上山善紀
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上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - )は昭和後期から平成期(1980年代-1990年代前半)の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。
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[編集] 来歴・人物
新潟県分水町(現・燕市)に東京大学学生・上山善治 ヨシの長男として生まれる。生家は浄土真宗本願寺派(西本願寺)・勝誓寺。京都帝国大学法学部卒業後、日魯漁業を経て1945年に近鉄入社。1981年に代表取締役社長、1987年に会長に就任。上本町やあべの橋のターミナル整備、東大阪線開業や、志摩スペイン村の建設などに尽力した。
1981年から近鉄バファローズのオーナー代行を務め、1989年10月、佐伯勇(当時名誉会長)の死去を受けオーナー昇格。1998年まで務めた。
その他関西経済連合会副会長、飛鳥保存財団理事長、朝日放送、関西電力などの取締役、日野自動車非常勤監査役なども務めた。
現在、近畿日本鉄道相談役のほかに本願寺門徒総代、財団法人文楽協会理事長(創立者の佐伯勇より引き継いだ)、全日本空輸取締役、大阪コンベンションビューロー理事長を務めている。
[編集] 発言
- 近鉄沿線から離れた大阪府豊中市(阪急宝塚線沿線)に在住しているため、どうしてかと問われることがあった。この時、上山は「近鉄沿線の例えば奈良に住んだら、どの方角を向いて寝ても、沿線のどこかのお寺や神社に足を向けてしまうことになるが、豊中に住んで足を北に向けて寝れば、そのような心配はないからです」と答えた。なお、近鉄の幹部には少数ではあるが近鉄沿線外に住む者もいる。
- 近鉄バファローズが低迷していた1990年代半ば、「優勝したら逆立ちします」と発言した。当時既に80歳を越えており、話題になった。
- バファローズが球団合併を発表した際には、近鉄関係者でありながら、合併には「賛成しません」と発言している(2004年6月14日付・日刊スポーツ東京本社版)。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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