佐賀線
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佐賀線(さがせん)は、佐賀県佐賀市の佐賀駅と福岡県みやま市(廃線時:山門郡瀬高町)の瀬高駅を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法に基づき第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。
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[編集] 路線データ
[編集] 歴史
改正鉄道敷設法別表第113号に規定する予定線「佐賀県佐賀ヨリ福岡県矢部川、熊本県隈府ヲ経テ肥後大津ニ至ル鉄道及隈府ヨリ分岐シテ大分県森付近ニ至ル鉄道」の一部である。矢部川は現在の瀬高、隈府は菊池市であり、さらに豊肥本線の肥後大津へ、隈府からは分岐線が久大本線の豊後森に至るという壮大な計画であった。矢部川からは東肥鉄道(後に九州肥筑鉄道と改称)が熊本県南関までを開業、分岐線も1937年に国鉄宮原線として豊後森~肥後小国間が一部開業したが、いずれも廃止されている。
また、佐賀線の開業前に矢部川~柳河間で1911年より軽便鉄道の柳河軌道が営業を行っていたが、佐賀線の開業に際して廃止補償を受ける形で、矢部川~筑後柳河間開業後の1932年2月21日に廃線となった。
当線は諸富~筑後若津間で筑後川を、筑後若津~筑後大川間で花宗川を渡ることになったが、通常の橋では大型船舶の航行に支障をきたすおそれがあるため、筑後川に架かる筑後若津橋梁(通称筑後川昇開橋・全長506m)は、列車通過時以外は橋桁中央部を23m上昇させることができる可動橋(昇開橋)とし、花宗川に架かる花宗川橋梁(全長64m)は橋桁を両側に75度跳ね上げることのできる跳開橋(跳ね橋)とした。佐賀線廃止後、花宗川橋梁は撤去されたが、筑後川橋梁は保存され、国の重要文化財に指定されている。
沿線の大川市は家具産業が盛んで、佐賀線からも全国へ向けて出荷がされており、また、諸富駅からも1970年代頃まで味の素九州工場への引込線があった。この様に佐賀線は、沿線住民にとっても欠かせない路線であった。このため全盛期には佐賀線を経由し、熊本駅と長崎駅の間で急行「ちくご」(運転開始時は準急)も運転された事もあるが、モータリゼーションにより乗客は減少するようになり、貨物もトラック輸送へと移行していった。一番の要所でもあった筑後川で、併走する国道208号に諸富橋・大川橋が完成すると、ますます乗客が減り、前述の通りに廃止が決定したのである。
- 1931年9月24日 【開業】矢部川~筑後柳河(8.6km) 【駅開業】三橋、筑後柳河
- 1933年6月17日 【延伸開業】筑後柳河~筑後大川(5.4km) 【駅開業】筑後大川
- 1935年5月25日 【延伸開業・全通】佐賀~筑後大川(10.0km)(全通と同時に起終点が逆転し、鹿児島線の部から長崎線の部に変更。佐賀線 佐賀~矢部川) 【駅開業】諸富、南佐賀
- 1936年6月18日 【信号所新設】筑後川
- 1937年6月10日 【駅新設】百町
- 1938年3月30日 【駅新設】筑後若津
- 1938年9月10日 【駅新設】光法
- 1939年9月11日 【駅新設】東佐賀
- 1942年4月1日 【駅名改称】矢部川→瀬高町
- 1947年5月1日 【信号所→信号場】筑後川
- 1956年1月10日 【駅新設】東大川
- 1956年4月10日 【駅名改称】瀬高町→瀬高
- 1961年10月1日 【優等列車設定】本線経由で熊本~長崎間を運行する準急列車「ちくご」運行開始
- 1966年3月5日 「ちくご」急行列車に格上げ
- 1976年2月19日 【改キロ】佐賀~東佐賀(+0.1km) 佐賀駅移転による
- 1980年10月1日 【優等列車廃止】「ちくご」運行終了
- 1987年3月28日 【路線廃止】全線(-24.1km)
[編集] 駅一覧
- 佐賀駅【営業キロ】
- 東佐賀駅(ひがしさがえき)【2.3km】 - 1939年に開業し、全通後4番目の新設駅で無人駅。廃線後は、道路になっていて記念碑などは建てられていないが、付近を流れる八田江川に架かる橋の欄干に、蒸気機関車の彫刻が施されている。
- 南佐賀駅(みなみさがえき)【4.0km】 - 1935年に全線開通と同時に開業した駅。1線1ホームで無人駅。また、佐賀駅方に保線用の引込み線があった。廃線後は、南佐賀から筑後川昇開橋まで、徐福サイクルロードとして整備されている。また、ホームや、レールなどが残されているが、駅舎だけは当時からの建物を改築し、内部はトイレになっている。所在地は佐賀県佐賀市南佐賀二丁目2番。
- 光法駅(みつのりえき)【5.5km】 - 1938年に開業し、全通後3番目の新設駅。1線1ホームで、無人駅。廃線後の跡地は、徐福サイクルロードの一部として、整備されている。
- 諸富駅(もろどみえき)【7.8km】 - 南佐賀駅と同様に全線開通と同時開業した駅。5線3ホームで、無人駅。廃線後は、町営の体育館や産業振興会館になっている。ホームなどの当時の設備は残っていないが、写真付の記念碑が建てられている。
- 筑後川信号場(ちくごがわしんごうじょう)【9.0km】 - 全線で唯一の信号所である。しかし、一般にある列車を交換させるための施設ではなく、昇開橋の橋げたを制御させるための施設である。なお、係員は大川市側から渡って中央部に行来きしていた。
- 筑後若津駅(ちくごわかつえき)【9.3km】 - 1938年に開業し、全通後2番目の新設駅。1線1ホームで、無人駅。昇開橋を渡ったすぐの所に位置していた。現在は、昇開橋を見渡せる展望所になっていて、記念碑も建てられている。
- 筑後大川駅(ちくごおおかわえき)【10.1km】 - 1933年に延伸開業した際に開業した駅。5線3ホームで、反対側には貨物用の引込み線があり。業務委託駅であった。現在は、記念碑が残され、ハローワーク及び、道路に整備されている。
- 東大川駅(ひがしおおかわえき)【12.6km】 - 1933年に筑後大川駅と同時に開業した駅。廃線から20年近くたった現在も、ホームや踏切灯が、当時のまま現存しているが、有明海沿岸道路の工事が目の前まで迫っているため解体も時間の問題である。1線1ホームで、無人駅。
- 筑後柳河駅(ちくごやながわえき)【15.5km】 - 1931年に佐賀線最初の駅として三橋駅と同時に開業した駅。4線3ホームで、筑後大川駅と同様に業務委託駅である。現在は公園に整備されているが、記念碑などは建てられていない。佐賀駅側には陸橋があるが、現在としては無意味な橋となっている。
- 百町駅(ひゃくちょうえき)【18.8km】 - 1937年に全線開通後最初の新設駅。1線1ホームで、無人駅。現在は県道柳川筑後線として整備され駅の跡にはその記念を残すため記念碑が建っている。
- 三橋駅(みつはしえき)【20.1km】 - 1931年に筑後柳川駅と同時に開業した駅。1線1ホームで、無人駅。現在は道路になっていて、記念碑は無く、面影も残っていない。
- 瀬高駅【24.1km】
[編集] 接続路線
筑後柳河~百町間で西鉄大牟田線(現天神大牟田線)と同線矢加部駅の下で交差していたが、佐賀線に駅は設けられていなかった。
[編集] 廃止後の状況
佐賀駅・瀬高駅にはそれぞれ佐賀線用の0番ホームが今も残存している。 佐賀駅から東進する長崎本線の高架には佐賀線の枝が、すぐに切れるものの残っており、カーブしながら地上へ降りていく路盤も放置されている。瀬高駅ではホームは当時のままだが、線路部分が自転車置き場に転用されている。
東佐賀駅跡~南佐賀駅までは一般道に、南佐賀駅から筑後川昇開橋(諸富町側)までは自転車専用道路「徐福サイクルロード」に、そこから、花宗川鉄橋跡手前まで遊歩道兼一般道として整備され、そこから筑後大川駅跡までは、未開発である。筑後大川駅からしばらくは一般道として舗装されており、そして、東大川駅跡付近までは有明海沿岸道路が通る予定で現在工事中である。 それより先、筑後柳河駅までは未整備である。また、同駅のホーム等設備の一部は「学童農園むつごろうランド」に移転され、跡地は公園として整備されている。そこから三橋駅付近までは、未整備で、それからしばらく、一般道となっている。矢部川橋梁(現在はない)から先は、一部掘削されて用水路となっている。
現在は西日本鉄道系列のバス会社2社が路線バスを運行している。
[編集] 外部リンク
- 空中写真分布表 九州編 - 佐賀駅・筑後柳河駅・筑後川昇開橋・諸富駅及び味の素引き込み線の空中写真あり
- 廃線探訪・国鉄佐賀線