佐伯貴弘
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佐伯 貴弘(さえき たかひろ、1970年4月18日 - )は大阪府大阪市東成区出身のプロ野球選手。プロ野球・横浜ベイスターズに所属する内野手。横浜の中軸を担うベテラン打者で、明るい性格でチームのムードメーカーである。背番号は26。愛称は「ハマの男前」あるいは「メカゴジラ」(略して「メカ」ともいう)。
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[編集] 来歴・人物
横浜の入団当初は長距離砲の期待をかけられていたが、中距離打者として大成。左投げでポジションに融通が利かず、安定していても際立つ部分が少ないということで、割を食うケースが多かった。能力に比してやや不遇でもあった。
子供の頃の夢は近鉄電車の運転士になることだった。当然、その頃は地元球団でもある近鉄バファローズファンであったが、ある日佐伯少年が負けている腹いせに金村義明を野次った時に、金村に気付かれて睨みつけられた。後年、日本シリーズで西武ライオンズにいた金村と対決する事になるが、金村はすぐに佐伯があの時野次を飛ばした少年だと気づいたと言う。
2001年の開幕直後、佐伯が試合で当時読売ジャイアンツの清原和博相手に隠し球をしたのを根に持った他チームのファンが、佐伯の車のタイヤ4本を盗んだ事があるが、その際本人がバック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアン号かと思い記念撮影した。ただ、その試合では清原に打たれたためにチームは敗れてしまう。そして、2006年4月2日の巨人との試合でも李承燁を隠し球でアウトにしたが、チームは李に打たれたために負けてしまった。ちなみに2005年にも千葉ロッテのサブローにも成功させている。現役選手の中で隠し球が上手い選手と言えよう。
プロ野球界にとって稀有なタレント性を持つ存在ではあるが、球団のマスコットで最弱のホッシーと阪神タイガースのマスコットのトラッキーの抗争劇へ介入。敵地の横浜スタジアムで傍若無人に振舞うトラッキーへジャイアントスイングをお見舞いした。これは一部のプロ野球ファンのハートを鷲づかみにしてしまったが諸事情により封印。彼のこれからの方向性を考えるとこの結論の良否については判断の苦しむ点ではある。
守備に関しては隠し球以外に大きな特徴はない。一塁守備は無難である。ライトの守備ではロケットアームを披露することも多かった。
[編集] 略歴
- 1993年 - 大商大からドラフト2位で横浜ベイスターズに入団。入団当時の背番号は26。5月23日の広島東洋カープ戦に代打で初出場。
- 1994年 - 11本塁打を放つ。
- 1995年 - オールスターゲームに初出場。
- 1996年 - オールスターに2年連続出場。この年初めて規定打席に達して打率2割9分の好成績を残し、以降は安定した数字を残す選手となり、勝負強いという信頼をも勝ち得た。
- 1997年 - ビル・セルビーとの兼用により出場機会に恵まれず、打率.260、4本塁打という成績に終わる。
- 1998年 - 7月15日に横浜スタジアムでの対巨人戦において槙原寛己投手からのライトフライがボークと宣言されていたためアウトは取り消しとなり、投げ直しで本塁打を打った。この試合は当初、7-0で巨人の一方的な展開であったが、この本塁打で12-12の同点となり、この日のサヨナラ勝利を呼び込むきっかけとなった。
- 2000年 - 再び規定打席に達す。
- 2001年 - 背番号を10に変更。3回目のオールスター出場、140試合にフル出場し3割14本塁打の好成績を残した。
- 2002年 - 故障で出場機会が半減
- 2003年 - タイロン・ウッズの加入、多村仁の台頭でまたもや準レギュラー扱い。
- 2004年 - 7月16日の広島戦でジョン・ベイル投手から遊撃内野安打で1000本安打達成。この年、FA宣言するも後に残留。また日米野球でK・ロッドから日本人選手では今大会全試合で不発の日本チームにあって、ただひとり本塁打を放った。
- 2005年 - 牛島和彦新監督より新外国人野手のケビン・ウィットが開幕に間に合わなかったこともあり、四番に指名される。ウィットの復帰後も四番に座り続け、結局全146試合にその責任を果たした。
- 2006年 - 昨年に引き続き四番を任されるが、極度の打撃不振で6月以降は村田修一にその座を明け渡す。守備でも、後述のような精彩を欠く場面が目立った。
- 2007年 - 背番号を入団時の26に変更。10番は空番に。
[編集] プロフィール
- 出身地 - 大阪府大阪市東成区
- 身長/体重 - 186cm/90kg
- 血液型 - B型
- 投打 - 左投左打
- 球歴 - 尽誠学園高-大商大-横浜ベイスターズ
- 指名順位/年度 - 2位/1992年
- 推定年俸 - 6000万
- 英語表記 - SAEKI
- 守備位置 - 一塁 右翼手 左翼手
[編集] エピソード
- 最近ではテレビアニメ『ケロロ軍曹』にはまっているらしい。そしてサクサカー(tvk(テレビ神奈川)の人気番組「saku saku」のファン)でもある。
- 世界的にも活躍する指揮者の西本智実とは幼馴染である。
- 入団時に彼の母親が「息子は若い女性を見ると股間を膨らませてしまう若輩者ですが、どうぞよろしくお願いします」と発言した事がある。
- 近鉄電車の運転手になりたかったというほど子供の頃からの鉄道ファンであるが子供の頃に母親が用事で関東に行くことになり佐伯少年は「踊り子号の写真撮ってきて!」と頼み、模型まで持っていたほど好きだった踊り子号の写真を撮ってきてもらった。撮ってきてもらった写真を1枚1枚見てみると全部の写真に、踊り子号をバックにピースをしている母親の姿が映りこんでいたため、佐伯少年は「こんな写真いらない」と泣き叫んだ。
- 尽誠学園高校時代に伊良部秀輝と寮で同室だった。また、読売ジャイアンツの谷佳知とは尽誠学園、大阪商業大学を通じて後輩。
- 大阪商業大学時代には二度の三冠王を獲得している。また通算12本塁打で当時の関西六大学野球の最多本塁打記録を持っていた。
- 「メカゴジラ」は1992年に巨人に入団した松井秀喜(ただし佐伯は大卒、松井は高卒のため年齢は4歳離れている)の愛称「ゴジラ」に対抗してプロ入り時に自らそう名乗ったのが由来。
- 1997年の契約更改の際、提示された金額に納得が出来ず保留、その際「相手が標準語では話が弾まない、大阪弁の人を用意してほしい」と発言したが2度目の交渉時に大阪出身の球団幹部が同席しその人が「これでどないや?」と訪ねると同じ金額で更改した。
- 2004年9月3日のヤクルトスワローズ戦で鎌田祐哉投手から通算100本塁打を達成するなど自己最高の成績を残したが、シーズン終了後にFA権行使をした場合球団としては引き止めないという話を球団からされ、「涙が出るくらい悲しかった」と言い「もうこの球団には残れない」という主旨の話をしたが牛島監督が引きとめた事もあり残留した。契約更改の際にはたくさんの人に来て欲しいということから「入場料を安くして欲しい」という条件も提示した。
- 2006年4月28日の対広島戦にランナーを二人置いて佐伯が逆転の3ランを放つ。この時佐伯の打率は1割台に落ち込んでおり(しかし得点圏打率は3割前半を記録)、四番としての活躍はあまり出来ていなかった。この日の決勝打は佐伯で、試合終了後ファンから「佐伯コール」が起きる。お立ち台で佐伯は感極まったのか涙を流してしまう。その時声を絞り出して「こんな自分でも生きる水を与えてくれるファン、僕に挨拶してくれるチームメイトに感謝します」という発言は涙を誘うものだった。しかしその後も振るわず、6月1日の福岡ソフトバンクホークス戦で村田修一に四番を奪われてしまった。
- 打席へ入る時に応援団が演奏する曲の冒頭では、大野雄二が作曲した過去の競輪ファンファーレをアレンジしたものが何故か使われている。なお経緯については不明だが、神奈川県の競輪場では、この元曲を最後まで変更せず使い続けていた(現在は変更されている)。
- 芸人気質で、子門真人の物まねは名人級。
- みずしな孝之の漫画、「ササキ様に願いを」では年に数回、男前になり、必ず本塁打を打つキャラとして登場しているがこれは佐伯本人がみずしなに提案した物である。
- 食事に入った店で、隣の客が「サインしてください」と失礼なことに割り箸の袋を差し出した。思わずむっとして「サインしたところで、本当にこんなものを部屋に飾るんですか?」と聞くと「ハイ」という。そこで佐伯は「おてもと」と書いて返した。
- 雨上がり決死隊の宮迫に顔が似ている。
[編集] 背番号
- 26(93~00・07~)
- 10(01~06)
[編集] 通算記録(2006年終了時)
年度 | 所属 | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 併殺打 | 失策 | 打率 |
1993 | 横浜 | 26 | 55 | 131 | 5 | 26 | 4 | 1 | 2 | 38 | 12 | 1 | 2 | 1 | 0 | 14 | 27 | 2 | 2 | .198 |
1994 | 107 | 283 | 31 | 73 | 20 | 0 | 11 | 126 | 44 | 3 | 0 | 0 | 2 | 33 | 59 | 7 | 4 | .258 | ||
1995 | 103 | 212 | 27 | 56 | 17 | 1 | 7 | 96 | 29 | 0 | 1 | 2 | 2 | 30 | 45 | 1 | 2 | .264 | ||
1996 | 114 | 390 | 49 | 113 | 23 | 5 | 6 | 164 | 59 | 3 | 4 | 6 | 7 | 5 | 55 | 11 | 2 | .290 | ||
1997 | 106 | 265 | 20 | 69 | 12 | 1 | 4 | 95 | 25 | 6 | 2 | 5 | 2 | 31 | 62 | 5 | 0 | .260 | ||
1998 | 108 | 304 | 44 | 88 | 20 | 2 | 9 | 139 | 55 | 1 | 2 | 2 | 2 | 33 | 54 | 2 | 4 | .289 | ||
1999 | 112 | 363 | 49 | 112 | 17 | 1 | 10 | 161 | 53 | 1 | 2 | 0 | 3 | 35 | 49 | 7 | 1 | .309 | ||
2000 | 122 | 440 | 46 | 114 | 23 | 0 | 6 | 155 | 52 | 2 | 2 | 1 | 1 | 44 | 69 | 7 | 7 | .259 | ||
2001 | 10 | 140 | 490 | 58 | 148 | 18 | 2 | 14 | 212 | 73 | 11 | 7 | 12 | 3 | 50 | 73 | 12 | 6 | .302 | |
2002 | 62 | 209 | 15 | 62 | 11 | 0 | 2 | 79 | 23 | 4 | 2 | 3 | 1 | 12 | 36 | 6 | 5 | .297 | ||
2003 | 104 | 268 | 24 | 73 | 12 | 1 | 11 | 120 | 41 | 1 | 3 | 0 | 2 | 17 | 64 | 1 | 1 | .272 | ||
2004 | 127 | 463 | 63 | 149 | 16 | 2 | 19 | 226 | 57 | 2 | 4 | 3 | 3 | 42 | 100 | 12 | 3 | .322 | ||
2005 | 146 | 578 | 74 | 157 | 28 | 2 | 19 | 246 | 88 | 5 | 3 | 0 | 2 | 60 | 119 | 18 | 6 | .272 | ||
2006 | 86 | 307 | 25 | 69 | 13 | 0 | 5 | 97 | 37 | 1 | 2 | 2 | 1 | 32 | 78 | 6 | 4 | .225 | ||
通算(2006年まで) | 14年 | 1492 | 4703 | 530 | 1309 | 234 | 18 | 125 | 1954 | 648 | 41 | 36 | 37 | 31 | 438 | 890 | 97 | 49 | .278 |
[編集] タイトル・表彰・個人記録
- 月間最優秀選手賞 1996年4月
- オールスター戦出場 1995年 - 1996年 2001年
- 初出場 - 1993年5月23日対広島戦、代打で四球。
- 初安打 - 1993年6月5日対中日戦。
- 初本塁打 - 1993年8月1日対広島戦、佐藤剛投手から。
- 初打点 - 同上
- 初盗塁 - 1993年10月16日対巨人戦で。
- 1000試合出場 - 93年5月23日広島戦~02年6月16日ヤクルト戦。
- 1000安打 - 93年6月5日中日戦~04年7月16日対広島戦、ベイル投手から。
- 100本塁打 - 93年8月1日広島戦~04年9月3日対ヤクルト戦、鎌田投手から。
[編集] アマチュア時代の戦績・記録
- 1987年 - 全国高等学校野球選手権大会
- 1991年 - 日米大学野球選手権大会日本代表。
- 1991年 - 関西六大学野球春季・秋季リーグ戦連続三冠王。
- 1991年 - 全日本大学野球選手権大会2回戦敗退。
[編集] 関連項目
00 河野友軌 | 0 ミツル | 1 金城龍彦 | 2 内川聖一 | 3 種田仁 | 4 北川利之 | 5 石井琢朗 | 7 仁志敏久 | 8 相川亮二 | 9 下窪陽介 | 11 山口俊 | 12 吉川輝昭 | 13 那須野巧 | 15 高宮和也 | 16 川村丈夫 | 17 加藤武治 | 18 三浦大輔 | 19 染田賢作 | 20 木塚敦志 | 21 吉見祐治 | 22 高崎健太郎 | 23 藤田一也 | 24 寺原隼人 | 25 村田修一 | 26 佐伯貴弘 | 27 山北茂利 | 28 秦裕二 | 29 新沼慎二 | 30 土肥義弘 | 31 吉村裕基 | 32 松家卓弘 | 33 古木克明 | 34 三橋直樹 | 35 牛田成樹 | 36 堤内健 | 37 岡本直也 | 38 稲嶺茂夫 | 39 内藤雄太 | 40 桑原義行 | 41 岸本秀樹 | 42 マーク・クルーン | 43 北篤 | 44 小池正晃 | 45 吉原道臣 | 46 佐久本昌広 | 47 工藤公康 | 48 後藤伸也 | 49 斉藤俊雄 | 50 下園辰哉 | 51 鈴木尚 | 52 石川雄洋 | 53 野中信吾 | 54 橋本太郎 | 55 呉本成徳 | 56 スコット・チアソン | 57 鶴岡一成 | 59 黒羽根利規 | 60 飯田龍一郎 | 61 武山真吾 | 62 高森勇気 | 63 梶谷隆幸 | 65 西崎伸洋 | 66 木村昇吾 | 67 ホセロ・ディアス | 99 横山道哉
85 監督 大矢明彦 | 72 弘田澄男 | 71 波留敏夫 | 77 斉藤明夫 | 75 野村弘樹 | 82 進藤達哉 | 73 青山道雄 | 84 秋元宏作 | 98 片平保彦 | 87 塚原賢治 | 70 ジョン・ターニー | 76 二軍監督 田代富雄 | 78 高木由一 | 80 中根仁 | 74 吉田篤史 | 83 武藤潤一郎 | 81 万永貴司 | 90 井上純 | 86 中村武志 | 93 三浦正行 | 89 谷川哲也 | 95 平野元章 |
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