レナータ・テバルディ
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レナータ・テバルディ (Renata Ersilia Clotilde Tebaldi, 1922年2月1日-2004年12月19日)はイタリアのオペラ歌手(ソプラノ)。1950年代から1960年代にかけてのミラノ・スカラ座の黄金期に活躍し、20世紀後半におけるイタリアオペラの代表的な歌手とみなされている。
イタリアのペーザロに生まれパルマのアリゴ・ボーイト音楽院でカルメン・メリスに学ぶ。1944年ロヴィーゴ劇場でボーイト作『メフィストーフェレ』のエレーナを歌いデビューした。1946年5月11日、戦災で破壊されたスカラ座の再開記念コンサートにおいてオーディションに応募、このとき大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニに認められ24歳の若さでデビューし好評を博す。これによりエレーナ(同上)、ミミ(『ボエーム』などで出演の機会を得て成功を収める。その後イタリアだけでなく欧米各地のオペラ劇場に招かれ、歌手としての地位を揺るぎ無いものにした。 ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場に1950年、ニューヨーク市のメトロポリタン歌劇場には1954年、それぞれ初舞台を踏んだ。とくにメトではデズデモナ(ヴェルディの『オテロ』)が大好評で、以後常連出演者となった。
1950年代から60年代にかけてイタリアオペラ界でマリア・カラスと人気を二分する人気を得た。またマリオ・デル=モナコ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、フランコ・コレッリ、ジュリエッタ・シミオナートなどの名歌手と共演し、数々の名舞台とともに優れたレコード録音を行ったことも特筆すべきである。声質は基本的にはリリコ・スピントであり、カラスのような超絶的な劇的表現は見られないが、安定した美しい声と細やかで深みのある表現に定評がある。得意とした役柄はトスカ、マノン・レスコー、ミミ、アイーダ、デズデモナ、レオノーラ(『運命の力』)、マッダレーナ(『アンドレア・シェニエ』)などで、今日なお代表的な名演奏として高く評価される。
カラスとライバルとして敵対したかのように言われることがあるが、それは熱狂的なファン同士の噂で、本人同士は不仲で合ったわけではない。辣腕プロデューサのウォルター・レッグは二人を『ノルマ』で共演させることを望んだが、当時のレコード会社の専属契約や二人の多忙からこれを断念したと言う。
日本では1961年9月~11月に第3回NHKイタリア・オペラ公演で来日してマッダレーナおよびトスカを歌い、全盛期の歌唱で強い印象を残し、また1973年にも単独で来日しリサイタルを開いている。
1976年に現役を引退。2004年12月19日、サンマリノにある自宅で死去。