プレートアーマー
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プレートアーマーとは、人体の胸部、あるいは全身を覆う金属板で構成された鎧。板金鎧とも呼ばれる。
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[編集] 概要
これらの鎧は、全身に装甲をすることで人体の防衛力を高めようとしたものだが、それに対する武器の発生も促し、耐久力を増す事で必然的に重量は増加したものの十分に着て戦えるバランス配分がされていた。また、パーツを取り替えることにより、騎馬用、徒歩用など多目的に使えた。例えば長い拍車などは騎馬用であり、五本指のガントレットは手綱を持つためである。しかしミトンガントレットは接近戦では大切であり、あるいは五指ガントレットの上からオーバーガードをつけて使用された。鎧は種類にも拠るが、重量は数十キログラムにも及び、鎧だけでも20~30kg、兜や武器を含めると35kgを超えた。徒歩で使用することを前提としたものでは、鎖帷子などの付属物を含めると平均して30~40kg程度であったとされる。 しかし騎馬による戦法では敵陣に切り込む際には、通常の切り合い以外にも側面からの矢やフレイルなど回り込んでくる武器もあり、重量があっても耐久力のある鎧が用いられた。板金加工技術が進んで軽量化が行われた17世紀のマクシミリアン様式(フリューテッドアーマーとも)では20kg前後であった。特に焼きの入ったスプリング鋼を使用した甲冑は厚みが半分ほどであり非常に軽量だったし十分な防御ができた。しかし、これは非常に高価であった。
これらの鎧は基本的に体にフィットしたものが用いられ、よくフィットしたプレートアーマーは活動の自由をそれほど妨げないが、サイズの合わないものは行動の自由を奪うだけではなく、防御性能も低下したことであろう。このためプレートアーマーは主にオーダーメイドで製作された。また、全身鎧は新規で買うと高価なもののため、鎧を先代から受け継ぐなどした場合、次代の体にあわせて改造した事もあった。
プレートアーマーは防具としての意味合いが強いが、むしろ着る武器であった。これは甲冑剣術が斬るよりも打撃を中心に考えられたからで、甲冑の重量は武器となりより強いインパクトを与えた。 片側のガントレットだけで1kgもあり、装甲の薄い兵士がこれで殴られることはその重さのハンマーで殴られることに等しい。
なお過剰な重量化の一端には、戦乱期の終息と共に盛んになっていった馬上槍試合用の防具(一種のスポーツ用プロテクター)としての発達もある。馬上槍試合では相互に木製の槍による突打を行い、落馬したものが負けとなるが、この突打は幾ら木製の槍とはいえ生身で受ければ競技者に致命傷を追わせる。(馬上槍試合はスポーツであるため、その槍は砕けるような構造であり、衝撃を緩和させる)このため打撃を受ける盾や肩には強固な装甲が施され、また首周りも予期せぬ打撃で負傷しないよう固めてある。槍試合では前方のみ見えていれば事足りるためでもあるが、これらは関節の自由度も低く、落馬すれば文字通り「自力で動くことができない」ものも存在する。「西洋甲冑は重くなりすぎ戦場で転倒したら起き上がれない」という話はこのトーナメント・アーマーと戦闘用アーマーを混同したことによる誤りである。
近年ではファンタジーRPGの普及にも伴い、一般では全身を覆うものに関しては「フルプレートアーマー」とも呼ばれ、単にプレートアーマーというと人体の急所が多い胴体を覆うものや胸当て・背当てをさす傾向も見られる。ただし厳密にはプレートアーマーと呼ぶ場合は、全身を板金によって覆うタイプの鎧を指す。
[編集] 歴史
古代ギリシアや古代ローマではロリカ・セグメンタータのような胸と下腿部を覆う型のプレートアーマーが使用されていた。これはローマ帝国崩壊後に廃れてしまったが、13世紀後半になって鎖帷子の上から関節や脛を保護するためにプレートアーマーを着用するようになった。
その後、ニュルンベルクやミラノでプレートアーマーは発展していったが、こうした鎧は完全オーダーメイドであることから非常に高価で、身につけられるのは上流階級に位置する貴族、騎士のみであり一種のステータスシンボルでもあった。このため貴族などは意匠を凝らした鎧を着け贅を競う風潮も始まっている。しかし、水力ハンマーや足ふみ研磨機などの工業化が進み、様々な異なるサイズを量産することが出来るようになった。その結果、兵士身分でもフルプレートを着ることが出来た。彼らは装甲兵士と呼ばれる
16世紀頃の神聖ローマ帝国では最後の騎士とも呼ばれた皇帝マクシミリアン1世の時代を最後に鎧を貫通する火器の発達により、全身を覆う防具としてのプレートアーマーは廃れていった。
しかし、その後も儀礼用の装飾を施したパレードアーマーと呼ばれ意匠を凝らしたものは残り続け、その存在感や装飾性から美術品として現代にいたるまでも珍重されている。これらは彫金や見栄えのする飾りなどが取り付けられており、また実戦よりも儀礼的に利用されるため、このパレードアーマーでは17世紀よりでは軽量化のために実際の耐久性は考慮されていないなどの特長も見られる。その一方で馬上槍試合用の鎧は重点を固める方向で重量化、こちらも衝撃を受けない部分が簡略化されるなど、戦闘に於ける実用性は失われ、槍試合に特化したものに変化していった。
これらの装飾用プレートアーマーは現代でも製作され続けているが、一部では趣味の製作者が自動車のスクラップやドラム缶の板金で製作している…などと言った話も聞かれる。現代のものはほぼ装飾用で、一部では歴史再現物などのコスプレの一種(→Historical reenactment(英))として着用可能なものが流通しており、ヨーロッパなどではパレードや歴史再現劇などの祭典用に用いられるほか、日本でも趣味の需要があるため販売されている。
現代に於いて実際の戦闘行為では、ボディアーマーのような柔軟性があって軽量、かつ急所となる部分を重点的に防御する様式のものが主流である。全身を被うタイプの鎧は、行動も制限されやすくなるために現在ではすっかり実用性を失っているが、その一方でパワードスーツのようなアイデアもあり、今のところ軍事用のものではサイエンス・フィクションなどにしか登場しないものの、アメリカ軍が真剣に開発中という話も出ている(→パワードスーツの項を参照されたし)。
[編集] 武器開発に与えた影響
プレートアーマーの発展はそれに対抗する武器の発展にも影響を与えた。
この鎧は刃を通さず打撃(特に切断)に強かった、強力なクロスボウであれば装甲を貫通できたかもしれないが、一般的なクロスボウでは、撃った後に次の矢をつがえるか、反撃から逃れることができるような、ある程度の遠距離から2mmの厚さの鉄板でできた装甲を貫くエネルギーを得ることは容易ではななかった。このためクロスボウは次第に強力化していき、短く太い専用の矢を使うものが利用され、これによって狙撃された騎士も少なくない。詳しくはクロスボウの項を参照されたし。
その一方でメイスやハンマー(戦槌)等による殴打は装甲そのものを破壊することこそできなかったが大きく陥没させることはあり、その衝撃によって人体に打ち身のような外傷を与える事ができた。特に重いものでは骨折したり裂傷を負ったりもしたため、鎧の下に打撃を吸収するキルティングの下地をつける場合もある。モーニングスターのように打撃力と貫通力を持つ武器が発達したりもしており、この他には鎧の貫通に特化した金属棒のような、シルエットは細身の剣に似ているが、細く固い金属棒で、実際は柄の無い槍のような武器も登場している。
プレートを全身に身につけるとしても、関節の可動域を確保するためにはどうしても隙間が発生することは避けられず、剣や短剣を用いてその隙間を狙う技術が発展し、これに対抗するために戦士達は鎧の下に更に鎖帷子をシャツのように着込んでいた。また、鎧のつなぎ目や鎖帷子の隙間を狙う刺突に特化した剣や短剣が誕生した。
この他には棒状武器の中に「引っ掛けて引き倒す」という機能に特化したものも多い。これは比較的軽装の歩兵などが装備し、あまりに鎧が重くなったために落馬すると自力ではすぐさま馬に這い上がれない騎士などに利用された。ハルバードなどは、その典型的な「引っ掛けて打ち倒す」ことを前提とした武器である。これらで引き倒された騎士は歩兵などに群がられ、倒れたところを鎧と兜の隙間から短剣を刺し入れられて倒されたという。
[編集] 構成,構造
プレートアーマーは頭部を保護するヘルメット、喉を守るゴルゲット、ポールドロンまたはスポールダーと呼ばれる肩当て、肘を守るコーター、二の腕を守るヴァンブレイス、手首を守るガントレット、脇をまもるペサギュ、胸部と背部を守るキュイラス、腰部を守るフォールド、タセット、キュレット、チェインメイルスカート、大腿部を守るキュイッス、膝を守るポレイン、脛を守るグリーブ、足を守る鉄靴ソールレット等からなる。 様々な形状の金属板を切り出し、ハンマーで叩いて3次曲面のパーツを構成していく。 これらのパーツで体の動きを妨げないよう構成する。多くのパーツはリベットで留められる。 ソルレット、ガントレットなどはパーツの左右に穴を開けリベットでかしめ、回転軸とし自由度を持たせる。スライドリベットは一方の穴を大きくしワッシャーをいれてリベット自体の穴に自由度を持たせる。 また、革ベルトにリベットでパーツを留める。タセットやゴチック式の肘部分は外からは見えないが革ベルトであり柔軟に可動する。 板金の厚みは1mm~1,6mmほど。敵にさらす左側をより厚くしたものも多い。グリニッジ甲冑などは肘を大きく作り盾の代用とする。
フルセットでの重量は最低でも20kg以上はあったが、これは20世紀の歩兵の標準装備重量と比して重すぎるものではない。しかし銃器による撃ち合い(銃撃戦)が主体となり、また必要に応じて背嚢を一時的に何処かに置いて行動する現代戦闘とは異なり、この装備重量のまま1打撃ごとに全身で撃って掛かる剣戟では、如何に鍛えられた騎士といえども体力の消耗は激しく、また全身を覆うことから来る通気性の悪さや、鎧の下に着るものを調節する訳にも行かない暑さ・寒さという点でも、否応無く鎧を着た者の体力を削るものであった。
勿論鎧をつけた騎士が戦地に赴く際は、騎士自身が装具や食料・衣類や野営具を持参する訳にも行かず、常に従者がこれらの消耗品・必要品を運搬する必要もある。このため騎士には常に一人~数名の従者がついていた。(→騎士)
[編集] 着用法
ギャンベゾンという鎧下を着る。リネンなどを幾層にも重ねて縫い合わせたキルト状のもので、ある程度の防刃と衝撃吸収の役目がある。高級なものは中にコットンが入っていた(当時はシルクよりコットンのほうが高価であった。現在手芸で人気のあるキルトは戦争に行く夫や恋人のために女性が作ったギャンベゾンが源流である)チェーンメールの時代は裾が長く鎧を上に着るだけのものであったが、後期になると裾が短くなり、体の線にぴったりとした立体裁断になる。後期のものはアームングジャケットと呼ばれる。アーミングジャケットは肩や腰にあながあいており、そこに紐をとおして鎧を結び付けた。大腿部の鎧はアーミングジャケットの腰の位置に穴を開け、上からベルトをとおす。ベルトには穴と同じ位置に穴が開けられ、紐はギャンベゾンの裏から穴をとおしてベルトを抜け大腿部のパーツに結び付けられる。体に密着させることでより着心地が良く、バランスもとれ鎧のずれもなくなった。アーミングジャケットには肘、脇、首回りにチェーンメールのシートが取り付けられており、これで関節部分を防御する。脇の下には布地は無くチェーンメールだけである。これは放熱を狙ったものだ。 高級な手間のかかったギャンベゾンは全身に放熱用の小さな穴を開けており、その周囲は全て糸でかがってある。
[編集] 関連項目
- ドイツ式剣術訓練所
- 南蛮胴
- フリューテッドアーマー
[編集] 外部リンク
- The Archaeometallurgy of Armour (英語) - アラン・ウィリアムズによる鎧の金属考古学。鎧と各種武器の保有するエネルギーについての考察。