産業革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)とは、18世紀から19世紀にかけて主に西ヨーロッパで起こった工場制機械工業の導入による産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことである。この語は、1837年にルイ・オーギュスト・ブランキが初めて用い、その後、アーノルド・トインビーが著作の中で使用したことから学術用語として定着した。かつては各国ごとに産業革命が起こるとされたが、南北問題に代表される経済格差が問題視されるにつれ、「工業化」あるいは「経済の離陸」という見方がされる様になる。
目次 |
[編集] 背景
18世紀のイギリスにおいて、毛織物工業などによる資本の蓄積や、大西洋三角貿易を通じた豊富な原料の供給、第二次囲い込みにより農地から切り離され都市に流入した労働力、商品輸出を可能とした海外市場などがかつては産業革命の要因とされた。しかし現在ではこれらの多くはさほど重要ではなかった事が明らかになっている。
[編集] 資本の蓄積
- 初期の産業革命においてはそれほど多くの設備投資が必要ではなかった為、資本の蓄積というストックよりも信用によるフローこそが重要であったとされる。
[編集] 労働力
- 囲い込みも第一次囲い込みは確かに農村での雇用を奪い、都市への人口流入を招いたが、地域が限定されていた為、それほどの影響力は持たなかった。また、第二次囲い込みも新技術の導入の結果、より多くの労働力を必要とする様になったため、従来言われた様に余剰労働力を発生させる事はなかった。むしろ、この頃、全ヨーロッパ的に進行していた人口増加こそが産業革命を支える労働力を提供したと考えられている。
[編集] 海外植民地
- 資本の蓄積にしろ、人口増加にせよ、イギリス固有というよりもヨーロッパに共通の事柄であり、現在よく言われる様に、産業革命前夜のイギリスとフランスではさしたる差は存在しなかった。むしろ手工業という点ではイギリスよりも大陸諸国の方が若干発達していたともされる。にもかかわらずフランスで起きなかった産業革命がイギリスで起こった原因は、イギリスにあってフランスに無かったもの、つまり広大な海外植民地であった。初期の産業革命で生産された雑工業製品の多くがヨーロッパ外の地域に向けられた事からも産業革命における海外植民地の重要性を見て取る事ができる。
[編集] 需要と市場保護
- インド産キャラコによって綿織物に対する需要が生み出されたが、ほどなく産地を問わずキャラコの輸入は禁止された。この措置は国内綿織物産業の保護策として働き、国産綿織物の躍進へつながった。さらに生活革命により、その他の雑工業製品に対する需要は飛躍的に大きくなった。これにより工業化がもたらす商品生産能力向上を吸収・消費する国内市場が形成された。
[編集] 第一次産業革命
石炭、蒸気機関を動力源とする軽工業中心の発展。イギリスでは18世紀におこり、フランス、ドイツなどではその影響を受けつつ、19世紀に入ってから本格化した。イギリスの産業革命が自生的なものであったのに対し、フランス、ドイツなどでは国家の果たした役割が大きかった。
以下ではイギリスのケースを説明している。 (stub)
[編集] 「燃料革命」と製鉄技術の改良
イギリスでは、燃料としていた木炭の消費が激しくなったことで森林破壊が進んでいた。こうした中、木炭から石炭へと燃料が切り替えられた。これを「燃料革命」とも称する。また、石炭を加工して作られるコークスを用いたコークス製鉄法がダービーによって開発されたことで、鉄製機械の生産が容易になった。
[編集] 動力源の開発
石炭の採掘が盛んになると、炭坑に溜まる地下水の処理が問題となった。こうした中、1712年にニューコメンによって蒸気機関を用いた排水ポンプが実用化された。1785年、ワットが蒸気機関のエネルギーをピストン運動から円運動へ転換させることに成功、この蒸気機関の改良によって、様々な機械に蒸気機関が応用されるようになった。
[編集] 織機・紡績機の改良
1733年ジョン・ケイが、織機の一部分である飛び杼を発明、織機の高速化が起こる。このことで綿布生産の速度が向上したが、旧来の糸車を使った紡績では綿糸の不足が問題となった。そのため、1764年ハーグリーヴズのジェニー紡績機、1769年リチャード・アークライトの水力紡績機、そしてこれらの特徴を併せ持ったクロンプトンのミュール紡績機が1779年に誕生し、綿糸供給が改良される。それを受けてエドモンド・カートライトが蒸気機関を動力とした力織機を1785年に発明し、さらに生産速度は上がった。
[編集] 移動手段の発達
1807年のフルトンによる蒸気船の発明、1804年のトレビシックによる蒸気機関車の発明とスティーブンソンによるその改良によって人間・貨物の移動がより容易になった。
[編集] 関連事項
[編集] 第二次産業革命
石油、モーターを動力源とする重工業中心の発展。エネルギー技術が進む。主に19世紀。 (stub)
[編集] 諸国の産業革命
[編集] イギリス
世界初の産業革命を起こした国。ただしイギリスで産業革命が起こった事によって、他国での自発的な産業革命の可能性が摘み取られてしまったとの理解も可能である。
一般的にイギリスにおける産業革命は1760年代から1830年代にかけて起こったとされ、自発的であるが故に産業革命は長期に渡っているが、先行する技術改良などを視野に入れて更に長い期間を「産業革命期」と見なす見方もあり、そのあまりの期間の長さから産業革命不在論などの論争も起こった。 当初はアメリカを綿花の生産地としていたが、独立と米英戦争を経て、アメリカが経済的に自立を始めるとインドを原料供給地とする様になる。この様にイギリスの産業革命は原料供給、市場ともに海外植民地の存在を前提としており、フランスとの植民地争奪戦において勝利を収めた事がイギリスにおいて産業革命が起こった要因の一つとなっている。
イギリスは繊維工業で世界的な覇権を握ったが、その後、19世紀後半の重化学工業への転換に遅れ後発のドイツやアメリカに猛追を受ける事となった。この要因として、軽工業での成功が大きかったため新規事業の必要性が少なかった事。また中小資本が無数に存在するという産業構造のため巨大資本を必要とする重化学工業への転換が遅れた事。国家的な政策の下、市場の保護と産業の育成が行われたドイツなどとは異なり、自由主義の下、関税障壁などの保護政策が一切行われなかった事などが挙げられる。この状況に対して、イギリス産業界からイギリス帝国以外の地域からの輸入に対しては保護関税をかけるべきだとの声も上がり、チェンバレンが中心となって帝国関税改革同盟などの団体を組織しキャンペーンを展開したが、自由貿易を基本方針とするイギリス政府はこれを採用する事はなかった。イギリスは自らの繁栄を築いた自由主義によって自らの首を絞めたとの見方も可能であるが、帝国特恵関税の失敗の裏にはイギリスにおける産業資本と金融資本の断絶がある。諸外国の工業化への資本投下を進めていた金融資本にとっては、イギリスの市場を開放し発展を支えるほうが利益となったためである。
19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリス経済は貿易収支が赤字であったものの、海運業や保険業、国際金融部門の手数料収入によりサービス収支が黒字であった。さらに、海外投資の配当や利子などの増加で所得収支が黒字であったため、経常収支は黒字であった。
イギリスは最初の工業国であるが故に、世界の市場、特に軽工業製品で圧倒的なシェアを誇ったが、必ずしも他国の産業の発展を阻害した訳ではなく、上述の資本投下という形以外にも、高価・高品質な製品を輸出し潜在的な需要を生み出す事によって市場を拡大し、安価な低番手品の製造者であった新興工業国の工業化に寄与していたという見方も可能である。
[編集] ドイツ
ドイツ関税同盟などを背景に経済的な領域を確立したドイツでも産業革命が起きた。イギリスの例と対比されることも多い。
- 銀行資本の出資による積極的な拡張投資:ハイペースな事業拡大
- 独占企業の発生:シェアと利潤の確保
- 研究に基づく技術革新:科学者との協力で技術を生み出す
化学や軍事の分野で成果を挙げ、イギリスと伍する大国になり覇権を争うこととなる。
[編集] アメリカ
南北戦争での勝利後、工業地帯である北部の保護貿易による躍進で産業革命が起きた。広大な大陸の東西両端に大都市があるアメリカでは大陸横断鉄道建設のブームにより産業化が進行した。また、各産業で独占企業が発生した。また、実業家への賞賛と羨望が、有能な人間を国内のみならず海外からも惹きつけたことが発展の大きな原動力となった。
[編集] 日本
幕末に佐賀藩で反射炉が建設され、洋式の製鉄が始まった。また、田中久重等によって蒸気船、蒸気機関車の雛型(模型)が作られ後に我が国における産業発展の礎となる。 明治維新後の、政府の殖産興業政策によって進められた。第一次産業革命の典型が富岡製糸場、第二次産業革命の典型が八幡製鉄所である。(stub)
[編集] 社会への影響
[編集] 社会政治
大量生産により、物価が下がった反面、劣悪な環境での労働といった労働問題、都市のスラム化による衛生面の悪化などの社会問題の発生が生じた。産業革命により工場労働が一般化し、労働者階級が形成される事となった。階級意識に目覚めた労働者たちは第一回選挙法改正によって選挙権を与えられなかった事に反発し、参政権を求めてチャーティスト運動を展開した。また資本主義の悪弊を是正しようとする社会主義が生まれたのもこの時代である。チャーティスト運動は結局失敗に終わったが、高まる労働者の要求に1867年第二回選挙法改正が行われ、都市の労働者に選挙権が与えられる事となった。
[編集] 都市化
工業化による都市への労働力の集積で、各地で都市化が進行し、住環境の悪化、過密、治安の悪化などの新しい社会問題を生み出した。
[編集] 経済構造
産業革命により極度に発展した資本主義は、金融資本と産業資本の融合した独占資本を生み出した。独占資本は政治にも深く関与し、活動範囲としての「市場」の拡大を政府とともに進めようと考えるようになる。当初の工業諸国は国内市場が貧弱で、貿易に依存せざるを得なかった事情もあり、植民地は単なる原料供給地としてではなく、市場と余剰資本の投下先として見られるようになり、重要性が再認識される。こうして帝国主義が生まれ、世界分割をめぐる二度の世界大戦を引き起こす原因となった。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 18世紀のヨーロッパ史 | 19世紀のヨーロッパ史 | ヨーロッパ史 | 歴史学 | 経済史 | 技術史 | 世界史 | 産業革命 | 歴史関連のスタブ項目