ミノルタのカメラ製品一覧
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ミノルタのカメラ製品一覧は、ミノルタ(コニカミノルタ)の発売してきたカメラ関係の製品の一覧。
ミノルタのカメラはその初期の頃からロッコールブランドの自社製レンズを装備していた。良く写る優秀なレンズが多く、ミノルタ製カメラの名を高からしむる原動力となった。一眼レフ時代に入ってからも数多くの名レンズを供給し続け、使い易い高信頼性のボディーと相まってミノルタユーザーに愛された。AF一眼レフカメラのαシリーズは、AF化に伴いMFとの互換性をなくした新マウントのミノルタAマウントを採用すると共に、レンズから絞り環をなくして絞りもシャッタースピードと同様にボディー側で制御する機構を取り入れた。デジタル一眼レフにも積極的に対応し、α-7000シリーズの裏蓋交換によるデジタルパックからAPX規格の交換レンズを使う機体に発展した。しかし、これが一眼レフ交換レンズをフル活用するシステムを開発した二大メーカーから水を空けられるきっかけとなってしまう。コニカミノルタは世界的にも業績のあったフィルム生産から、レンズ・カメラに至る写真関連産業から完全撤退することになる。
[編集] 銀塩カメラ
[編集] MF一眼レフカメラ
[編集] SR-2
発売を断念したレンジファインダーカメラ「ミノルタスカイ」(1.4.2項参照)のノウハウを生かして1958年に開発された、ミノルタで最初の1眼レフカメラ。シャッター速度はBと1秒~1/1000秒(倍数系列)。クイックリターンミラー・半自動絞り(絞込みは自動だが、直後には絞りが開放しない)を備えた最新鋭一眼レフだった。ただしシャッターダイヤルは1軸不回転式であるものの、旧態依然とした不等間隔の持ち上げ式であった。半自動絞り機構は、レンズの絞り開放レバーを手動操作するペンタックス(オートタクマーレンズ)とは異なり、巻き上げ操作に連動して絞りも開放になる仕組み。露出計は無い。このカメラにあわせて作られた最初期タイプのオートロッコールレンズは後のオートロッコールとは絞り連動ピンのストロークが異なるため、SR-2とSR-1の初期モデル以外では装着が出来ても完全に絞り込むことが出来ないものが多い。
[編集] SR-1/New SR-1/SR-1s
SR-1は普及廉価タイプの1眼レフカメラである。上級機種とは異なりマイナーチェンジによる名称変更が無かったため、見た目も動作も異なるSR-1が多数存在する。
- 1959年式のモデルはSR-2の廉価モデルとして誕生、シャッター速度1/1000が省かれているほかはSR-2とまったく同一。
- 1960年モデルはシャッターダイヤルが等間隔クリック式に改められたほか内部機構も一新されている。
- 1961年モデルはSR-3の廉価タイプで、完全自動絞りになりSR-3と同様のシャッター速度連動式露出計のソケットが、SR-1のロゴがあった部分に設けられた(この位置にソケットという仕様はSR-1sまで共通)。このためSR-1の刻印は左側へ移動されている。1961年モデルの途中あたりからSR-1のロゴの色が緑→黒に変えられた。
- 1963年モデルは前年発売のSR-7の廉価モデルで、外形がSR-7にあわせて少し角ばったものに変化している。
- New SR-1はNew SR-7と同じ1965年に登場し、基本機能はそのままに小型化されミラーアップ機能も追加された。
- SR-1sはNew SR-1に1/1000秒のシャッターを取り付けたSR-1シリーズの最終型で、SR-T101の廉価版として1967年に登場した。
[編集] SR-3
SR-2に外付け露出計ソケットを付加したもの。ただし、内部の機構が一新されており、実際にはSR-1の1960年型に1/1000秒シャッターと露出計ソケットをつけたものと考えられる。初期のSR-3は半自動絞りだったが、途中から完全自動絞り機能が付いた。
[編集] SR-7 / New SR-7
1962年に登場。世界で初めてCdS素子使用の外光式露出計を内蔵した1眼レフカメラ。露出計はシャッター速度に連動し、指針が指す絞り値に合わせることで適正露出となる。また逆望遠タイプでない超広角レンズを使えるようにするため、ミノルタの1眼レフとしてはじめてミラーアップ機能がつけられた。ただし、ミラーアップするにはミラーアップダイヤルを回してから1度シャッターを切る必要があった。
型番が前作からいきなり「7」になったのは、このSR-7が通算7代目(SR-1などのマイナーチェンジを含む)のミノルタ1眼レフであり、同年に発売されたレンズシャッター式カメラ「ハイマチック」(「ハイマチック」の項に詳細な記述あり)の改造モデルが米国の宇宙船「フレンドシップ7号」に持ち込まれ、乗員のグレン中佐によって使用されたことをアピールしようとしたため。 なお、翌年に発売された「ハイマチック」の後継機種には同様に「ハイマチック7」と「7」の番号がつけられた。
1965年発売のNew SR-7は、SR-7の機能をそのままにベースとなるフレームを一新して小型化を図ったモデルである。
[編集] ER
1963年に登場した輸出向けの廉価レンズシャッター式1眼レフで、国内には販売されていない。セレン光電池による露出計を内蔵し、シャッター速度優先のAEが出来る。シャッターはBを除く1/30秒以下が省かれており、レンズ(ロッコールTD45mm F2.8)は固定されており交換できない。このロッコールTDは1964年に自動絞り付のSRマウントレンズとして、SR-1とセットで少数販売されたが、これが日本初の1眼レフ用薄型標準レンズ(パンケーキレンズ)である。
[編集] SR-777(試作機)
1965年に開発された絞り込み式TTL測光の試作機。絞り込み測光方式では速写性に劣ると判断されたため、SR-T101の直接の土台にはならなかった模様。
[編集] SR-T101/SR-Tスーパー/SR505/SR101
SR-T101は、1966年ミノルタ初のTTL測光方式を採用した一眼レフカメラとして誕生した。ファインダー視野の上下を2個のCdS受光素子で測光し、風景撮影の折などに空の強い明るさで全体が露出不足になる傾向を補正できるのが特長。現在の分割測光のはしりである。この方式をミノルタではCLC(コントラスト・ライト・コンペンセーターの頭文字)と名づけ、以降この方式を採用しているカメラはCLCの刻印が入っている。
SR-7で空シャッターを切る必要があったミラーアップ機構は、空シャッターを切る必要が無い仕組みに改められた(ただし後期に生産されたSR-T101には、ミラーアップ機構自体が省かれているものがある)。
使用感が良く故障も少なく、多くのユーザーに愛用され約7年間にわたって製造された。底面の露出計スイッチは操作しづらいが、開放測光機であるため普段は操作する必要はない。
SR-T101にはシャッターダイヤルが黒い初期型と銀色の後期型があり、巻き上げ関連など内部機構にも多少の違いが見られる。
SR-T101のために、TTL露出計に絞り値が連動するMCロッコールレンズ群が開発された。MCロッコールは当初外観がオール金属であったが、SR-T101の改良型であるSR-Tスーパーが発売された1973年頃にモデルチェンジされ、ゴムローレット巻きとなった。なお、SR-Tスーパーはファインダー内で絞りの数値を視認できるように改良されている(SR-T101のファインダー内視野では露出計とシャッター速度の表示のみ)ほか、多重露光機構の追加、アクセサリーシューがフラッシュコンタクト付になった(デザインも小変更)。国内のみならず、アメリカ市場にも多くが輸出され好評だったという。
SR505/SR101は1975年に登場したマイナーチェンジ(SR505はSRTスーパーから、SR101はSR-T101から)機種。ミラーアップを省略し、フィルムインジケーターとメモホルダーが追加された他はマイナーチェンジ前の機種に準ずる。
SR-Tシリーズはほかに型番違いの輸出向け小改造モデルが数多く存在している(SR-T100、SR-T SC、SR-T303など)。
[編集] SR-M
上記のSR-1sからセルフタイマー・露出計ソケットを取り外し、アクセサリーシューとモータードライブ装置をつけ1970年に登場したカメラ。8本の単3乾電池を使用して1コマ撮り / 最大秒間3コマの連写が可能で、巻き戻しもモーターで行うことができる。モータードライブ機構は一体型で取り外しできないが、グリップ兼用の電池ユニットは着脱式。電池不使用時は通常の巻き上げレバーと巻き戻しクランクを使用できる。
デザインはSR-1sとはかなり異なっており、どちらかというとSR-T101に近い。
このカメラ用に、250コマ撮りフィルムバックも発売された。
[編集] X-1/X-1モーター
X-1は、1973年にミノルタが発売した初のプロフェッショナル用超高級一眼レフカメラ。
AEカメラとしては世界初の交換式ファインダーと多数のスクリーンマットの組み合わせは、当時、暗かったファインダーの視野をオーナーが独自にカスタマイズできるものであり、マクロ撮影など特殊な環境で使用するカメラマンに愛用された。
用途に合わせた交換ボディという概念でX-1と同時進行で開発されながら、X-1モーターは製品化が遅れて1976年にようやく発売となる。ボディ重量が約1.5kg、決して高速とはいえない撮影速度(3.5コマ/秒)、高価であった事などが要因となり販売実績は伸び悩み、営業的には失敗した。しかし、後継機不在のためラインナップには残り続け、αシリーズ投入までミノルタのフラッグシップとして君臨していた。
[編集] XE/XEb
XEはX-1に続く絞り優先式AE一眼レフカメラで、1974年に登場。X-1が高級機であるため、中級機種としては初のAE機。やや大柄で重く高価であったが、ライツ社と共同開発したコパルライツシャッターを搭載し、高信頼性、故障の少なさ、抜群の使用感が特徴であった。このボディーダイカストをライツ社が利用して同社初のAEカメラであるライカR3を開発したことは有名である。
1976年登場のXEbは、XEのペンタプリズムのカバーを総プラスチック製にし、アイピースシャッター、FPシンクロ接点、絞り直読窓、フィルムシグナル等を省略したコストダウンモデル。 それほど売価が下げられず、後継機XD発売までの期間が短かったため、XEより生産数は少ない。
[編集] XD/XD-s
XDは1977年世界初の両優先式AE一眼レフカメラとして誕生。XEより小型軽量化され、絞り優先、シャッター優先の両AEとマニュアル撮影モードが可能である。翌年発売されるキヤノンA-1に装備されたプログラムAEモードはなかった。
但し、このカメラのシャッター優先AEモードの特長として設定したシャッター速度によって適正露出が得られない場合、自動的にシャッター速度を変更し適正露出を得られるというサイバネーション・システムなる機構がある。
このカメラは露出モードセレクターのシャッター優先AEモード・シャッター速度の1/125秒(中後期の機体)、MDロッコールレンズの最小絞りが緑色で表示されており(グリーングリーングリーンシステム)、この3要素を全てグリーンに合わせる(意図的に、合わせなくても)と一般的な撮影において自動的に適正露出が得られ、プログラムAEとして使うことができた。この点をミノルタはマルチプログラムAE「超自動露出」と称しこのカメラのセールスポイントにしていた。
ファインダーのピントグラスには自社開発の非常に明るいアキュートマットを採用しており、このカメラの登場以前と以降でファインダーの明るさが雲泥の差となっている。この点でも革新的なカメラである。後にこのアキュートマットはハッセルブラッドにOEM供給された。ボディーには当時提携していたライツ社の影響を受け、質感が高く堅固な黒色クローム塗装が用意された。この種の塗装は、現代の環境排出汚水規制などのもとでは再現不可能だと言われている。ボディー両側はライツミノルタCLに似た持ちやすい形状となっている。
小型軽量で使用感が良く、多くのユーザーに愛用された。サイバネーション・システムのタイムラグは完全な機体では好みの範囲と言われるが、エアダンパーの粘りなどを併発した個体では不調となっていることもある。なお、このカメラでシャッター優先AEを使用する場合は新開発のMDロッコールを装着する必要がある。MCロッコールは事実上マニュアル並びに絞り優先AE撮影モードしか使用できない(大幅な制約を受けるもののMCレンズでもシャッター優先AEの使用はできる)。またMCロッコールをMDロッコールに改造することはできない。
XDのボディーダイカストはライカの一眼レフR4からR7にわたって長年使用された。
翌年登場したXD-sは老眼鏡使用のシニア(Sはこの頭文字)を主ターゲットとして、XDのファインダーに遠近の視度補正機構がつけられたモデルで、同機構の内蔵は世界初である。
[編集] XG-E/XG-S/X-500/X-70
XG-EはXDの普及版の位置づけで1977年に登場したが、その実は1976年のAE-1ショックに対抗すべく投入された絞り優先AE機である。ユニット工法の採用で低価格化と堅牢性の向上に成功している。シャッターボタンはタッチセンサーになっており、触れただけでカメラが測光を始める仕組みとなっている。
XG-SはXG-Eを細部改良したもので、電装の強化、絞り値直読窓の追加、明るいアキュートマットスクリーンへの交換、プレビューボタンを装備するなど実用性を上げ、外観はXG-E独特の撫で肩のラインではなくなった。
X-70はX-700の下位モデルという位置づけである。軍艦部のデザイン、モータードライブ対応など、一見するとX-700のスペックダウン機種のように見えるが、露出計、巻き上げ機構、フレームなど内部的なパーツはほとんどXG-Sから引き継いでおり、XG-Sの外装をX-3桁シリーズにあわせたマイナーチェンジと考えられる。マニュアル時のメーター動作にも対応している。XG-Sと同様にアキュートマットとプレビューボタンを装備している。
X-500はX-700のコストダウン版フレームを採用している。このフレームはX-600や海外モデルのX-300/370シリーズにも使われ、最後のモデルであるX-370sまで続いた。X-500ではフラッシュのTTL自動調光を搭載しており、X-700からの改善点として露出計のシャッターダイヤル設定値表示に対応した。NewX-700同様にAEロック機能を持ち、露出補正ダイヤルは省略された。
いずれも絞り優先AEのほかにマニュアル露出を持つ。
[編集] X-7
1980年市場に登場した普及型一眼レフカメラ。撮影モードは絞り優先式AEのみに特化、価格もXDの半値程度とし、初心者にも扱い易い仕上がりとなっている。宮崎美子のCMで大ヒットした。後に、X-7BLACKという派生モデルも発売された。これはX-7の外観をブラックとして小さなグリップを付け、ファインダーのスクリーンをより明るいもの(アキュートマット)に変更した機種であったが、X-7よりも小売価格で数千円も高く設定されていた。
[編集] X-700
長らくミノルタのマニュアルフォーカス一眼レフカメラの頂点に位置していた、初心者からハイアマチュアまで幅広い層に向けて作られた中堅クラスの機種である。X3桁シリーズの中では最上級モデルである。1981年の登場から1999年の販売終了まで18年間もの間、存在し続けた。発売時、国内向けのX-700にはAEロックが無かったが、ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーを受賞した際に海外向けと同じAEロック付きに切り替えられ、NewX-700と呼んで区別していた。NewX-700には白ボディがなく、白は旧ボディ、黒はNewボディで併売されていた期間もある。αシリーズが本流となった後は生産拠点を中国に移され、底板にCHINAの文字が入った。
絞り優先AE・マニュアルのほかミノルタMF1眼レフで唯一プログラムAE(要MDレンズ)を搭載し、フラッシュTTL自動調光との連携で露光のフルオート化を目指していた。倍率が高く明るいファインダー、使いやすさに定評がある。
[編集] X-9(試作機)
X-1に続くプロフェッショナル用高級一眼レフカメラとして開発された試作機。1984年発売を目標に開発されていた。
当時の高級一眼レフカメラである、ニコンF3及びキヤノンニューF-1に対抗すべく開発が進められていた。シャッター機構にはコパル製の最高速1/4000 シンクロ同調速度1/250を、露出制御もXDに採用されて以来のシャッター速度優先AEを加えたマルチモード、さらにそれまでのXシリーズのオプションであるモータードライブ1の巻き上げコマ速度を上回る秒間5コマのモータードライブまで計画されていた。
開発が中止された経緯は不明である。本格的AF一眼レフカメラであるαシリーズへ開発資産が集中されたためとも、当時提携が行われていたライカ社がそれまで使用していたXDのボディーダイカストに替わるボディーダイカストとして模索していたが不採用となったためとも言われるが定かではない。
X-9は、スカイやSR-777のように実機が完成しておらず、記載するほど確かな存在とは言いがたい節もある。 開発時期がα7000/9000と重なり、ボディ2種、レンズ、フラッシュ、モータードライブやアクセサリ一式を開発している上、α9000は当初からプロユースを想定しており、これとは別にプロ仕様の機種を開発する理由があったとは考えにくい。
なお、「X-9」の名は、αシリーズ登場後の1988年になって、輸出専用製品のX-300シリーズの派生機のひとつにつけられ、中国やアジア諸国で販売された。もちろん前述のX-9とはまったく無関係のカメラである。
[編集] X-600
後のAF特許侵害訴訟の端緒となる、ハネウェル製TCLモジュールを用いてピントの検出を行う「フォーカスエイド」(ミノルタでの呼称はスピードフォーカス)機構を搭載し1983年に登場した機種。デザイン的にはベースとなった海外向けのX-300とほぼ同じで、後のα-9000につながるラインを持つ。
露出制御は絞り優先AEとマニュアルの2種類となっている。ボディ右側に大型グリップ(電池室)が採用されているため、Xシリーズのオプションである「モータードライブ1」を取り付けることはできないが、「ワインダーG」は使用可能。
[編集] X-370s
2000年のX-700販売終了伴い発売されたミノルタ最後のマニュアルフォーカス式一眼レフカメラ。海外向け第一世代のX-300/370、外装を変更した第二世代のX-300s/370nに続く第三世代である。外装デザインを第一世代に戻し、グリップ部を合皮で覆う形に変更、外装の仕上げも無塗装プラスチックのローコスト仕上げにしてある。この海外で販売していた機種をX-700の後継として国内にも投入したものである。
X-300系もX-700とともに中国(シーガル社)に生産拠点が移されており、90年代後期には同じ金型、同じフレームを持ったシーガル・ブランドやその他のブランドのカメラが数多く登場した。ただし、これらミノルタ互換機は部品のローコスト化が激しい機種もあり、特にファインダーはペンタプリズム自体が反射率の悪い低価格品になっていて暗いなど、ミノルタブランドと同等品とは言いがたい。
[編集] 110ズームSLR/110ズームSLR マークII
その名の通り110フィルム(ポケットフィルム)を使用する1眼レフ。小型だが絞り優先AE、電子フォーカルプレンシャッターなど本格的な仕様を備える。レンズ交換が出来ないかわりにマクロ機能付のズームレンズを固定している。大変に奇抜な外形・仕様となっているが、110フィルムの画質の悪さはいかんともしがたく、簡便なイメージのカメラにもかかわらず非常に高価(特にマークIIはX-700とほぼ同価格)であったため売れ行きはよくなかった。
[編集] AF一眼レフカメラ
[編集] α-7000
実用的なサイズでストレスを感じさせないAF機能を実現したカメラで、実質的に世界初のAF一眼レフシステムカメラと言える機種である。同時に発売されたαレンズにはROMが搭載され、ズームレンズの画角によって露出のプログラムを変更したり、フラッシュの照射範囲を変更させたりと、システム全体での緻密な情報交換によってより高度な自動撮影が可能になった。このカメラの出現により国産一眼レフカメラのAF化が一気に進み、旧来のMF一眼レフは一部を除き駆逐されることとなった。
このカメラが当時の業界に与えた影響は極めて大きく、「αショック」という言葉さえ生まれた。発売当初から13本の交換レンズを揃えたAFシステムは各所にAFのための新技術が盛り込まれており、非常に注目を浴びた人気機種ではあったが、さらにそれが写真業界以外のマスコミにも報道されることになり一大ブームへと発展した。
※このカメラ出現の前段階として、ビントを電子的に検出するフォーカスエイドという機能を搭載したカメラ(ミノルタではX-600が該当)が各社より発売されており、これらの中には専用のAF対応レンズ装着によりAF撮影のできる一眼レフカメラが少数ながら存在していた。
しかし、1~2本のAF交換レンズ、大きく出っ張るレンズ内モーター、メーカーによってはレンズ側に測距機能を付けるなど、システム化には不向きな状態であり、価格も割高で画質を犠牲にしている場合もあり、さらに遅くて迷うAFなど、いずれも試作品のレベルから脱することができないままであった。
[編集] α-9000
αシリーズのフラグシップを表す“9”を冠した最初のAF一眼レフである。7000と同時開発であったが、7000の市場での様子を伺ってから投入された。同社としてはX-1以来のプロフェッショナル用途の機種であり、実用的なオートフォーカス機能を持つ初のプロ用一眼レフカメラと言える。(ニコンのF3AFは巨大なファインダー+2本の専用交換レンズを使うことでAF機能を使用できたが、内容は特殊カメラに近いものである。)
発売時は評価測光(多分割測光)、マルチスポット測光以外の当時考えられるあらゆる機能を持ち、更に最先端のスペック(露出制御でのマルチモード、最高速1/4000 シンクロ1/250の高速シャッター)を有していた。
AFの作動方法には特徴があり、ミノルタ独自のセンサー付きシャッターボタンに指を触れるだけでAEとコンティニュアス方式のAFが作動し、シャッターボタンの半押しでAFロックとなる。
AF機能についてはAFモーター駆動用電源がα-7000の6Vと違い3Vで動かされている為に発表当時から動作が遅いと言われていた(ワインダー、モータードライブを使用してもカメラ本体への電源供給はなされていないので変化はない)。
ファインダーにはXD/XD-S以来の視度補正機能とアイピースシャッターを内蔵し、フォーカシングスクリーンも交換可能で、交換できるフォーカシングスクリーンにはスプリットマイクロ方式のものまで用意されていた。ファインダー性能もAFに光を取られているハンデを感じさせない、マニュアルフォーカスにも十分対応できる質の良いファインダーを搭載していた。
レバー・クランクによる手動巻き上げ / 巻き戻しが可能なAF一眼レフカメラとしては最初で最後の存在であり、測光モード切り替えダイヤルを引き上げると巻き戻しクランクがポップアップするなど、操作系に関してはこだわりが強いカメラとなった。巻き上げには強力なシャッターチャージに力が必要なために重く、操作感はあまり良くない。また、小刻み巻上げも可能となっている。
[編集] α-5000
α-7000の廉価版として発売された。廉価版と言っても価格面での差は少なく、フレームは同じものを使用しており、共通部品も多い。機能面では露出制御モードや連続撮影機能の省略、モード制御用ボタン部にスライド式のカバーを取り付けるなど、ビギナー向けにインターフェースを変更して対応している。上位機種をスペックダウンして初級機を作るという手法は以前から行われており、α5000もその範疇に入るが、次の世代からは生産の合理化が進み、初級機は初級機の作り方で作るという手法に変わっていく。
[編集] α-7700i
αシリーズの第二世代モデル。AF測距点を3カ所に増やし、動体予測AFを搭載した。これは追随メーカーのAF一眼レフカメラ開発の指標ともなった。ハンス・ムートをデザイナーとして起用したデザインは秀逸で、第一世代の無骨さと異なり、直線とそれをつなぐ曲線が美しくまとめられている。また、機能面ではαシリーズの第一世代モデルで採用されたタッチセンサーは廃止、AF補助光発光機能を本体に内蔵、6分割測光機構の採用などでAF/AEともに他メーカーを圧倒した。
また、ミノルタ独自のカードシステムも採用され、主に露出制御関連の機能追加などをカードで行う事ができた。当時はカメラに積めるメモリ搭載量の上限が低かったため、あると便利な機能をカードで提供し、ユーザーは必要な機能だけを後付で買うことができた。
[編集] α-3700i
αシリーズ第二世代の最廉価モデル。α-7000に対するα-5000と違い、α-7700iとは根本的に別物として設計されている。露出制御はプログラムモード(標準とハイスピードの2種類)しか持たず、カードシステムすら装備されない。また、ファインダーには小型化と低コスト化のためにダハミラー方式を採用し、登場時においてはAF一眼レフカメラとして世界最小最軽量モデルであった。専用オプションとしてプログラムフラッシュが2機種あり(他の機種では電源の関係上、使用することは出来ない)、それぞれ必要時に自動発光を行う。 ここから初級機では徹底的な合理化によってコストダウンする方法が広まっていく。
[編集] α-5700i
αシリーズ初のフラッシュ内蔵型一眼レフ。内蔵フラッシュは現在主流のポップアップ式ではなく、固定式でズーム機構により照射角が変化する。機能面ではα-7700iより省略され、標準状態での露出制御はプログラムモードとマニュアルのみである。しかし7700iと同じカードシステムを採用し(一部は使用不可)、5700i専用の「A/Sカード」を用いる事で絞り優先およびシャッター優先モードが使用可能となる。
[編集] α-8700i
α-7700iの改良型。
改良点はシャッタースピードの高速化(ミノルタでは初の最高速1/8000秒)や中央部重点測光(従来は6分割測光とスポット測光)、露出調整ボタンの追加、シンクロソケットの装備に加え、操作面では露出補正機能の独立(α-7700iではファンクションキーにより露出補正を選択)等が挙げられる。また、多重露出機能を持つために「ファンタジーカード」を使用しての「幻想的」(メーカー説明による)な写真の撮影も可能となる。それ以外にも外装仕上げが変更(α-7700iは黒、α-8700iはガンメタ)されている。
シルエットはα-7700iとほぼ同じで目新しい機能の追加もなく、地味な存在ながらもより機能性・操作性の向上を目指したものとなっており、第二世代型αシリーズの完成型と言える。
限定品としてソビエト連邦の宇宙ステーションミールに搭載されたことを記念したパールホワイトのモデル(同色の標準ズームレンズ、フラッシュおよび記念テレホンカードが付属。機能面や性能面での違いは皆無)が存在する。
[編集] α-7xi
αシリーズの第三世代モデル。「ゼロタイムオート」 第二世代型αシリーズをより自動化したもの。ミノルタ独自のグリップセンサー、ファインダー接眼部下部のセンサーにより構えただけでAE、AFが作動、必要とあらばミノルタとしては初採用のポップアップ式フラッシュが動作し、さらには電動化されたズームレンズのズーム機構までが適切(と思われる)画角まで自動的に制御され、まさに使用者は「ただシャッターボタンを押すだけ」となる。しかし、ユーザーはここまでの自動化を求めてはおらず、さらにそれまでのαシリーズと一線を画すデザイン、大きさのため登場と同時に不評を買った。
また、多機能さと引き換えに操作性は複雑で、この部分においては同時期の他社の一眼レフカメラも同様の傾向にある。機能面ではAF測距点の追加、14分割測光の採用、巻き上げコマ速度のアップなどで、この点も同時期の他社のAF一眼レフとの差はほとんど無い。ミノルタ独自のカードシステムは引き続き採用され、電動式ズームレンズと組み合わせて使用する、「ファンタジーカード2」などが用意された。
[編集] α-3xi
xiシリーズの末弟で、フラッシュのオートポップアップなどが装備された。徹底した入門機。
[編集] α-9xi
α-7xiの上位機種として世界で初めてシャッタースピードとしては最速の1/12000秒を達成した。現在でもフォーカルプレーンシャッターにおいてはこの記録は破られておらず、後継機のα-9にその実力は受け継がれた。α-9の販売が終了し、コニカミノルタがカメラ生産から撤退した現在、このシャッタースピードを搭載するものは存在しない。9xiを含めたxiシリーズはカメラの自動化・電動化の極地とも言えるもので、その多彩な機能に比べてボタン・ダイヤル類が極端に少ない。1つのボタンに数種類の機能を持たせているため、初めて使う者にとっては操作が非常に難解で、当時のMINOLTAのシェアを大きく落とすことになった。
[編集] α-707si
αシリーズの第四世代モデル。第三世代型αシリーズでの自動化の極地の反動から開発された。これはそれまでの1ボタン多機能による煩雑な操作性を1ボタン1機能に絞り込み、さらにデザイン面でもある意味「冒険」的な曲線主体の第三世代型αシリーズよりも第二世代型αシリーズのラインに近いものが採用されている。
機能的な部分では、ほぼα-7xiと同じであるが、測光方式に更なる多分割測光であるハニカムパターン測光が継承された。また、第三世代型αシリーズで採用された「アイスタートシステム」は切り替えスイッチが増設されて残され、第二世代型αシリーズで採用された「カードシステム」もそのまま残されている。カードシステムはこの機種への採用を持って終了した。 また、総漆塗り限定モデルのα-707si JAPANがある。
[編集] α-303si
第四世代型αシリーズでの廉価モデル。露出制御モードに「シーンセレクト」方式が採用されている。
[編集] α-507si
商業的に失敗に終わったxiシリーズに次ぐα第4世代siシリーズ。
中でも507siは1つのダイヤル・ボタンに1つの機能を割り当てるクラシックオペレーションを採用。この操作系は後に発売されるα-9,α-7,α-7Dに引き継がれた。また、707siと異なり液晶パネルをファインダースクリーンと重ねることを廃止しているために逆光でもすっきりと見やすいファインダーに回帰している。
この機種で採用されたダイヤル・ボタンによるシンプルな操作性は同時代のカメラによく見られる多機能に伴う複雑な操作系を見直すきっかけとなり、以降は他のメーカーでも同様にダイヤル・ボタンによるシンプルな操作性を持つ機種が多く登場した。
[編集] α-303si super
α-303siの改良型。レンズマウント素材の金属への材質変更(従来はプラスチック)、リモートレリーズソケット、スポット測光機能が追加されている。また、従来機では暗さが目立っていたルーフミラーも改良され、ファインダーが大幅に明るくなっている。外装色も黒色からグレーメタリック系色に変更された。
[編集] α-807si
α-707siの改良モデル。内蔵フラッシュが大型化され、それが外観でも大きな特徴(別名:リーゼントヘッド)となっている。操作性も一部改良された。
内蔵されたフラッシュはポップアップ式にも関わらず、ズーム機構によって照射角が変化する。ガイドナンバーは20に達し、それまで発表されたカメラ内蔵型フラッシュとしては最大のものである。カードシステムは廃止され、多くの機能は標準装備となった。反面で、カードにより実現されていたミノルタ独自の特殊効果である多重露出のフェードイン&アウト機能、ファンタジーカード系、フィルムのラチュードを読み取ってH/S基準を補正する、などのアデッショナル機能は割愛された。
[編集] α-101si
第四世代型αシリーズでの最廉価モデル。α-5700i以来の固定式フラッシュが採用されている。
[編集] α-9
真のフラグシップ"9"。派手な機能は無いが、α初の視野率100%ファインダーをはじめ、1/12000秒の高速シャッター、単体ボディで秒間5.5コマのフィルム送給を達成、フルメタルボディなど、カメラとしての基本機能を極限まで追及した名機。150gの軽量化に成功した限定モデルα-9Ti(チタン)も派生した。
[編集] α-7
背面に大型のナビゲーションディスプレイが搭載された機種。各種設定が日本語(他の言語を選択することも可能)で表示されるため、わかりやすくなった。また、カメラを縦位置にすると、ナビゲーションディスプレイの表示も縦表示に切り替わる。撮影データを記録することができ、背面の液晶ディスプレイに表示することができるほか、専用のリーダーを使うことでスマートメディアに移し変えることが可能である。
α-9よりも後発の機種なので機能的に超える部分もあり、ミノルタ中堅機種の極致とも言える機種である。
カメラグランプリ2001を受賞。銀塩カメラとしては今のところ最後の受賞となっている。
[編集] α-Sweet / α-Sweet II
普及型AF一眼レフ。主として一眼レフ入門者やファミリー層をターゲットにしている。小型・軽量で女性も扱いやすいことをコンセプトにしている。「α-Sweet II」まで発売された。
[編集] α-70
ミノルタブランドでの最後の一眼レフカメラ。その後のコニカミノルタブランドではデジタル一眼レフのみ発売され、銀塩一眼レフカメラは発売されなかったことから、名実ともに最後の一眼レフカメラとなった。
発表前はα-7の改良型との誤った憶測が流れ、α-7の買い控えにもつながった。海外生産に移行しコストダウンを図った構成となっている。
[編集] VECTIS Sシリーズ
APS一眼レフ。レンズマウントはαシリーズとは互換性のない「ミノルタVマウント」を使用し、レンズ内モーターによるAFを採用。ボディもレンズも防滴構造で、マクロやレフレックスレンズを揃えるなど、意欲的なシステム一眼レフとして完成されていたが、αとの互換性の無さやデジタルカメラの登場によりAPS自体が衰退し売れ行きは伸び悩んだ。
[編集] レンズ交換式レンジファインダーカメラ
[編集] ミノルタ35
戦後間もなく登場したライカスクリューマウント機。35mmカメラだが、初期型はニコンI同様32mmx24mmフォーマットである(このフォーマットのモデルには、標準レンズとして50mmレンズではなく45mmレンズが取り付けられていた)。
[編集] ミノルタスカイ(試作機)
独ライツ社のライカM3に対抗すべく開発されたレンジファインダーの試作機。当時のミノルタの持てる力全てを注いで開発された。(同時期には日本光学、キヤノンでも対ライカM3の機種が製作された)ただし、当時既に一眼レフカメラの優位性が世界的に認知され始めており、創業者・田島一雄は米国への宣伝旅行から帰国した際、市販化寸前のスカイの開発にストップをかけ、SRシリーズの登場を促している。その後、試作機がミノルタサービスステーションなどで公開されており、試作機としての露出度合いは非常に高い。
[編集] ライツミノルタCL
ライツ(現・ライカ)社とミノルタが共同開発したレンジファインダーカメラ。マウントはMマウント。ライカM5を小型化したような設計で、シャッターも縦走行ながらメカニズムは横走行シャッターの機構を用いるなど様々な工夫が見られる。レンズはMロッコールレンズが用意された。
またこのレンズのブランドはロッコールであるが、90mm f4はライツ設計で、ライツから供給されていた。40mmも設計はライツである。
[編集] ミノルタCLE
ライツミノルタCLの後継機として登場。当初はライツと共同開発を予定していたが、最終的にはミノルタ単独開発となった。このCLEがミノルタ最後のレンズ交換式レンジファインダーカメラになった(後にレンズ交換式カメラ「ヘキサーRF」をコニカミノルタとしても販売していたが、「ヘキサーRF」はコニカがミノルタと合併する前に開発したカメラである)。絞り優先AEが可能で、同時に用意されたM-Rokkor 28mm f2.8は傑作として今も人気が高い。
[編集] レンズ固定式レンジファインダーカメラ
[編集] ミノルタAシリーズ
ミノルタAは1955年に発売された、ミノルタ初のレンズシャッター式35mmレンジファインダーカメラで、シャッターを前後逆に搭載してレンズの出っ張りを薄くしてある。ボディはだるま型をしている。翌年発売されたA2はファインダーを採光式に改良し、シャッター・レンズを小変更した機種。いずれもシャッターやレンズなどが異なるモデルが存在する。
この後、だるま型をやめ一般的なデザインを持つA3(1959年発売)、1/1000秒シャッターを持つA5(1960年発売)、A5にセレン露出計を追加したAL(1961年発売)が発売される。ALの後継は、初代ハイマチックに近いデザインを持つAL-2(1963年発売)で、厳密にはAシリーズではないが、ハイマチックシリーズでもないためこちらに含める。
[編集] オートワイド
1958年、ワイドカメラ(35mmレンズを装備したカメラ)ブームのまっただ中で、連動露出計を世界で初めて内蔵し登場した35mmレンズ装備のワイドカメラ。この後、ワイドブームの火付け役となったオリンパスワイドを発売したオリンパスが矢継ぎ早に新型ワイドカメラを発売するのに対し、ミノルタは広角・望遠レンズを自由に使える一眼レフが普及することを見込んで、ほかにワイドカメラを開発することは無かった。なおオートワイドには距離計が無いが、便宜上この項に含めた。
[編集] ミノルタV2 / V3
それぞれ、シチズンオプチパーHSシャッターを搭載してレンズシャッターで最高1/2000秒・1/3000秒のシャッター速度を出すことが出来る高級カメラ。ただし、シャッターを全開させずに途中で閉めることによってこの速度を実現しているため、最高速使用時は小絞りでしか使えない。V3はセレン光電池による連動露出計を装備している。
[編集] ユニオマットシリーズ
追針合致式セレン露出計と手動プログラムシャッターを搭載した普及機。露出計の指針を参考に手動でプログラムシャッターを操作する方式で、厳密にはAEではない。
初代からIII型まであるが初代とII型はデザインの小変更で、III型のみセレンがリング状になるなど大きく改良された。いずれも搭載しているシャッターはシチズンオプチパーユニで、最高速度は1/1000秒にも達しEV18までの明るさに対応する。しかし当時は高感度のフィルムが無く、プログラムシャッターでは使用頻度が限られていいたため、後のハイマチックでは1/1000秒シャッターは廃止された。
米アンスコ社に輸出販売されたものはアンスコセットという名前で、国内版には存在しないCdS露出計を搭載したものもあった。
[編集] ハイマチックシリーズ
このシリーズは非常に多くの機種があるため、個々のカメラについては記載しない。
初代ハイマチックは大口径45mmF2レンズを積みながらもプログラムAE専用のカメラ。ユニオマットでは連動していなかった露出計とプログラムシャッターを連動させ、ピントを合わせてシャッターボタンを押すだけの簡単操作カメラになった。ジョン・グレンの私物としてマーキュリー6号「フレンドシップ7」に搭載され、初めて宇宙に飛んだカメラ(この際「グレン効果」の撮影に成功)としても著名である。このハイマチックは正確には米国の販社アンスコ向けのOEM版カメラ「アンスコオートセット」で、レンズが45mmF2.8である。またフレンドシップ7に搭載されたものは、上下を逆さまにしてアクセサリーシューの部分にレリーズ付グリップを付け、三脚穴の部分にはファインダーが取り付けられていた。ピントは無限に固定され、軽量化のために肉抜き穴がいたるところにあけられていた。
以後、「ハイマチック7」などの距離計連動式の時代から「ハイマチックAF」などのAFカメラの時代まで長らく後継のハイマチックシリーズがミノルタのファミリー向けカメラとして開発され続けた。最終モデルは「ハイマチックAF2-MD」で、発売は1982年。シリーズ全体の販売期間は実に20年間であった。「ハイマチックC」とその輸出モデル「ハイマチック5」、輸出専用モデル「ハイマチック7sII」を除き、一貫してプログラムAEを搭載している。これに加えてマニュアルやシャッター優先AEが出来るものもある。
[編集] エレクトロショット
セイコーのES電子プログラムシャッターを装備して露出の完全自動制御を実現した、初期の電子シャッターカメラ。当時はまだ電子シャッターの技術が未熟だったため故障が多発した。プログラムAE専用で、部品の多くがハイマチックシリーズと共通である。
[編集] ミノルチナシリーズ
操作性や機能を犠牲にせずに小型化したシリーズ。マイナーチェンジにより、後期のALシリーズになる。
AEカメラが普及してもマニュアルカメラはやや上級向けとして販売され続けていたが、マニュアルカメラは機能的にはすでに陳腐化していた。ミノルタではこれを小型化することにより気軽な撮影を楽しめることを狙って、1964年にミノルチナSを発売。連動距離計、連動露出計、大口径40mmF1.8レンズを持ち合わせていながら当時としては非常に小型のカメラだった。同時に、ハイマチックの廉価版として販売されていたユニオマットの小型版という位置づけでミノルチナPを発売した。こちらは38mmF2.8と小口径のレンズで、距離計が無く、シャッターはユニオマットと同様の手動プログラム式である。いずれもカメラはまだ高級品の時代、小型カメラはなかなか市場に受け入れられず、売れ行きはよくなかった。
AE専用機ハイマチックのマニュアル版としてしばらく併売されていたAL-2の販売が終了すると、もともと海外向けにミノルチナSがAL-sとして販売されていたこともあり、ミノルチナシリーズの後継機が新たにALの名称を引き継ぐようになった。 新ALシリーズのトップバッターは、ミノルチナSの受光素子をCdSに変更したALSで、1966年発売である(AL-sとは別のカメラである)。一方、ミノルチナPの後継機であるAL-Fが発売されるのはその翌年である。すでにミノルチナS/ミノルチナPを発売した時点で、他社はマニュアル専用機の販売をほとんど終了しており、ALシリーズを名乗るAL-Fにもシャッター優先式AEが装備されることとなった。オート専用で連動距離計を装備、ミノルチナPとは性格が異なるカメラになった。
翌1968年にはさすがに上級機もAEを装備しないわけには行かなくなり、ALSにシャッター優先AEを装備したAL-Eが発売された。しかし、この年はコンパクトカメラの祖として名高いコニカC35の発売・大ヒットの年でもあり、またしても売れ行きは不調、シリーズ全体としてもAL-Eを最後として大きな販売成績を残すことなく終焉した。
[編集] コンパクトカメラ
コンパクトカメラは種類が極めて多いため、主な機種のみ記載する。
[編集] TC-1
超小型高級コンパクトカメラ。レンズには、カメラグランプリを受賞した「Gロッコール28mm F3.5」とともにスライドレバーによる差し替え型の完全円形絞りが採用されている。名前の由来は「The Camera」。Gロッコールレンズは後にLマウントの単体レンズとして限定発売された。
[編集] Capios(カピオス)シリーズ
35mmフィルムを使う全自動コンパクトカメラシリーズ。 Capios 25・Capios 75など
[編集] VECTIS(ベクティス)シリーズ
APSコンパクトカメラ。 VECTIS 3000・VECTIS GX-1など
[編集] ウェザーマチックシリーズ
その名の通り全天候型の防水防塵カメラ。110判、35ミリ、APSの各規格で発売された。
[編集] ニフカレッテ
1927年、ミノルタ最初のカメラ製品として発売された蛇腹カメラ。ベスト版(127)フィルムを使用する。
[編集] ミノルタディスク7
コダックが提唱、規格化したディスクフィルムを使うディスクカメラ。ディスクフィルムを使用するため本体はかなり薄い。デザインラインはかなりモダンである。姉妹機にディスク5、ac301、ac101が存在した。acを冠した機種は、クレージュが外装のデザインに関与しており、ボディー表面のテクスチャは奇抜なデザインとなっている。
[編集] AF-E
初期のAFコンパクトカメラで、やはりクレージュがデザインに関わったバリエーションモデル(名称は小文字のaf-e)が存在する。
[編集] レポ・レポS
ハーフサイズカメラ。レポはミノルチナPをハーフサイズにしたような手動プログラム式のカメラで、レポSはやはりミノルチナSをハーフサイズにしたような性格のカメラ。
[編集] コーナン16/ソノコン16/ミノルタ16シリーズ
16mmフィルム使用の超小型カメラ。ソノコン16はラジオを内蔵している。
[編集] オートパック/ポケットオートパック/24ラピッド
それぞれ、126コダパックフィルム・110ポケットフィルム・ラピッドフィルムを使用する簡単カメラ。いずれもすぐにフィルムシステムが衰退し、あまり多くの機種は作られなかったが、110フィルム使用のポケットオートパックシリーズは、110カメラとしては国内で最多のシェアだった。
[編集] デジタルカメラ
[編集] 一眼レフ
[編集] RD175
1995年に発売されたミノルタ初のデジタルカメラ。α-303siをベースに製作された1/2型38万画素の3CCD方式。αレンズが利用できた。
[編集] Dimage RD3000
1999年発売。APS一眼レフカメラ「VECTIS S-1」用のVマウントを採用したミノルタにとってRD-175に続くミノルタ時代の一眼レフデジタルカメラ。コスト低減のため1/2型150万画素CCD2枚を使用して270万画素の出力を行う設計だった。
[編集] α-7 DIGITAL
コニカミノルタとなってから発売されたレンズ交換型AFデジタル一眼レフカメラ。レンズ交換型AFデジタル一眼レフとしては、世界で初めてボディー内手ぶれ補正機構(イメージセンサーシフト式)を採用しており、全てのαレンズで手ぶれ補正をかけることが出来る。ボディー内手ぶれ補正は、受像素子を手ぶれに応じて動かすことで補正するもので、レンズに機構を搭載する必要が無く、従来の資産を生かせると共に、画質を損なうことなく手ぶれ補正を実現することが出来る。なお、受像素子はAPS-Cサイズを採用している。ボディ内蔵CCD移動式手ぶれ補正機構などが高く評価され、カメラグランプリ2005を受賞した。
操作系に関してはα-7やα-9とほぼ同様である。なおコニカミノルタの撤退後、同機種はαSweet DIGITALとともに、カメラ事業を継承するソニーにライセンスごと引き継がれる。
[編集] αSweet DIGITAL
「α-Sweet」のデジタル版。 α-7 DIGITAL同様ボディー内手ぶれ補正機構(イメージセンサーシフト式)が採用されている。 上位機種α-7 DIGITALの機能を多く有しながら、低価格・小型軽量化を実現。ヒット作となった。
ファインダーはミラー型だが、従来のアルミ蒸着に代わり、新設計の銀蒸着を採用。 一目で分かるそのクリアネスは、定評あるスフェリカルアキュートマットと並び、価格を超える存在。
[編集] DiMAGE(ディマージュ)
Aマウントのデジタル一眼レフカメラ以外のデジタルカメラとフィルムスキャナは、"DiMAGE"ブランドで販売されている。初期(1997~2000年)は、頭文字のみが大文字のDimageという表記であった。三角プリズムを用いて光学系の一部を90度屈折させ、ズームレンズを装備しながら薄型を維持することに成功した、DiMAGE Xシリーズの売れ行きがよく、最後まで人気商品であり続けた。
[編集] 1眼レフカメラ用レンズ
最終期には多くの玉で円形絞りを導入するなど、山水画のごとく鋭利で柔らかな描写を求めて設計されている。世界に先駆けてフィルムのカラー化に対応したマルチコーティングを採用した。廉価モデルが高級商品と同様の性能を維持していることでも知られている。
[編集] 信号伝達方式による分類
[編集] SR
MFレンズ。ミノルタのMFマウントの総称。MC/MD/NMDレンズもSRマウントである。実際にはSRレンズというものは存在せず、MCレンズ以前のレンズの総称として使われる。自動絞りのレンズにはAUTO ROKKOR,プリセット絞りにはROKKORの銘が入る(ただし「ROKKOR-TD 45mm F2.8」は例外として自動絞りである)。SRレンズは全てのSRマウントボディに装着可能であるが、ボディへの絞り値伝達爪が無いため開放測光ができない。
[編集] MC
MFレンズ。マニュアルおよび絞り優先AE対応。TTL開放測光のSR-T101用として開発された。絞りリングにMC爪(メーターカプラーの略)と呼ばれる露出計/AE連動カプラーが取り付けられていた。この爪連動システムはトプコンの特許で、ミノルタは特許料を支払って採用した。なおMCレンズにはピントリングが金属製のもの(絞りリングが銀色)のものと、MDレンズに近いゴムピントリングのものがあるが、マウントとしての機能に差異はない。
[編集] MD
MFレンズ。MCの後継。XD用に用意された。カメラに最小絞り値を通知するMD爪が、やはり絞りリング上に追加されている。デザインはMCレンズ後期とほぼ同じだが、多くのレンズでプラスチック化が進められた。シャッター優先AEに対応するため最小絞りは緑色で示され、クリックが固くなっている。一部のレンズはαシリーズ登場後も長らく併売されていたが、2006年のカメラ製造事業撤退を待たず販売終了となった。なお、MDレンズを一部の旧型一眼レフカメラ(SR-2からNew SR-7あたりまで)のカメラに取り付けると、カメラのねじにMD爪が干渉するため最小絞りが使用不可になる。
[編集] New MD
MFレンズ。プログラムAE、フォーカスエイドを実現するための開放F値伝達ピンを備えた。また、最小絞り値ロックの追加やゴムローレット模様が変更された。分類上はNew MDとされるがレンズにその表記は無い。New MDレンズより、伝統のROKKORの名が消滅した。
[編集] α
AFレンズ。マウント名はAマウント。新マウントの採用で従来の製品と互換性を排除し、絞りリングを無くしてボディ側で制御するようになっている。このやり方には以前からパンフレット等に旧来のマウントを堅持するという一文を加えていたこともあって反対意見も挙がったが、後発メーカー各社が最終的には絞りの制御をボディ側で行うようになり、キヤノンとコンタックスがマウント変更を行ったことから、当時時代の最先端を行っていたとも言える。しかし、マウントの変更に伴い、プロ~ハイアマチュアのシェアを大幅に低下させたとも言われている。
[編集] V
ベクティスSシリーズAPS1眼レフカメラ用のAF交換レンズ。Aマウントとは互換性が無い。レンズ内にオートフォーカス用モーターを搭載している。
[編集] 駆動系による分類
[編集] ハイスピード
ギヤ比変更で駆動速度を上げたレンズのこと。200/2.8、300/2.8、600/4、80-200/2.8でそれぞれハイスピード化されたレンズが存在し、旧タイプのレンズ(80-200/2.8は除く)もハイスピード化の改造が可能だった。旧型と区別するため名称にハイスピードを付加し、シリーズとなった。後発の製品である300/4、400/4.5はハイスピード相当品しか無いため、本来の目的だった区別のためのハイスピード表記は不要であるが、付けないと非ハイスピードであるという印象を与えるため、ハイスピードの名称がつけられている。
[編集] xi
電動ズーム搭載レンズ。この名称が付くレンズはα-xiシリーズ1眼レフカメラが製造終了したしばらく後に製造終了した。他に電動ズーム搭載レンズとしてズームマクロレンズが一本だけ最後まで製造されていたがこのレンズはα-xiシリーズ用というわけではない。(α-xiシリーズ登場以前よりラインナップされている)
- AF Macro-Zoom 3×-1× F1.7-2.8 - 電動ズーム搭載マクロレンズ。接写専用。
[編集] SSM
超音波モーター搭載レンズ。フルタイムMFも可能である。AFの駆動系はボディ内モーター駆動のみであったが、SSMレンズの登場で、初めてレンズ内にモーターが組み込まれた。α-7以降に発売されたカメラから対応する(α-9はそれ以前に発売されているが、カスタムサービスで対応化改造が可能)。
- AF Apo-Tele-Zoom 70-200mm F2.8G(D) SSM
- AF Apo-Tele 300mm F2.8G(D) SSM
[編集] 光学系による分類
[編集] UW/W/TELE
MFのレンズでは、対角線魚眼レンズにはUWが、広角レンズにはWが、望遠レンズにはTELEの記号がそれぞれROKKORの前につけられていた(ただしNew MDレンズとROKKOR-TC 135mm F4、ROKKOR-TC 100mm F4を除く)。
- MC W.ROKKOR-SG 28mm F3.5
- UW ROKKOR-PG 18mm F9.5
- MD TELE ROKKOR 135mm F2.8
[編集] G
Aマウントの高級レンズ群。大口径かつ画質優先の光学系を持つ。なかでも85mm F1.4Gの描写力には定評があり、ポートレートカメラマンに愛用者が多い。また、設計時点では存在していながら製品化されることのなかった同レンズのLimitedバージョンが限定発売された。
- AF 17-35mm F3.5G
- AF 28-70mm F2.8G
- AF 80-200mm F2.8G
- AF 35mm F1.4G NEW
- AF 85mm F1.4G
- AF 85mm F1.4G Limited
- AF APO 200mm F2.8G
- AF APO Macro 200mm F4G
- AF APO 300mm F2.8G
- AF APO 300mm F4G
- AF APO 400mm F4.5
- AF APO 600mm F4G
- AF APO-Tele-Zoom 70-200mm F2.8G(D) SSM
- AF APO-Tele 300mm F2.8G(D) SSM
[編集] STF
究極のボケ味を追求したレンズ。円形絞りを採用するとともに周辺に行くにつれ光量が減少する特殊フィルターを内蔵し、被写体のシャープな描写を確保するとともに流れるような滑らかさを持った背景描写を実現している。無段階に設定することができるマニュアル絞りリングを採用。AマウントながらMF専用レンズだが、AEは可能となっている。 特殊フィルターによって光量にロスが生じるため、実効絞り数値としてTナンバーが併記されている。
- STF 135mm F2.8[T4.5]
[編集] RF/レフレックス
反射望遠レンズ。MFレンズには「RF ROKKOR」または「RF」の刻印がある。αシリーズには反射望遠レンズとしては唯一のAFレンズが存在する。
- RF ROKKOR 250mm F5.6
- RF ROKKOR 500mm F8
- RF 800mm F8
- RF ROKKOR 1000mm F6.3
- RF ROKKOR 1600mm F11
- AF Reflex 500mm F8
[編集] 特殊レンズ群(BELLOWS/VARISOFT/VFC/SHIFT CA)
いずれもMF時代のレンズで、BELLOWSは接写用ベローズ専用のヘリコイド無しレンズ、VARISOFTは今では当たり前になっているソフト度調節可能ソフトレンズ、VFCはピント面を湾曲させることが出来るレンズ、SHIFT CAは自動絞りが可能なシフトレンズ。
- AUTO BELLOWS ROKKOR 100mm F4
- VARISOFT ROKKOR 85mm F2.8
- MD VFC ROKKOR 24mm F2.8
- SHIFT CA ROKKOR 35mm F2.8
[編集] ロッコールレンズのレンズ構成記号の読み方
旧型ロッコールレンズ(1958年頃~1973年頃に販売されたもの - ズームレンズ、二眼レフカメラのレンズは除く)の多くには、レンズ名である「ROKKOR」の後ろにレンズ構成を表わすアルファベット2文字の記号が付けられている。 「ROKKOR-」の直後の1文字はレンズ群(複数枚のレンズをバルサムで貼り合わせたもの)の数を、その後ろがレンズ枚数を表わしている。 レンズ群数は、
3群:T 4群:Q 5群:P 6群:H 7群:S 8群:O 9群:N
となっている(当時、10群以上のレンズ群を持つレンズはズームレンズだけである)。 一方レンズ枚数は、3枚がCで、1枚増えるごとにD,E,F...とアルファベット順に増えていく。
例として、
AUTO ROKKOR-PF 58mm F1.4
は、P=5群、F=6枚 なので、このレンズは5群6枚構成である。