リュウズキ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 青毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1964年4月6日 |
死没 | 1989年3月 |
父 | カバーラップ二世 |
母 | オーカン |
生産 | 吉田牧場 |
生国 | 日本(北海道早来町) |
馬主 | 福井章哉 |
調教師 | 矢倉玉男(中山) |
競走成績 | 35戦14勝 |
獲得賞金 | 7276万100円 |
リュウズキ(1964年 - 1989年)は、1960年代に活躍した日本の競走馬・種牡馬。1967年に行われた第27回皐月賞及び1969年に行われた第13回有馬記念の優勝馬である。 1967年には啓衆社賞最優秀4歳牡馬を受賞している。
目次 |
[編集] 戦績
[編集] 3歳時
1966年1月に矢倉厩舎に入厩。500キロを超える雄大な馬格で、他の調教師から「トキノミノル以来の傑作」とも称されるなど早くから高い評価を受けていた。 同年の6月26日に函館競馬場の新馬戦で油木宣夫を背にデビュー。 翌年の桜花賞優勝馬シーエースを半馬身抑えて初勝利を挙げた。 2戦目の函館3歳ステークスこそソエ(骨膜炎)が出たこともあって3着に敗れたが、この後北海道3歳ステークスなど4連勝を飾り、3歳シーズンを終えた。 レコード勝ちも2戦含まれるという好内容だった。
[編集] 4歳時
3歳の暮れ頃から裂蹄に悩まされていたということもあり、明け4歳の初戦は3月までずれこむこととなった。 東京のオープン戦に勝利したものの、続くスプリングステークスでは直線で伸びを欠いてメジロフレームの6着に終わり、連勝がストップ。 その上、左後肢に外傷を負うというアクシデントもあったが、厩務員ストライキによる3週間の順延が幸いし、本番の皐月賞には好仕上がりで臨むことができた。 前走の敗戦により評価が下がり、当日は3番人気。 レースでは、スタートから好位置につけ、3コーナーから仕掛けていくと4コーナー手前で先頭に立った。 鞍上の郷原洋行自身「少し早い」と認める早仕掛けであったが、ホウゲツオー以下の追撃を2馬身半差で振り切り、戴冠を果たした。 郷原洋行・矢倉師共にこれが初のクラシック制覇だった。 続く東京優駿(日本ダービー)では1番人気に推されたが、日程の変更と突然の豪雨が響いたのか中団から伸びを欠き、アサデンコウの5着に入るまでだった。 この後は、北海道に遠征。モンタサンをアタマ差抑えて函館記念を制し、不安視もされた2400メートルの距離を克服した。
秋は、トライアルの京都杯から始動し、勝ったサトヒカルからアタマ差の2着として菊花賞に臨んだ。 レースでは、逃げるヤマピットを見る形で進み、直線半ばで先頭に立ったが、ニットエイトの強襲にあって同馬から1馬身半差の2着。 矢倉厩舎所属馬のワンツーフィニッシュであった。
[編集] 5歳時
翌1968年は、2月のオープン戦から始動。 カブトシロー相手に快勝したが、この後3連敗すると天皇賞(春)を回避し、短期の休養に入った。 休養後は、再び函館に遠征。オープン特別の巴賞を制すると、函館記念では61キロの斤量を背負いながら、レコードタイムで連覇を飾った。
秋は、目黒記念(秋)を3着として、天皇賞(秋)に出走。 2番人気に推されたが、ニットエイトがレコード勝ちする中で9着に沈んだ。 続く有馬記念では、加賀武見がアサカオーに騎乗することから、鞍上には初騎乗となる森安弘明を迎えた。 当日は6番人気にまで評価が落ちたが、リュウズキが得意とする不良馬場だったことも幸いし、積極的な先行策から4コーナーで先頭に立つと、後続の追撃を寄せ付けず、ニウオンワードに2馬身半差をつけ優勝した。
[編集] 6、7歳時
6歳となった翌1969年は、夏の函館でオープン戦を2勝するに止まり、天皇賞(秋)は6着、連覇を狙った有馬記念では最下位の15着と共にいいところ無く敗れている。 翌1970年も現役を続行したが、凡走を繰り返すのみで、札幌記念で6着に敗れたのを最後に引退した。
[編集] 引退後
引退後は、吉田権三郎牧場で1971年から種牡馬として供用され、1987年までに209頭に種付けを行った。 初年度産駒からカブトヤマ記念を制したリュウフブキを輩出。 その他にも、大井の東京金賞を制したリュウズキオーカンなど地方競馬の活躍馬を輩出した。 1987年に、1頭も受胎させることができなかったことから種牡馬を引退。 同牧場で余生を送っていたが、1989年に老衰のため死亡した。
[編集] 年度別競走成績
1966年 (6戦5勝)
- 1着 - 北海道3歳ステークス
1967年 (7戦3勝) - 最優秀4歳牡馬
- 1着 - 皐月賞、函館記念
- 2着 - 菊花賞、京都杯
- 5着 - 東京優駿
1968年 (9戦4勝)
- 1着 - 有馬記念、函館記念
1969年 (9戦2勝)
- 2着 - 英国フェア開催記念
1970年 (4戦0勝)
[編集] 評価
- 20世紀の名馬Dream Horses2000 - 第194位
[編集] 血統・血統表
父カバーラップ二世は、吉田牧場が競走馬としてアメリカ合衆国から輸入。 競走馬名セイカンとして送った競走馬生活は7戦2勝と凡庸な成績だったが、種牡馬としては本馬の他にワカクモ・カシュウチカラ・プリテイキャスト等、4頭の八大競走優勝馬を輩出する成功を収めた。 母オーカンは吉田牧場の生産馬。 3~5歳時に優駿牝馬(オークス)など7勝を挙げた。 母系を辿ると小岩井農場の基礎輸入牝馬であるアストニシメントにまで遡ると言う日本の在来血統。 兄弟には、目立った活躍馬はいない。
リュウズキの血統 (ハイペリオン系/アウトブリード) | |||
父
*カバーラップ二世 1952 黒鹿毛 |
Cover Up 1943 黒鹿毛 |
Alibhai | Hyperion |
Teresina | |||
Bel Amour | Beau Pere | ||
Love Set | |||
Betty Martin 1948 鹿毛 |
Hollyrood | High Cloud | |
Mandy Hamilton | |||
Rhoda F. | Rhodes Scholar | ||
Notebook | |||
母
オーカン 1956 黒鹿毛 |
トシハヤ 1948 鹿毛 |
大鵬 | *シアンモア |
*フリツパンシー | |||
安優 | *セフト | ||
*ステフアニア | |||
フクニシキ 1948 栃栗毛 |
月友 | Man o'War | |
*星友 | |||
第五ガリアス | *プリメロ | ||
ガリアス F-No.7-c |