復帰が発表された。
アルゼンチン代表では1997年にデビューするものの、なかなかレギュラーに定着できずにいたが、2004年に就任したホセ・ペケルマン監督から絶大な信頼を受け、チームの主柱として活躍。2006年ドイツW杯では敬愛するディエゴ・マラドーナのナンバーである10番を背負った。チームはベスト8で敗退したが、自身は5アシストを記録しW杯アシスト王に輝いた。W杯後に新監督として就任したアルフィオ・バシーレ監督にはキャプテンを任され、代表での存在感は更に高まった。しかし2006年9月12日、彼への過剰なバッシングに耐えられなくなった母親がW杯以降2度も病院に運ばれ、病状が悪化したことを理由に同国代表からの引退を表明した。「何よりも大事なのは家族」と彼らしい決断であった。
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[編集] プレースタイル
足裏でボールを操る技術(ピサーダ)は世界でも指折り。 絶対的なキープ力とボディバランスをほこり、足元にボールが入った場合はファウル以外ではほぼ奪取できず、そこから相手を引き付けて繰り出される長短含めたパスは世界屈指。
得点力もかなりのもので、リーガ・エスパニョーラに於いて毎シーズン10ゴール以上は決めている。
得意技としてコーナーキックを直接ゴールに決める「オリンピック・ゴール」がある。
彼の伝説のプレーとしては、ボカ時代に見せたルーレットに股抜きを混ぜたようなものがある。
[編集] 人物
- 貧民街出身。
- 10人兄弟の長男。
- 1男2女の父親。
- 憧れの選手はディエゴ・マラドーナとジネディーヌ・ジダン。
- ジダンのサンティアゴ・ベルナベウ最後の試合ではユニフォームを交換し、後日「感激だった」と珍しく大喜びしていた。
- パブロ・アイマールと非常に仲が良いことで知られている。
- インタビューで「好きな選手は?」との問いには必ず「アイマール」と答える。そのアイマールも「好きな選手は?」との問いには必ず「リケルメ」と答える。
- 引退後はアイマールの地元のクラブで一緒にプレーするという計画があるらしい(アイマール発案)。
- カルロス・テベスは弟のような存在。
- ゴール後にするトッポ・ジージョポーズが有名だが、これの起源として「娘が好きだから説」と「(ボカ在籍時に揉めていたマウリシオ・マクリ会長に対して)ファンの声が聞こえるかという挑発説」がある。後者の説は親しい友人たちによって暴露されてしまったもので、彼自身はメディアの前では決して認めない。
- ラテン音楽であるクンビアを愛聴している。
- だが、ところ構わずクンビアをBGMにするため、あのアイマールですら「これだけは理解できない」と苦笑する。
- 大変シャイな性格のためインタビューなどは苦手だが、メディアへの対応をこなすうちに多少は改善された模様。
- 家族愛と友情を何よりも大事にしている。
- 日本の指令塔・10番、中村俊輔と同じ1978年6月24日生まれ、O型。中村と同じく2002年日本・韓国W杯には惜しくも選出されず、2006年ドイツW杯で10番を背負い念願の初出場。
- 国際サッカー連盟(FIFA)技術部門トップであるホルガー・オジェック氏が『世界のファンタジスタ6傑』に指名した事もある。(フランス代表ジダン、イタリア代表トッティ、ポルトガル代表デコ、『アルゼンチン代表リケルメ』、日本代表中村俊輔、ガーナ代表アッピアー)
[編集] タイトル
- クラブタイトル
- アルゼンチンプロサッカーリーグ優勝3回
- コパ・リベルタドーレス優勝2回
- トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ優勝1回
- アルゼンチンユース代表
- 1997年ワールドユース・マレーシア大会優勝
- 個人タイトル
[編集] 所属チーム
ボカ・ジュニアーズ - 2007 |
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1 ボバディージャ | 2 シルベストレ | 3 M・ロドリゲス | 4 イバーラ | 5 バタグリア | 6 ディアス | 7 バロスケロット | 8 レデスマ | 9 パレルモ | 10 リケルメ | 11 マリオーニ | 12 カランタ | 14 パラシオ | 15 マリーノ | 16 オルテマン | 17 ボセッリ | 19 カルドソ | 20 マイダナ | 22 カアイス | 23 ダトロ | 24 バネガ | 25 ミグリオレ | 28 ビジャファニェ | 29 フランソイア | 30 C・ロドリゲス | 不明 クルポビエサ | 不明 ベルトロ | 監督 ルッソ | |
先代: ロマーリオ |
南米年間最優秀選手 2001 |
次代: ホセ・カルドーソ |
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