リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー
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リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard von Weizsäcker, 1920年4月15日 - )は、ドイツの政治家。キリスト教民主同盟(CDU)所属。西ベルリン市長(在任:1981年 - 1984年)、続いて大統領に推される(在任:1984年-1994年)。
1920年4月15日外交官のエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー(Ernst von Weizsäcker)の息子として、シュトゥットガルトに生まれる。兄弟には哲学者のカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーがいる。父親の赴任先であった、スイスとデンマークで数年間過ごした後、1937年 イギリスに渡り、オックスフォード大学に留学。同大学で哲学、歴史学を学ぶ。さらにフランス・グルノーブル大学に移り学ぶ。第二次世界大戦の勃発により陸軍に入営。1945年オストプロイセンで負傷し、故郷のシュツットガルトに運ばれた。大尉で予備役に編入され終戦を迎えた。 その後、彼はゲッチンゲン大学で歴史学の研究を継続し、更に法律も学んだ。1950年と1953年に司法試験を受ける。1955年法学博士号を取得した。1953年マリアネ・フォン・クレッチマン(Marianne von Kretschmann)と結婚し、四人の子に恵まれた。
1954年キリスト教民主同盟(CDU)に入党する。1969年ドイツ連邦議会議員に当選する。1981年西ベルリン市長選挙に立候補し、当選する。
1984年カール・カルステンスの後継として、ドイツ連邦共和国大統領選挙にCDUから立候補し、連邦議会で選出された。ヴァイツゼッカーは、その演説によってドイツ内外に感銘を与えた。ヴァイツゼッカーは、全ての政治的党派を越えた威信を保持し、1989年大統領に再選された。大統領退任後も、国家の元老であるにもかかわらず、政治及びの慈善事業の第一線で活躍し続けている。ゲルハルト・シュレーダー政権によってドイツ連邦軍改革委員会議長に任命された。
日本では、『荒れ野の40年』(邦訳は岩波ブックレット)と題する1985年5月8日のドイツ連邦共和国連邦議会における演説の中の一節“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”で知られる。他にも“自由民主主義体制において必要な時期に立ち上がるなら、後で独裁者に脅える必要はない、つまり自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは不足で市民的勇気(プロ市民たる事)も必要”など名言は多い。
[編集] 関連項目
- エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー(父)
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