ルノー・エスパス
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ルノー・エスパス (Renault Espace) は、フランスの自動車製造会社、ルノーの生産するミニバン(MPV)である。
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[編集] 概要
ヨーロッパ初のミニバン(MPV)として1984年に発売され、その斬新なコンセプトとデザインから瞬く間にベストセラーとなった。
[編集] 誕生の経緯
1967年、クライスラーが米国外へはじめて進出し英ルーツ社および仏シムカ社を買収して欧州クライスラーを創設。英国ではクライスラーブランドに変更したが、フランスではシムカブランドを継続。エスパスの元となる設計はこの欧州クライスラー英国デザインセンターのデザイナー、ファーガス=ポロックが最初に手掛けた。
のちシムカの提携先マートラ社が開発に参画。プロジェクトはP-18とよばれ、フランス市場で大成功した小型車 Simca 1100(1968-1981)のピックアップトラック仕様に架装した多目的車(英国ではステーションワゴンに分類)「ランチョ(Matra(Matra-Simca) Rancho/のちTalbot Matra Rancho)」のコンセプトを拡大し、同じSimca 1100 のシャーシを使用したTalbot Soralaをベースとした車両としてTalbot(仏タルボ/英タルボット)ブランドでの販売が想定されていた。初期のプロトタイプはシムカ社の部品を多数流用。そのためグリルはSimca 1307 (英Chrysler Alpine)に似ていた。
生産以前の1978年末、米国本社経営悪化のためフォードから招聘されたリー・アイアコッカによる経営刷新の一部として欧州クライスラーはすでにシトロエングループも傘下にしていたプジョーグループへ売却されることとなった。売却額は負債込みでわずか1ドルといわれている。(プジョー傘下となりTalbot(仏タルボ/英タルボット)が復活する。)プジョー側はこのクルマの生産にはさらに投資が必要でリスクが大きいとして中止を決定。デザインはマートラが所有することとなり、ライバル会社であるルノーに提案を行った。ルノーは、マートラ社のMurenaをAlpineおよびFuegoの競合とみていたため、取引をおこなう。マートラ社はMurenaを生産中止にし、生産ラインをくみかえ、P-18生産を開始することになる。こうして1984年にエスパスが登場した。
前年の1983年には、米国クライスラーからダッジ・キャラバン/プリマス・ポイジャーが発表され、これは後のクライスラータウン&カントリーおよびクライスラー・ボイジャーへとモデル展開していくことになる。ここに欧州および米国のミニバンの歴史が始まる。(ミニバンはフランスではmonospace、英国ではpeople carrierまたはMPV、ドイツではGroßraumlimousineが一般的に用いられる)
マートラが開発と生産に協力したのは3代目までであり、現行4代目はルノー自社開発生産となった。マートラは2003年にピニンファリーナに技術を売却し自動車生産から撤退。航空宇宙産業に集中する。PSAは11年後にCitroën Evasion/Peugeot 806でミニバンに参入することになる。
[編集] 成功
その後、前述したようなヨーロッパ市場での成功を勝ち取り、1992年には初代のイメージを残したままフルモデルチェンジを行った。但し、サイズはかなり大型化し、全幅は初代の1,7m強から2m程度にまでなった。その後、1997年と2003年にモデルチェンジを行っている。
4代目となる現行型は広い室内に7席のシートと多彩なシートアレンジを持ち、世界的権威をもつヨーロッパの衝突安全テスト「ユーロNCAP」において最高評価の5つ星を獲得しているなど、多彩な装備を誇り、実用性とともに安全性も高いのも売りである。しかし、いずれの世代のモデルも日本では正規輸入されていない。
[編集] バリエーション
エンジンはガソリンエンジンとディーゼルエンジンがあり、3.5L V6ガソリンエンジンは日産製、後者はいすゞ製である。全長を伸ばし荷室を広くしたグラン・エスパスも用意されており、ヨーロッパでは「MPVの王者」の異名を取っている。
[編集] エスパス F1
また、1994年にルノーとマトラの提携10周年を記念して「エスパス F1(Espace F1)」が製作され、出品された。ノーマルとの共通部分は骨格のみで、アルミやカーボンなどを使ったボディに変更され、エンジンはウィリアムズ・ルノーF1のV型10気筒RS3ユニットをミッドシップに搭載している。もちろんのことながら市販はされていない。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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