マット・ウインタース
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マット・ウインタース(Matt Winters , Matthew Littleton Winters , 1960年3月18日 - )は日本ハムファイターズに在籍していた元プロ野球選手である。
右投げ左打ちで、主なポジションは外野手、指名打者。背番号は10。アメリカ合衆国・ニューヨーク州・バッファロー出身。
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[編集] 来歴・人物
1978年ドラフト1位でニューヨーク・ヤンキースに指名される。ヤンキース傘下、シカゴ・ホワイトソックス傘下などを経て1989年、カンザスシティ・ロイヤルズでメジャー初出場するが、アメリカ時代はマイナー生活が長く、その守備のお粗末さからか、なかなか昇格出来ずにいた。
マイナーでは芽が開かなかったが、1990年にファイターズに入団してからは持ち前の長打力を発揮。打率は2割7分~8分台が主だったが、入団以来4年連続30本塁打以上と大活躍。本塁打王を一度も獲得していないのは当時、西武でプレーしていたデストラーデがいたからである。ウインタースは3年連続でデストラーデに次ぐリーグ本塁打数2位だった。更に当時はプレー以外でもパフォーマンスでファンを沸かせるなど、ファイターズの中心打者として欠かせない存在となる。
1991年、1992年、1993年と3年連続で30本塁打以上を記録。ここ一番で放つ本塁打は多くのファンを魅了した。それに加えて、パフォーマンスを欠かさないスタイルは多くのファイターズ、プロ野球ファンに好かれた。当時の大沢監督もウインタースを気に入って、不動の4番として起用していた。
1994年は22本塁打・81打点を記録するなど現役としてやっていける成績だったが、日本ハムファイターズを退団し、同年ファイターズを最後に引退。
引退後はマイナーリーグのコーチ、スカウトを経て現在は北海道日本ハムファイターズ駐米スカウトを勤めている。
[編集] 略歴
投打:右投げ左打ち
出身地:アメリカ・ニューヨーク州・バッファロー
経歴:ニューヨーク・ヤンキース(1978年~1984年)-シカゴ・ホワイトソックス(1985年~1988年)-カンザスシティ・ロイヤルズ(1989年)-日本ハムファイターズ(1990年~1994年)
[編集] 背番号
- 10(1990年~1994年)
[編集] 通算成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | 所属 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | 日本ハム | 127 | 468 | 73 | 130 | 21 | 1 | 35 | 97 | 3 | 0 | 2 | 73 | 98 | .278(14) |
1991年 | 日本ハム | 130 | 472 | 57 | 127 | 24 | 0 | 33 | 84 | 3 | 0 | 2 | 72 | 97 | .269(20) |
1992年 | 日本ハム | 120 | 426 | 70 | 120 | 21 | 1 | 35 | 79 | 1 | 0 | 1 | 76 | 77 | .282(17) |
1993年 | 日本ハム | 130 | 460 | 78 | 114 | 14 | 0 | 35 | 87 | 5 | 0 | 3 | 94 | 124 | .248(26) |
1994年 | 日本ハム | 130 | 466 | 68 | 121 | 23 | 2 | 22 | 81 | 0 | 0 | 1 | 89 | 112 | .260(22) |
通算成績 | --- | 637 | 2292 | 346 | 612 | 103 | 4 | 160 | 428 | 12 | 0 | 9 | 404 | 508 | .267 |
[編集] 愛称
- 踊るホームラン王
[編集] エピソード
ひょうきんなキャラクターとしても有名で、珍プレー好プレーなどの番組にも欠かせない存在であった。ユニフォームを上下逆さまに着てダンスしたり、ちょんまげのかぶり物をしたり、チアガールと一緒にダンスしたりと、プレー以外でも大人気で、今ではすっかりお馴染みになった雨天中断時のグラウンド一周ホーム滑り込みのパフォーマンスを定着させたのは彼である(それ以前にも広島に在籍したマイク・デュプリーなどが披露したことがあるが、他の選手が追随するには至らなかった)。
さらに、雨で試合が中断されると大喜びでベンチ前に飛び出てマジックを披露、観客から喝采を浴びた。マジックネタも、飽きられると次々と新作を披露し、敵地ながら藤井寺球場で行われる近鉄戦では、5回のグラウンド整備の際に演じられるSKD(松竹歌劇団)メンバーによるダンスに参加、それもバファローズのトレーバー選手のユニフォームを借用し、念の入ったことに付け髭まで着用して踊りまくるという芸を見せてくれたがこれは一時期、藤井寺名物になっていたらしい。
熱心なカトリック信徒で、自分の持ち物に刺繍されていた「10」の0の中にペンで十字架を書いていたほどである。
水島新司の野球漫画には、1990年代後半から外国人が出てこなくなったが、それ以前の時代に「あぶさん」に主役級で登場している。
来日前は同郷のザ・デストロイヤーから日本の生活習慣を聞いて来日したという。
[編集] 関連項目
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