三国峠 (群馬県・新潟県)
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三国峠(みくにとうげ)とは、新潟県南魚沼郡湯沢町・群馬県利根郡みなかみ町(旧新治村)境を越える峠のことであり、群馬と新潟を結ぶ唯一の一般道である。
古くは越後と江戸を最短距離で結ぶ三国街道の一部として整備されていたが、冬期の積雪、雪崩、夏場の集中豪雨による土砂災害など条件が厳しい難所としても知られていた。昭和になり国道17号(三国トンネル)の開通により一気に物流の大動脈となるが、その後の関越自動車道の開通により交通量は減少した。ただし、燃料や一部の薬品などの危険物を搭載した車輌は関越トンネルの通行が禁止されているため、現在でもこの峠を経由している。 バブル景気の前後には、月夜野ICから苗場スキー場に向けてスキーヤーの車が大渋滞を作ったことでも知られる。
現在、三国トンネルの老朽化などに伴って新三国トンネルの建設が計画されている。
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[編集] 名前の由来
付近にある谷川連峰の標高1636mの三国山に由来する。峠下の群馬県側・新潟県側の両方から登山道がある。
[編集] 歴史
- 戦国時代 関東管領となった上杉謙信が関東への足がかりとして整備
- 江戸時代 佐渡島への主要道路として江戸幕府が整備
- 明治時代 信越本線など大量輸送網の出現により一時衰退
- 昭和初期 大陸(新潟港)への輸送路として整備が行われるものの、第二次世界大戦の激化により中断
- 1948年 国道17号改良工事として峠の道路建設が再開
- 1964年 三国峠の国道17号が全通
- 1985年 関越自動車道の開通
- 1990年前後 スキーブームの到来による混雑
[編集] 三国峠に関連するトピック
- 田中角栄が選挙民向けに行った演説として、「三国峠を削って雪雲を関東に流せば雪は降らなくなるし、削った土砂で佐渡海峡を埋めれば島と地続きになる」というものがある。選挙民は、当然そんなことはできないと思いながらも、大物政治家らしいスケール感に感服して信頼を高めたという。
- 峠の新潟側は、群馬側と地形的に比較して好条件であり、良好な道路線形が取れること、また、新潟側としては首都圏に通ずる唯一の重視すべき道であったから、全通後もかなりのペースで道路改良が進んだ。このため、トラック運転手やスキーヤーなどから「県境を新潟へ抜けると道が良くなる」、転じて「新潟の道が良い」という都市伝説が造られたと考えられている。新潟県民にとっては悲願の大動脈であり郷土自慢の一つであること、他県民にとっては金権政治の象徴であり道路整備の遅れの言い訳にできたことから、こうした話が定着した。実際のところ、新潟県内の3ケタ国道には幅員が極端に狭く、路面が荒廃した区間が多数存在するなど、本当に「新潟の道が良い」のかどうかは議論の分かれるところである。
[編集] 関連項目
- 三国峠(日本各地にある同名の峠集)
- クロソイド曲線
- 私をスキーに連れてって