三浦雄一郎
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三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、青森県青森市生まれのプロスキーヤー及び登山家である。
父三浦敬三も著名な山岳スキーヤーで、長男・三浦雄大は競技スキーヤー、二男・三浦豪太はリレハンメルオリンピック、長野オリンピック出場フリースタイルスキー・モーグル選手。
旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)に入学、その後青森県立弘前高等学校に転校し卒業、北海道大学獣医学部に進学。母校の北大獣医学部に助手として勤務後、1960年代からプロスキーヤーとして活躍、1964年7月イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人で初めて参加、時速172.084キロの世界新記録を樹立。1966年4月富士山直滑降、1970年5月エベレストのサウスコル8000m地点からの滑降(ギネスブックに掲載)など世界七大陸最高峰からの滑降を成し遂げた。
2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も遂げた。
1971年スポーツ英雄大賞(スペイン)、1975年に米アカデミー賞(長編記録映画部門)=「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」。1992年4月からクラーク記念国際高等学校(北海道深川市納内)校長。
1995年4月、友人である平成維新の会代表・大前研一が月刊誌文藝春秋(3月号)上で発表した新・薩長連合結成宣言の知事連盟構想に呼応して、北海道知事選挙に出馬(大前は、同月の東京都知事選挙に立候補)。同年7月の参議院議員選挙には、同じく平成維新の会公認候補(比例代表制名簿2位)として出馬している。(いずれも落選)
2006年9月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載。