ベルンハルト・リーマン
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann, 1826年9月17日 - 1866年7月20日)はドイツの数学者。解析学、幾何学、数論の研究は、現代数学への発展に大きな影響を与えた。病身のために、その研究生活は短く、アーベル関数に関する研究によって当時の数学者から評価された。だが、先駆的な彼の研究は一部の数学者を除くとあまり理解されなかった。リーマンの数学は20世紀になると多くの分野で再評価され、現在では、19世紀を代表する数学者の一人と考えられている。
彼の名前が残っている数学用語に、リーマン積分、コーシー=リーマンの方程式、リーマンのゼータ関数、リーマン多様体、リーマン球面、リーマン面、リーマン=ロッホの定理、リーマン予想などがある。
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[編集] 生涯と略歴
リーマンは1826年に現在のドイツのダンネンベルク近くの小村ブレゼレンツに牧師の息子として生まれた。1847年に、ゲッチンゲン大学に入り、ガウスと初めて出会う。その年に、ベルリン大学に移って、ディリクレ、ヤコービ、アイゼンシュタインから楕円関数論や偏微分方程式論を学ぶ。1849年にゲッチンゲン大学に戻り、1851年にガウスのもとで論文「1複素変数関数の一般理論の基礎づけ」を提出して博士号を取得、1854年には「幾何学の基礎にある仮説について」で大学教授資格を取得した。(リーマン幾何学についての講演については、数学者ガウスが興奮のあまり、同僚にしばらくこの着想のすばらしさを語りつづけたといわれる。)二つの論文によって、複素解析の基礎づけとリーマン幾何学を確立した。1857年に予備教授となり、1859年にディリクレの後継者として正教授になった。1862年に妹の友人エリーゼ・コッホと結婚したが、この時期から病状が悪化して、イタリアで療養。1866年に旅の途中にマッジョーレ湖の近くで39歳という年齢で亡くなった。その生涯についてはリーマン全集に掲載されたデデキントの小伝がある。
[編集] 主要な業績
複素解析の分野はコーシーによって独力で研究されていたが、リーマンは1851年の学位論文で写像やリーマン面など新たな成果を組み込むことで複素解析の基礎づけを行った。1854年の教授資格講演「幾何学の基礎にある仮説について」ではリーマン幾何学を確立した(後にアインシュタインによって一般相対性理論に応用された)。現代数学で重要となる多様体の概念はこのとき初めて提唱された。リーマンが当時の数学者によって高く評価されたのは、(ヤコービの逆問題を解決した)1857年発表の論文「アーベル関数の理論」によるところが大きい。
また、三角級数による表現に関する論文では、リーマン積分の概念を提示することで、解析学の基礎づけにも寄与した。リーマンの数論に関するただ一編の1859年の論文「与えられた大きさよりも小さい素数の個数について」は、解析的整数論の中でも最も重要な論文で、ゼータ関数についてのリーマン予想を述べた。この予想は21世紀になっても重要な未解決問題の一つとなっている。
リーマン自身は自分の数学理論を物理学に応用したいと考えていたが、彼は準備していた研究を生前に公表するには至らなかった。
[編集] リーマンの数学の影響
リーマンの主要な後継者はリーマン・ロッホの定理で知られるグスタフ・ロッホと代数曲線論を発展させたアルフレッド・クレプシュのだったが、この二人は若くしてなくなってしまった。ゴルタンもリーマンとの交流があり、当初はリーマンの研究を継承しようとしていたが、不変式論で独自の研究へと進んでいった。
現在では、リーマンの数学的業績の多くがさまざまな分野に浸透しているが、19世紀には、複素解析の基礎づけもリーマン幾何学も正当な評価を得ていなかった。複素解析の分野では、ワイエルシュトラスがリーマンの複素解析の基礎づけにギャップがあることを指摘したため、多くの数学者が疑念を共有するようになった。その一方で、ワイエルシュトラスが主導していたベルリン学派の数学者たちはリーマンの複素解析と楕円関数の研究を検討するようになり、シュワルツは幾何学的方法によってリーマンのギャップを解消する交互処理法を導入し、フックスは特異点のまわりでの解の解析接続を研究するためにリーマンの方法を利用するようになった。また、フェリックス・クラインはリーマンの複素解析に関する論文を発表し、この分野での研究を促していった。1900年、ヒルベルトは(ワイエルシュトラスが批判した)ディリクレの原理の問題を解消し、その後、ヘルマン・ワイルがリーマン面を厳密に定義したことで、リーマンの複素解析での業績は再評価されることになった。ポアンカレはリーマンが示した位置解析のアイデアを発展させ、トポロジーを体系的に研究した。ジーゲルはリーマンの遺稿を分析することで、リーマン予想に関するリーマンの研究の中に、すでにその後の研究を先取りする内容が含まれていることを発見した。
リーマンの複素解析を支持したフェリックス・クラインだったが、エルランゲン・プログラムとの違いからリーマン幾何学に対しては否定的な姿勢をとる。リーマン幾何学の研究はリーマンが晩年に滞在していたイタリアで発展していった。リーマン自身はリーマン幾何学の計算技法を十分に与えなかったが、それを補うテンソル解析がベルトラミ、レヴィ=チヴィタによって発展させられた。この分野はアインシュタインの相対性理論の登場によって注目されることになる。
三角級数に関する論文は、ルベーグ積分とカントールの集合論の発展に影響を与えた。
[編集] 主要論文
- Grundlagen für eine allgemeine Theorie der Functionen einer veränderlichen complexen Grösse (1851)
- Ueber die Hypothesen, welche der Geometrie zu Grunde liegen (1854)
- Theorie der Abel'schen Functionen (1857)
- Beiträge zur Theorie der durch die Gauss'sche Reihe F(α, β, γ, x) darstellbaren Functionen (1857)
[編集] 参考文献
- 日本数学会 『岩波数学辞典(第3版)』 岩波書店、1985年。ISBN 4000800167
- D.ラウグヴィッツ 『リーマン 人と業績』 山本敦之訳、シュプリンガー・フェアラーク東京、1998年。ISBN 443170762X
- ベルンハルト・リーマン 『リーマン論文集』 足立恒雄、長岡亮介、杉浦光夫訳、朝倉書店〈数学史叢書〉、2004年。ISBN 4254114605
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Georg Friedrich Bernhard Riemann MacTutor History of Mathematics archive.(英語)