プジョー
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プジョー (Peugeot) は、フランスの自動車メーカーである。また、スクーターも別会社(プジョー・モトシクル)で生産している。かつてはフランス最大の自転車メーカーでもあった。青色の背景に後ろ足で立ち上がったライオンのエンブレムは「ブルーライオン」と呼ばれる。
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[編集] 概要
アルマン・プジョーが創設し、甥のロベールの経営によって発展を遂げた。そもそもは歯車や骨組の製造を生業とする会社であり(鯨の骨からポンパドール・スカートの骨を作ったりもしていた)、現在でもペッパーミル(胡椒挽き)等様々な製品を生産し、専門家に愛用者が多いことでも知られる。日本にも輸入されており購入できる。
ロベールの時代から乗用車のみ"x0x" という真ん中にゼロを入れる三桁の数字を車名とする伝統が続いていたが、2004年発表の1007はプジョーで初めて四桁の数字の車名となった。
1974年にシトロエンと、1979年にクライスラー UK(旧ルーツ・グループ)やシムカ などとともに、持株会社による企業グループ「PSA・プジョーシトロエン」を形成している。またプジョーは自動車だけではなく小型二輪車を中心とした自動二輪車、そして自転車も製造している。PSAグループの自動車生産台数は、ホンダとほぼ同規模である。
世界で最初(1886年)にガソリン自動車を発明したのがベンツ社(現在のダイムラー・クライスラー)であるが、世界で最初(1891年)に自動車を量産販売したのはプジョーであるため、「世界最古の自動車メーカー」の座を両社が争っている。
日本でのセールスは長らく振るわなかったが306や206の個性的なデザインでヒットし、日本でも人気輸入車ブランドの1つに挙げられるまでになっている。
プジョーは1882年の最初の大型自転車Grand Bi以来、自転車の世界でもその名を長く轟かせている。日本では、サイクルヨーロッパジャパン株式会社がプジョー社からのライセンスに基づいて、製造・輸入・販売を行っていたが、2004年末をもってライセンス契約が終了した。現在はプジョー・ジャポンの子会社、「プジョー東京」がフランス・プジョー製の自転車を輸入している。
[編集] 猫足
プジョー車の特徴として、独特の設定がなされたサスペンションによる、「猫足」と呼ばれるしなやかなで路面に吸い付くような接地感のある足回りがあげられる。他社製自動車の場合サスペンションを硬くして走行安定性を上げるのが一般的であるのに対しプジョー車では柔らかい乗り心地と安定性を高次元でバランスしているとされる。ただし、その優位さは認識されにくいものである。いくつかの車種においてこの特徴が薄れた事があり批判を招いたが、2006年における新車種においては概ね再び「猫足」の特徴が取り戻されている。
[編集] 主な製品
[編集] 市販車
- 1983年に発表した205は、世界的な大ヒットとなった。
- 三菱自動車からOEM供給を受けるSUV。三菱・アウトランダーがベース。
[編集] 競技用車両
- 205T16(グループB)
- 205T16E2(グループB、ラリーレイド用プロトタイプ)
- 405T16(ラリーレイド用プロトタイプ)
- 905(グループC)
- 905 EVO(グループC)
- 905 EVO2(グループC)
- 306 キットカー(ラリーのF2クラス用車両)
- 106 キットカー(ラリーのF2クラス用車両)
- 206 WRC(WRC用のWRカー)
- 307 WRC(WRC用のWRカー)
- 206 S1600(ラリーのスーパー1600クラス用車両)
- 207 S2000(ラリーのスーパー2000クラス用車両)
[編集] コンセプトカーなど
[編集] モータースポーツ活動
プジョー社は古くから積極的にモータースポーツ活動に取り組んできた。1910年代にアメリカのインディ500に自前の車体で参戦し、数度の優勝を遂げた実績を誇った。
1980年代から1990年代初頭にかけて、プジョーはモータースポーツ部門であるプジョー・タルボ・スポール(現在はプジョー・スポール)を立ち上げ活躍していた。元・WRCのコ・ドライバーで、現在はフェラーリF1チーム監督として辣腕を振るうジャン・トッドを監督に擁し、世界ラリー選手権(WRC)、パリ・ダカール・ラリー、パイクスピーク、ル・マン24時間レースなどのスポーツカー世界選手権(SWC)などで活躍した。
ジャン・トッドがフェラーリに移籍後、F1にも挑戦(のちに撤退)。
1990年代後半からWRCに復帰し、チャンピオンシップを獲得するなど活躍した(ワークスは2005年に撤退)。
2007年現在、ディーゼルエンジン車でのル・マン24時間レース参戦を目指して活動中である。
[編集] ラリー
1980年代から1990年代初頭にかけて、プジョーはモータースポーツ部門であるプジョー・タルボ・スポールが中心となって活躍していた。当時のディレクターは、現在フェラーリF1チーム監督として辣腕を振るうジャン・トッドである。
WRCのトップが主にグループ5車両で争われていた1980年代初期、グループ会社のタルボ社のサンバ(プジョー・104ベースのFR駆動の小型ハッチバック)をグループ5規定のラリー仕様に仕立てた「タルボ・サンバ・ラリー」で参戦していた。
その後、プジョー・タルボ・スポールの手によって1984年のWRC、ツール・ド・コルスにて205T16(E1)がデビューし、初戦で2位を獲得。その後も強豪ひしめく群雄割拠のグループBの中でも、ランチア・ラリー037、アウディ・クワトロ、ランチア・デルタS4といった強敵に互角以上に打ち勝ち、数戦後には更に戦闘力を高めた改良型205T16E2を投入する磐石のシーズン運びを見せ、結果1985年と1986年の2年連続でドライバー(1985年:ティモ・サロネン、1986年:ユハ・カンクネン)とマニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得するに至った。
登場当時、覇を誇っていたフロントエンジン4WD車・アウディ・クワトロの牙城を崩し、ミドシップ4WD車のWRCにおける優位性を確立した。のちに、同様のコンセプト及び駆動系などのレイアウトを、各メーカー毎の解釈に基づき製作されたランチア・デルタS4、MG・メトロ6R4、フォード・RS200などが続々と発表・実戦投入され、レイアウトはそのままにショートホイールベース化され更に過激な進化を遂げたアウディ・スポーツ・クワトロ等と共に、グループB最終年となる1986年までラリー・コンペティションの歴史に残るパワー戦争を繰り広げた。
1987年以降のグループB消滅後は、205T16(E2ベース)はパリ・ダカール・ラリーに活躍の場を移し、後継の405T16と合わせると四連覇するという快挙を達成(1987年~1990年)。そのあまりの強さに「砂漠のライオン」として競合メーカーに怖れられ、のちにパリ・ダカを制する三菱自動車の挑戦をことごとく跳ね返した。
205は、全日本ラリー選手権に当時のインポーターであったARJのサポートにより参戦した。ライバルの通称・ハチロクと呼ばれるAE86型レビン/トレノと名バトルを繰り広げたのは余り知られていない。なお、同選手権に左ハンドル車として初めてエントリーしたマシンである。
その後、1990年代前半はプジョー・タルボ・スポールが活動の主軸をグループCカーやF1に移したため、205・306・106のグループA車両でのラリー活動を比較的小規模で行っていた。
1990年代後半からは、WRCやフランス・ラリー選手権に新設されたF2クラス(2000cc以下の2ボックスFF車による競技クラス)に主に306 キットカーで参戦。ここで好成績をあげたことから、1999年からのターボ付き4WD車のWRカーでの参戦につながった。フランス・ラリー選手権では同じPSAグループのシトロエン・クサラ キットカーやルノー・クリオ MAXI/メガーヌ MAXI等と激戦を繰り広げた。ちなみに、1600ccエンジンの106 キットカーも数戦ではあるがWRCに参戦している。
1999年、206WRCを引っさげて再び参戦したWRCでは、驚異的なターマックラリーでの強さを発揮し、2000年・2001年・2002年とマニュファクチャラーズタイトル三連覇を果たし、往時の実力を示した。その後、販売戦略からマシンを307CCをベースとしたWRカー・307WRCにスイッチした。307WRCは時折早さを見せるものの、ボディの大型化により時としてカスタマー・スペック車の206WRCの後塵を浴びるほど不振を極め、2005年シーズンを最後にワークスとしてのWRC撤退を表明した。ちなみに、2005年度のワークスマシンを元としたカスタマー・スペック車が、2006年プライベートチームからエントリーしていた。
現在は、307WRCのカスタマー・スペック車のメンテナンスと、207のS2000クラス参戦車両の開発を行っている。
[編集] 耐久レース
1990年代前半にはグループCカーのプジョー・905(含905 EVO/905 EVO2)でスポーツカー世界選手権(SWC)やル・マン24時間レースに出場した。
スポーツカー世界選手権(SWC)には1990年から参戦。1992年にチャンピオンを獲得している。ル・マン24時間レースにも、同じくグループCカテゴリの905でエントリー。1992年・1993年にル・マン連覇を果たしている。特に1993年のル・マンでは、マシンとして円熟したプジョー・905が1-2-3フィニッシュで飾って表彰台を独占、翌年フェラーリへの移籍が決まっていたチームディレクター、ジャン・トッドの有終の美を華々しく飾った。1994年、スポーツカー世界選手権の消滅を受け、プロトタイプクラスで行われる耐久レースからは撤退した。
2007年より、近年耐久レース界で圧倒的な強さを誇るアウディ・R10に対抗すべく、ディーゼルエンジン搭載のプロトタイプレーシングカーであるプジョー・908にてル・マン24時間レースへ参戦を開始する予定。ドライバーにはジャック・ビルヌーブを始めとする元F1ドライバーを多数起用することを発表しており、本気で「打倒アウディ」を目指す姿勢を鮮明に打ち出している。
[編集] F1
F1には、1994年にマクラーレンにエンジン供給を行う形で参入。以後1995年~1997年にはジョーダン、1998年~2000年にはプロストへエンジン供給を行ったが、結局一勝も挙げることなく、2000年を最後に撤退。その後F1エンジン開発部門はアジアテックに売却されたが、そのアジアテックも2002年シーズン終了と共に消滅した。プジョーにとってのF1レースへのエンジンメーカーとしての参戦は、苦く散々たるものであった。
[編集] プジョーが使われた映画、テレビドラマetc.
[編集] 海外作品
- 刑事コロンボ (テレビドラマ) - 403カブリオレが登場する。オープンカーだが、幌はかぶせたままになっている。
- 女警部ジュリー・レスコー (テレビドラマ) - フランスの刑事ドラマで、主人公のレスコー警部が乗る覆面パトカーとして405や406が使われる
- TAXiシリーズ (映画) - 主人公のタクシーに406(TAXi3まで、T4Xi以降は407)で、ボンドカーばりの改造を施している。またパトカーに206、306、307、607等が使われている。
- ノッティングヒルの恋人 (映画) - 406ブレークが登場する。イギリスが舞台なので右ハンドル仕様である。
- ミシェル・ヴァイヨン (映画) - 206WRCや607のコンセプトカーが登場する。
- ダニー・ザ・ドッグ (映画) - 206CCが登場。
- ル・ブレ (映画) - 主人公が406クーペに乗り、それを追っかける覆面パトカーが607。
- トランスポーター (映画) - 映画冒頭において、主人公が操るBMWを607の覆面パトカーが追跡する
- RONIN (映画) - 工作員である主人公らの車両として406が登場し、市街地でBMWとカーチェイスを行う
[編集] 国内作品
- パラサイト・イヴ (映画) - 205CTIを使用
- R-17 (テレビ朝日) - 田辺誠一が406クーペを運転。当時この枠のドラマはプジョー・ジャポンが提供していたため。
- 婚外恋愛 (テレビ朝日)
- 並木橋通りアオバ自転車店(漫画/ヤングキング連載) - 主舞台となる自転車屋の一人娘「アオバ」の愛用自転車として「NS40」が登場する。
- デビルマン (映画) - 206CCを使用
- ルパン三世 炎の記憶~TOKYO CRISIS~(アニメ) - 首都高でのカーチェイスシーンで106が登場
[編集] 関連項目
- プジョー・ジャポン
- PSA・プジョーシトロエン
- 刑事コロンボ
- フランス車
- ユーロNCAP
- プジョー・モトシクル 二輪車部門
- モンディアル・ド・ロトモビル(パリサロン)
[編集] 外部リンク
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