下関球場
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下関球場 | |
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Shimonoseki Baseball Stadium | |
施設統計 | |
所在地 | 山口県下関市大字富任字小迫(下関北運動公園内) |
開場 | 1988年 |
所有者 | 下関市 |
管理・運用者 | 下関市公営施設管理公社(指定管理者) |
グラウンド | 内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
照明 | 照明塔:6基 |
設計者 | |
使用チーム、大会 | |
収容能力 | |
25,000人 | |
規模 | |
グラウンド面積:-m² 両翼:100 m 中堅:122 m |
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フェンスの高さ | |
m |
下関球場(しものせききゅうじょう)は、山口県下関市の下関北運動公園内にある野球場。施設は下関市が所有し、下関市公営施設管理公社が指定管理者として運営管理を行っている。
目次 |
[編集] 歴史
かつて市内中心部の向洋町にあった下関市営球場(しものせきしえいきゅうじょう)は、1950年に発足した大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)の本拠地球場として1952年まで使用されていた。大洋は翌1953年に松竹ロビンスと合併し「大洋松竹ロビンス」(洋松)に改称、大阪球場と共に本拠地となったが、主催試合は興行面からほとんどが大阪球場での開催となった。松竹が経営撤退し、再び大洋となった1955年から本拠地は川崎球場に移転。以後、下関では大洋主催のオープン戦・公式戦はしばしば開催されてきたが、老朽化など設備に不備が目立つようになるなどしたため、後年は開催されなくなっていった。この旧市営球場は1985年をもって廃止となり解体され、跡地は当時移転新築工事が進められていた下関市立中央病院の建設用地に充てられた。
現在の下関球場は1988年7月、市北郊で整備が進められていた下関北運動公園内に完成。同年の夏の高校野球山口県大会がこけら落としで、以後アマチュア野球公式戦が行われている。
プロ野球は翌1989年から開催されるようになり、かつて下関を本拠地としていた縁のある横浜大洋ホエールズが、同年3月に対読売ジャイアンツ(巨人)のオープン戦、8月には対ヤクルトスワローズの公式戦を主催で開催。大洋は以後、球団名が横浜となってからもほぼ毎年オープン戦・公式戦を開催している他、ファームの湘南シーレックスもイースタン公式戦を年1試合開催している。横浜球団側は下関市を「球団発祥の地」としてその歴史を尊重しており、日本一となった1960年と1998年には下関市内でも優勝パレードを実施したほどである。このような縁から、球団は下関を「準本拠地」として明確な定義こそしていないものの、地元には「下関はベイスターズのふるさと」「横浜の準本拠地」と崇めるファンも数多い。
下関北運動公園内には、軟式野球専用のサブグラウンドである下関第二球場(両翼91m、中堅112m)の他、多目的広場、テニスコートが併設されており、県立武道場の建設計画も進められるなど、下関のスポーツのメッカとして知られる。
2006年シーズン中には、スコアボードがパネル式から電光式に改修された。
[編集] 主なエピソード
- 1950年、プロ野球の2リーグ分立によりセントラル・リーグが発足。3月10日、平和台野球場と旧下関市営球場で8球団による変則ダブルヘッダーで開幕を迎えた。下関で翌3月11日に行われた松竹ロビンス対中日ドラゴンズ戦で松竹・岩本義行が1号満塁本塁打を放ち、この一打はセ・リーグ第一号本塁打となった(前日の10日には2球場とも本塁打なし)。
- 1989年3月4日に初めて開催されたプロ野球オープン戦・横浜大洋ホエールズ-読売ジャイアンツは、前日まで降り続いた雨の影響でグラウンドが一部ぬかるむなど中止が危ぶまれた。しかしフィールドに砂と土を入れ、更に灯油を散布して点火し水分を蒸発させるなどした結果、何とか開催可能なコンディションに回復することができ、無事に試合は行われた。尚、この試合では同年ルーキーとして大洋に入団した谷繁元信が、巨人投手斎藤雅樹からプロ入り初の本塁打を通算2打席目にして放っている。谷繁は後に「下関で、リーグを代表する投手の斎藤さんから本塁打を打てたお陰で、プロでやっていける自信がついた」と振り返っている(尚、谷繁の公式戦初本塁打は同年5月27日、柏崎市佐藤池野球場でヤクルト・尾花高夫から)。
- 1998年5月10日に行われた横浜ベイスターズ対広島東洋カープ8回戦の8回裏、横浜・駒田徳広が小林幹英から、2号逆転満塁本塁打を放った。試合は7-4で横浜が勝利。駒田は同年シーズンの1号も満塁本塁打で、これがシーズン2本目。また駒田の満塁本塁打はこれが現役通算12本目で、史上2位タイとなった。駒田は試合後のヒーローインタビューで水を向けられると「満塁以外でも打たなきゃね」と苦笑し、場内の笑いを誘った。
- 2006年9月7日に行われた横浜ベイスターズ対広島東洋カープ18回戦では珍事が続発した。初回表、先頭の梵英心が右翼ポール際へ本塁打性の打球を打ち上げ、そのままスタンドに消えた。当初は「本塁打」と判定されたが、その後確認したところ右翼スタンドの観客がフェンス手前にグラブを差し出して捕球していたことが分かり、エンタイトル二塁打となった。試合は5-5のまま延長に入り、10回にはマーク・クルーンが登板。時速159kmを記録してスタンドを沸かせたが、直後に左臀部に違和感を訴えて途中降板。極め付けはその裏の横浜の攻撃で、二死満塁から佐伯貴弘がスイングしたバットに捕手・石原慶幸のミットが当たり、押し出し打撃妨害により横浜が6x-5でサヨナラ勝ち。珍事に始まり珍事に終わった一戦となった。
[編集] 施設概要
- 両翼:100m、中堅:122m
- 内野:土、外野:天然芝
- ナイター設備:(鉄塔)6基
- 25,000人収容(内野:椅子、外野:芝)
- スコアボード:電光式
[編集] 交通
- JR新下関駅3番のりばよりサンデン交通バス「安岡」「横野」「安岡経由下関駅」行で「蒲生野」バス停下車後徒歩約5分
- 新下関駅からはバスで約10分
- プロ野球公式戦開催時は新下関駅・下関駅から臨時バス運行あり
- 中国自動車道・下関ICより約20分
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前本拠地: n/a - |
大洋ホエールズの本拠地 1950 - 1952 |
次本拠地: 大阪球場 1953 - 1954 |
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