処女
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処女(しょじょ)とは、男性と性交経験がない女性のこと。また、その女性の状態。バージン、ヴァージン(Virgin)とも呼ぶ。
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[編集] 語源と用法
未通女(おとめ、おぼこ)、生娘(きむすめ)、おぼこ(ボラの幼魚)などとも言う。
漢語である「処女」の本来の解釈は、「処」は「居る」の意味であり、「結婚前で実家に居る女性」=「未婚の女性」という意味であった。和語のおとめ(乙女)も「未婚の女性」という意味で使われることがあり、「処女」を「おとめ」と訓読することもある。
漢語の「処女」の用例として与謝野鉄幹らが1907年に著した紀行文『五足の靴』があるが、某地の風習(その真偽のほどは定かではない)に言及している箇所で、「風俗の淫靡なことは有名なものだ。良家の処女と雖も他国から来た旅客が所望すれば欣々として枕席に侍する、両親が進んで之を奨励する」とあり、文脈からしてこの場合の「処女」が「性交経験のない女性」という意味ではないことは明らかである。また『孫子』から来た故事成語に「始めは処女のごとく、後に脱兎のごとし」というのがあるが、これも同様である。
また、以前は青年団等においてその女性組織を「処女会」と呼んでいたが、これも「独身女性の会」というほどの意味であろう。
[編集] 現代における用法
初体験以来の性交経験がない(あるいは極端に少ない)女性の状態をセカンドバージンと呼ぶ。性行為によって処女ではなくなることをロストバージンと呼ぶ。
最近では、若年層を中心に「処女卒」(「処女を卒業する」の意?)という言い方も流布している(例:NHK教育テレビの、小学校高学年~中学生を対象にした番組「金曜書き込みTV」2006年4月21日放送分で紹介された視聴者の投稿(番号59))。
また、アナルセックスしか経験していない女性も処女と呼ぶことがある。これは、あくまでも膣に陰茎を挿入する事を性行為と限定しての考え方である。逆に、膣に挿入された経験はあるが、アナルセックスを経験していない女性をアナルバージンと呼ぶこともある。アナルバージンと区別するために、本来の処女をリアルバージンと呼ぶこともある。
なお、しばしば処女喪失は処女膜の損傷と出血を伴うものと理解されているが(「処女膜」という日本語の表現自体そのようなイメージと結びついているし、小説や映画、ドラマ等でも、劇的な体験を効果的に表現するためそのような演出がされることが多く、こうしたイメージが定着しているものと思われる)、実際には性行為を経験しても処女膜が損傷しない場合もあるし、逆に性行為以外の原因によって処女膜が損傷する場合もある。詳細は処女膜の項目参照。
[編集] 思想・宗教における処女
思想・宗教などでは、処女に特別な意味を見出すことが多い。例えば、「巫女やシスターなどは、処女でなくてはならない」とする規則などが挙げられる。処女には神聖な力が宿っており、処女でなくなった場合にはその力が穢れたり、失せたりするという。
又、古代文明では「処女を生贄とする」ことで、神々・悪魔・呪い・天災などから平和が得られると信じられていた。これも「処女には、神聖な力が宿っている」と考えられた結果からだろう。
キリスト教徒の間では、イエスの母親のマリアが「処女」と呼ばれることが多い。西欧の言語の中には「処女」を意味する語を大文字にする(定冠詞をつけることが多い)と「聖母マリア」を指すものもある。
古代ローマでは、処女を殺すことはタブーとされていたため、処刑する前に強姦して穢れさせてから処刑するという風習があったといわれる(ルキウス・アエリウス・セイヤヌス#その後を参照)。中世ヨーロッパにも同様の風習があったといわれている。
イスラム教では、善行を積んで死んだ者は「いくら交わっても永遠に処女である女性」にかしづかれ飲食に不自由しない世界にいける、という教えがある。この場合の「処女」は明らかに性的な意味ではなく、宗教的な意味で用いられている。
[編集] 転用
上述の意味から転じて、「初めての」という意味で使われることがある(例:処女作、処女航海)。また、「何もされていない」という意味で使われることもある(例:処女地、処女雪)。ただしこれらの表現に対してポリティカル・コレクトネスやジェンダーフリーの観点から問題のある表現だとされることがあるが、それは言葉狩りだという批判もある。