ヴィオラ・ダ・ガンバ
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ヴィオラ・ダ・ガンバ(伊:Viola da gamba)は、ヴィオール属の擦弦楽器で、16~18世紀ヨーロッパの宮廷やイギリス(英:ヴァイオル-Viol-)の市民の間で流行した古楽器。
音域の高いほうから、パルドゥシュ、トレブル(ドイツではディスカントと言う)、テノール(ドイツではアルト)、バス(ドイツではテノール・バスとも言う)、さらにヴィオローネと大きさの異なる種類があり、通常は6弦(パルドゥシュは5弦のものもある。バスは6弦または7弦)。このうち合奏(コンソート)には通常トレブル、テノール、バスが用いられ、低音楽器や独奏楽器としては、バスが最も多く用いられる。このため、単にヴィオラ・ダ・ガンバというと、通常ではバスを指すことが多い。
いずれも、主に弓で弦を擦ることによって発音し、ヴィオローネ以外はチェロのように両脚の間に挟んで(あるいは膝の上で支えて)演奏する。しかし、床に固定するためのエンドピンは持っていない。ガンバとはイタリア語で「脚」の意である。これに対してヴァイオリン属のことはヴィオラ・ダ・ブラッチョ「腕のヴィオラ」という。
ヴァイオリン属との大きな違いは、フレットがあること。ただし、ギターのそれのように指板に打ちつけられた金属ではなく、ガットを巻きつけただけのもの。この楽器の演奏、およびこの楽器のための作品に貢献した人物としては、イギリスのジョン・ジェンキンス、ウィリアム・ローズ、ヘンリー・パーセル、フランスのマラン・マレーが有名。
弦数の多さから豊かな倍音が得られ、ガット弦のそれほど強くない張りから、柔和な音色が得られる。
目次 |
[編集] 構造
ヴァイオリンのように形状は統一されていないが、おおむね以下のような特徴がある。
胴にはくびれがあり、線はなだらかに棹とつながっている。ネックは幅広く平らで、フレットがついている。
表板はややふくらんでいるが裏板は平ら。どちらも薄い板が使われており、そのため弦の張力はヴァイオリン属と比べると弱い。一方で表板を支える力木(ちからぎ)や、表板と裏板をつなぐ魂柱(こんちゅう)はヴァイオリン属と同じく存在する。響孔はC字のものが多いが、剣状のものもある。表板・裏板は側板と突き合わせで接着されており、表板・裏板の方が大きいヴァイオリン族に比べると高い製作技術を要するといわれる。
調弦は、楽器によっては時代・地方で異なる場合もあるが、標準的なものは右図のとおりである。音の高い方から第1弦、第2弦…と呼ぶ。7弦バスでは、第6弦(D2)の4度下(A1)に第7弦を設ける。
弓は中央にややふくらみがあり、ヴァイオリン属と異なり逆手に構えて持つ。コントラバスのジャーマン・ボウは、この形式の名残を留めているといわれるが、ヴィオラ・ダ・ガンバの弓は毛箱より中央寄りを持ち、右手の中指・薬指を毛に添えて毛の張り具合を調節しながら弾く。
胴が薄く弦の張力が弱く、弦数が多いことから柔らかく豊かな音が生まれる。一方でヴァイオリン属と比べると音量は小さく、またアクセントなどの表現をつけるのは難しいとされる。
[編集] 歴史
ヴィオラ・ダ・ガンバの誕生およびその祖先については不明な点が多い。スペインの15世紀後期の絵画にはそれらしき楽器が描かれているが、これがガンバであるかどうかは意見が分かれる。
16世紀頃には宮廷でかなり愛好されていたことが各種文献に見受けられる。当時はガンバは上流階級の娯楽の一種として、ヴァイオリンは下層階級が生活の手段に用いるものとして認識されていたようであるが、一方でガンバの職業的奏者も存在した。演奏法などもこの頃イタリア人ガナッシなどによって研究が進められた。16世紀終わりのイタリアではヴィオラ・バスタルダと呼ばれる特殊な独奏用楽器も作られ、弦楽器の演奏技術の発展に大きく寄与した。
16~17世紀にはイギリスにガンバが伝えられ、爆発的な人気を呼んだ。
大陸では主に高音域の楽器はヴィオラ・ダ・ブラッチョ系の楽器に取ってかわられ、17世紀からは主にフランスを中心として、バスおよび独奏用に開発されたパルドゥシュが独奏楽器として活躍し、上記のマラン・マレの他、フランソワ・クープラン、フォルクレ親子などが多くの名曲を生んだ。フランスではフランス革命を区切りに衰退し、ヨーロッパの他の地域でも18世紀中頃には、バスとヴィオローネ以外はあまり見られなくなった。ドイツでもブクステフーデ、テレマン、J.S.バッハなどは、バス・ガンバのために多くの曲を残している。
その後一時は完全に姿を消していたが、19世紀末期に16~18世紀の音楽・楽器研究が進むとともに、ガンバもアーノルド・ドルメッチらによって再び脚光をあびることになった。第二次世界大戦後は各地にヴィオラ・ダ・ガンバ協会が設立、また当時の演奏法なども研究されて、現在は少ないながら奏者の数は増えている。