フォルクスワーゲン・タイプ1
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Volkswagen Type 1 (Volkswagen Beetle) |
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製造期間 | 1938年 – 2003年 |
ボディタイプ | 2ドア セダン/カブリオレ |
エンジン | 空冷水平対向4気筒OHV |
全長 | 4070mm/4110mm/4140mm |
全幅 | 1540mm/1585mm |
全高 | 1500mm |
車両重量 | 930kg/890kg/780kg/760kg/730kg/ |
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フォルクスワーゲン・タイプ1(フォルクスワーゲン・ビートル、Volkswagen Type 1(1型))は、フォルクスワーゲンの大衆車。
目次 |
[編集] 概要
ヒトラーの夢と政治力、およびフェルディナント・ポルシェの夢と設計技術により誕生し、アイヴァン・ハーストにより破滅の状況から復帰し国民車としての生産体制が軌道に乗り、ハインリッヒ・ノルトホフにより世界のフォルクスワーゲンとなった車である。正式車名はフォルクスワーゲン1200、フォルクスワーゲン1300、フォルクスワーゲン1303/S、フォルクスワーゲン1303 LSである。多くのバリエーションがありその多様性から一語で指し示す用語として、英語のType 1という型式名やビートルといった愛称が用いられる。
Type 1(ドイツ語はTyp 1)はフォルクスワーゲン社内の生産型式番号で「1型」という意味であり、フォルクスワーゲン社の一号車であることを表している。これは型式でよぶことの好きなエンスー系のよび方であり、一般には、愛称で呼ばれる。英語圏では、そのカブトムシの様な形から「ビートル(Beetle)」「バグ(Bug)」、ドイツでは1960年代後半より「ケーファー(Käfer=カブトムシ)」という愛称で親しまれた。ブラジルなどでは「フスカ」(Fusca=南米産の巨大ゴキブリ)と呼ばれ、日本では英語の「ビートル」の他に「カブトムシ」や「ワーゲン」と呼ばれている。これらは愛称であり、ニュー・ビートルでフォルクスワーゲン社はビートルを初めて車名に用いている。
1938年から2003年の間に継続して生産され、累計2,100万台以上を生産した。これは、4輪自動車における世界最多記録である。この車のデザインをモチーフとした「ニュー・ビートル」は1998年に生産が開始された。
[編集] 歴史
この車は1933年、ナチス・ドイツのヒトラーが、ベルリンで開催した自動車ショーの席上でアウトバーンと国民車構想の計画を打ち出したところに始まる。その頃、まだまだ高価だった自動車を国民全員が所有できるというのは、ナチスが国民の支持を得るのに絶好の計画であった。
ヒトラーは、後にスポーツカーメーカー・ポルシェの初代社長になり、その名前になったフェルディナント・ポルシェに国民車の設計を依頼した。ポルシェはナチスの支援していた戦前のGPカーアウトウニオンの設計に携わっていた。ヒトラーは、ポルシェに国民車の条件として、時速100キロの速度で大人3人と子供2人が乗車可能なこと、7リットルの燃料で100kmの走行が可能である(=1リットルあたりの燃費が14.3km以上である)こと、空冷エンジンの採用、価格が1000ドイツマルクをきるなどの厳しい条件を示した。
契約を結んでから2年後の1936年にやっとのことでプロトタイプ2台の製作が完了、1937年には計30台のプロトタイプが製作された。翌年1938年には最終プロトタイプVW38が仕上がり、同年5月には工場の定礎が行われて、その会場でヒトラーは生産型の車を『KdF(日本語訳:歓喜力行号)』と命名した。しかしこの後、ヒトラー自身がはじめた戦争(第二次世界大戦)のため国民車構想は全く進められなかった。KdF工場は軍用仕様のキューベルワーゲンやシュビムワーゲンを主に生産するようになった。若干数のKdFも軍用車両として用いられた。この工場では戦争捕虜や収容所収容者が労働させられており明日があるのかもわからない状況だった。(現在のフォルクスワーゲン社は直接の責任はまったくないが歴史担当部門を設け1998年から各種の戦争補償プログラムをおこなっている。)
ドイツは戦争に敗れ、KdF工場後は空爆で壊れていた。初代社長アイヴァン・ハーストはナチスの爆破隊が爆破したように見えたといっていた。資材のない戦争後の時代であり、ドイツ国内のさまざまな工場は、米国、フランス、イギリス、ソ連の占領4国らが、ばらばらにして自らの資材として持ち帰ってしまうような状況であった。しかしアイヴァン・ハーストは協力的なドイツ人に希望を感じ、工場を修復しながら、残っていたドイツ人労働者の力でその名の通りの「国民車・フォルクスワーゲン」をはじめて誕生させたのだった。アイヴァン・ハーストは英国軍の供給資材としてフォルクスワーゲンを用いることを提案し1946年には1万台のフォルクスワーゲン・ビートルを生産した。英国軍はジープに代わる車が必要だった。1947年には、海外への輸出が始まった。
その後、タイプ1(ビートル)のほかにも2シーターカブリオレのヘブミューラー・カブリオレや、生産数が少なく、幻の車とされるロメシュ(ロメチュ)、ワンボックスのタイプ2やノッチバック、ファストバック、ワゴンを擁すタイプ3、カルマン・ギア、4ドアのタイプ4などがラインアップに加えられてきた。
ビートルは時代に合致し世界中でベストセラーとなった。最初期型の生産から40年以上に渡り世界中の人々に愛され、作り続けられた。
[編集] エンジン
エンジンは空冷水平対向4気筒OHVで、車体の最後部に置かれるRR(リアエンジン、リアドライブ)車である。そのため、前のボンネットの下がトランクになっている。また、エンジン交換が比較的容易で、1970年代などに盛んに行われたファン・ミーティングで「エンジン脱着競争」(ル・マン式スタートの如く、車から離れたスタート地点から二人一組のチームが車に駆け寄り、エンジンを外した後、それを台車に載せてスタート地点に戻り、また車に戻ってエンジンを装着し、エンジン始動の後車をスタート地点までバックさせてゴール。平均タイムは20分少々)が恒例行事として行われていた。
また、これのエンジンを使ったフォーミュラカー、Vee(1200ccエンジンを使用)・Super Vee(1600ccエンジンを使用)のシリーズも存在し、同シリーズからはニキ・ラウダがF1まで駆け上っている。
[編集] トリビア
当時の車としては気密性も高く「水に浮く車」としても有名だった。ほとんど無改造のビートルがイタリアのメッシーナ海峡を横断したり、フォルクスワーゲン社の実験では、エンジンをかけたままプールに沈めたところ、9分あまりも沈まなかったという。洪水に流されたが無事だったというエピソードもいくつかある。
[編集] 文化としてのビートル
その人気や知名度の高さ、愛嬌あるルックスから、映画や小説などに登場することも多い。 ほとんどの作品で「古いビートル」として描かれていることも特徴的である。
- 秋篠宮文仁親王のかつての愛車。
- LOOK - ラストシーンからはじめよう
- アビイ・ロード - ビートルズのアルバム。
- 未来警察ウラシマン - VMビートルを改造したマグナビートルが登場。デザインは大河原邦男。
- ARIEL - 宇宙人によって小型宇宙船に改造されたビートルが登場。
- グレムリン - 主人公ビリーの愛車。
- 名探偵コナン - 主人公コナンの協力者、阿笠博士の愛車として、たびたび登場。
- 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー - サイバトロン・ミニボット情報員バンブルが変形する。
[編集] 映画
ディズニーの一連のヒット映画「ラブ・バッグ」シリーズでは、感情を持ったビートル「ハービー」が活躍する。
- ラブ・バッグ The Love Bug (1969年)
- 続ラブ・バッグ Herbie Rides Again (1973年)
- ラブ・バッグ/モンテカルロ大爆走 Herbie Goes to Monte Carlo (1977年)
- ビバ!ラブ・バッグ Herbie Goes Bananas (1980年)
- 新ラブバッグ ~ハービー絶体絶命!~ The Love Bug (1997年)
- ハービー ~機械仕掛けのキューピッド~ Herbie: Fully Loaded (2005年)
[編集] 関連項目
- フォルクスワーゲン・カブリオレ (Typ 15)
- フォルクスワーゲン
- フォルクスワーゲングループ
- VWニュービートル
- フォルクスワーゲン・ゴルフ
- ヤナセ - 1953年~1978年までの日本での輸入元
- タトラ - 同時期に着想・設計されたほぼ同一コンセプトの量産車
[編集] 外部リンク