マルエーフェリー
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マルエーフェリーは、鹿児島県鹿児島市泉町に本部を置くマルエーフェリー株式会社の海運業である。本社は鹿児島県奄美市名瀬入舟町にある。旧社名は大島運輸株式会社。
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[編集] 沿革
- 1953年12月 - 大島運輸株式会社を設立。
- 1956年4月 - 鹿児島支店を開設。
- 1957年8月 - 鹿児島-沖縄航路を開設。
- 1958年9月 - 鹿児島奄美各島間一般旅客定期航路事業免許取得。
- 1962年3月 - 鹿児島-那覇航路を定期化。
- 1962年10月 - 東京支店開設。
- 1963年5月 - 東京-那覇間定期航路開設。
- 1964年5月 - 東京-奄美-那覇間一般旅客定期航路事業免許取得。
- 1969年2月 - 沖縄支店開設。
- 1969年5月 - 大阪支店開設。
- 1970年5月 - 資本金9,700万円増資。
- 1972年4月 - 神戸事業所開設。神戸-奄美各島旅客定期航路開設。
- 1972年6月 - 鹿児島航路増船複線化。
- 1973年12月 - 資本金3億400万円増資。
- 1975年5月 - 鹿児島-那覇航路をフェリー化「エメラルドあまみ」就航。
- 1976年2月 - 資本金3億3,500万円増資。
- 1977年11月 - 鹿児島-那覇航路に「あけぼの丸」就航。
- 1979年6月 - 福岡営業所開設。
- 1979年11月 - 資本金4億5,500万円増資。
- 1980年5月 - 東京-那覇航路に「波之上丸」就航。
- 1981年7月 - 阪神-那覇航路をフェリー化「あかつき」就航。
- 1985年4月 - 組織改編、本部機構を鹿児島に配置。
- 1986年7月 - 東京航路に「ありあけ」(初代)就航。
- 1987年5月 - 東京航路が志布志寄港、フェリー化。
- 1989年9月 - 鹿児島航路に「フェリーあけぼの」就航。「あけぼの丸」係船後海外売却。
- 1992年7月 - 阪神航路に「ニューあかつき」就航。
- 1992年10月 - 宮崎営業所開設。阪神航路が宮崎寄港。
- 1994年6月 - 鹿児島航路に「フェリーなみのうえ」就航、「波之上丸」海外売却。
- 1995年9月 - 東京航路に「ありあけ」(二代)就航、「ありあけ」(初代)海外売却。
- 1998年3月 - 内航運送業許可取得。
- 2003年2月 - 阪神航路に「琉球エキスプレス」就航、「ニューあかつき」は「フェリーあかつき」に改名し鹿児島航路へ転籍、「フェリーあけぼの」海外売却。
- 2005年6月 - マルエーフェリー株式会社に社名を改称。
[編集] 航路
※括弧書きは寄港しないことがある。
- 東京港・有明フェリー埠頭 - 志布志港 - (奄美大島・名瀬港) - (与論島・与論港) - 那覇新港ふ頭
- 神戸港・六甲船客ターミナル - 大阪港・南港フェリーターミナル - (宮崎港) - 名瀬港 - (徳之島・亀徳港) - (沖永良部島・和泊港) - (与論港) - 那覇新港ふ頭
※2006年10月以降、宮崎港への寄港は休止されている。 - 鹿児島新港 - 名瀬港 - 亀徳港 - 和泊港 - 与論港 - 本部港 - 那覇港
[編集] 船舶
ファンネルマークはオレンジに赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が書かれ、余白は白色となっている。
船体の塗装は上半分が白、下半分が青、船体側面中央には赤字で「A"LINE」の愛称が書かれ、船首には3本の青線と赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が描かれている。
- フェリーありあけ(東京航路)7,910t 1995年竣工 旅客定員150名
- 琉球エキスプレス(阪神航路)6,266t 2003年竣工 旅客定員240名
- フェリーあかつき(鹿児島航路)6,412t 1992年竣工 旅客定員800名
- フェリーなみのうえ(鹿児島航路)6,586t 1994年竣工 旅客定員804名
- フェリーたかちほ(内航RORO船)3,891t 1990年竣工
[編集] 運行管理状況
フェリーたかちほは、1991年6月にマルエーフェリー前身の大島運輸の子会社「晴海汽船」(破産)が所有・運航していたが、1人乗り漁船と衝突して漁船は大破、船長が骨折するなどの重傷を負った。また、1999年5月16日にもプレジャーボートとの衝突事故を起こしている。このときは、海上保安部に指摘されるまで衝突に気付いていなかった。そして、2006年4月にも、東京から那覇に向かう途中の四国・足摺岬沖において漁船との衝突事故を起こしている。
2007年2月9日に発生した幸吉丸の当て逃げ沈没事件では、同13日、那覇新港到着後に船長が船首部を目視で確認したところ。衝突と見られる擦過痕を発見したために会社を通して第十管区海上保安本部(以下、十管)へと通報した。
会社側は、同14日午前中に十管の事故加害船舶の調査中に衝突の事実を認めた。同社は、「気がつかなかった」だけで「当て逃げ」ではないと主張している。
同日午後に、前日那覇寄港時に十管へ提出していた塗料サンプルが被害船 の付着した塗料が被疑船と一致したことを確認している。
15日午後に、東京有明埠頭に入港後、フェリーたかちほの船体を海上保安庁と海難審判理事所が立ち入り調査を行った。同日夜、同船は、那覇新港へ向けて出港した。17日夜に那覇新港に入港後、十管は、業務上過失往来危険容疑で捜索して運航マニュアルなどを押収した。
同日深夜には、東京へ向けて出港の予定であったが、十管の捜索のために1往復分を欠航した。22日まで那覇新港に停泊した後に通常運航へと復帰している。
当時の見張りが1人であったことが判明している。 この事故で九州運輸局は会社に対し見張り体制が不十分として安全確保を求める命令を出し、会社側は、航行中、乗組員2人以上による見張りを必ず行うことや、全船舶が集約・寄港する沖縄県那覇港に沖縄運航管理室を新設し、運航管理室長(副運航管理者)という新たなポストを設けて、乗組員の指導を徹底することなど、4つの改善点を盛り込み改善策をまとめた報告書を鹿児島市の九州運輸局鹿児島運輸支局に提出している。
現在も海上保安庁が捜査中。
[編集] 関連会社
- 奄美海運 - 鹿児島から奄美諸島へのローカル航路を運営。