佐野元国
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佐野 元国(さの もとくに、1958年3月6日 - )は神奈川県出身。昭和後期から末期(1970年代後半-1980年代)のプロ野球選手(捕手)。父親がギリシャ人で1982年までの登録名は佐野クリスト。
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[編集] 来歴・人物
横浜高校から1977年のドラフト3位で近鉄バファローズから指名され入団、チームが初のリーグ優勝を果たした1979年に初めて1軍に昇格した。2軍では定評のある守備以外にも、1980年にウエスタンの本塁打と打点の二冠王を獲得するなど地力はあったが、梨田昌孝、有田修三といった捕手陣が全盛期だったため出場機会に恵まれず2軍暮らしが続いた。
1985年に島貫省一との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。当初は山倉和博に続く2番手の捕手として期待されていたが、この年快進撃を続けていた阪神タイガース戦で槙原寛己とバッテリーを組んだ際、掛布雅之、ランディ・バース、岡田彰布のクリーンナップからバックスクリーンへの3連続本塁打を浴びる屈辱を経験。それを境に出場機会は極端に減っていった(ただしこの年、生涯唯一となる公式戦本塁打を、広島東洋カープの白武佳久より記録している)。
翌1986年には近鉄時代に超えることができなかった有田修三が巨人に移籍したため、出場機会は更に減少。主に2軍において若手投手の育成に専念しつつ、1988年を最後に現役を引退した。引退後は現役時代に2軍監督を務めていた須藤豊が横浜大洋ホエールズの監督に就任した際に、その誘いで大洋のバッテリーコーチに就任、1990年から3年間務めた。1993年には古巣・巨人のバッテリーコーチに就任し、村田善則らを育てた。
現在は講演を中心に活動中。マスターズリーグ・札幌アンビシャスにも在籍した。
[編集] 背番号
- 39(1978年~1984年)
- 37(1985年~1988年)
- 82(1990年~1992年)
- 80(1993年~1994年、1997年~1998年)
- 91(1995年)
- 89(1996年)
- 70(1999年~2000年)
[編集] 通算成績
- 27試合 打率.136 (22打数 3安打) 1本塁打 0盗塁