レスター・ピゴット
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レスター・ピゴット(Lester Keith Piggott、1935年11月5日 - )は、イギリスの元騎手。エプソムダービー9勝の記録は現在(2006年時点)も破られていない。イギリスのチャンピオンジョッキー11回、通算5300勝の成績と併せて20世紀を代表する騎手の一人と評価されている。
1948年に12歳でデビューすると、2年後の1950年には見習い騎手チャンピオンを獲得する。そして1954年にはネヴァーセイダイに騎乗し、18歳でエプソムダービーに初勝利する。19歳のときには名調教師ノエル・マーレスの主戦騎手となり、プティトエトワールで1959年のエプソムオークスに勝利した。
マーレスの主戦から離れた後はアイルランドの名伯楽と謳われたヴィンセント・オブライエンとのコンビでイギリスクラシック三冠馬・ニジンスキーなどに騎乗し数々の大レースを制した。
ピゴットは1960年に初めてチャンピオンジョッキーに輝くと、1964年から1971年には8年連続でチャンピオンとなった。ピゴットは実力だけでなく人気もあり、特に主婦に人気があったことは、上流階級を超えた一般人の競馬人気の拡大に貢献した。
ピゴットは身長173cmと騎手としては長身であるため常に減量に苦しんだ。また新しい騎乗スタイルを開発し、たびたび禁止されそうになったが、ピゴット自身はまさにこの騎乗スタイルによって1960年代のリーディングを席巻した。彼の騎乗スタイルはイギリス内外の多くの騎手が真似をするようになる。
1972年からは騎乗数を制限するようになり、リーディングからは遠ざかった。
1980年代になるとヴィンセント・オブライエンから離れ、マーレスの娘婿ヘンリー・セシル厩舎の主戦騎手になる。1981年と1982年には再びチャンピオンジョッキーになった。しかし1983年に凱旋門賞でオールアロングに騎乗する約束を破ったことで馬主のダニエル・ウィルデンシュタインが自分の所有馬にピゴットを騎乗させることを拒否するようになる。ウィルデンシュタインはセシルの厩舎に多くの所有馬を預けていたため、結局1984年にピゴットはセシルから離れることになった。
1985年に騎手を引退し、調教師に転身した。しかし1987年に脱税で3年の実刑判決を受ける。騎手時代に授与された大英帝国勲章(OBE)も剥奪されてしまう。1年服役し1990年に仮出所すると騎手に復帰し、わずか10日後にロイヤルアカデミーでブリーダーズカップ・マイルに勝利する。1992年にはロドリゴデトリアーノで2000ギニーに勝利するなどの活躍を見せた。そして1995年に再び引退した。