刑罰の一覧
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刑罰の一覧(けいばつのいちらん)
当項は古今東西の刑罰を集め一覧としたものである。現在、日本で行われている刑罰については、「刑罰」も参照のこと。なお簡単な紹介を付した。
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[編集] 死刑(死罪、しざい)
死刑は、受刑者を死亡させる刑罰である。方法としては、以下のものがある。
[編集] 頚部血流を阻害する方法
- 絞首刑(こうしゅ)
- 絞首刑は囚人の首を絞めることによって死に至らしめる刑。絞首と縊首は厳密には違う事だが、現在、絞首刑の規定されている国において一般的に行われているのは、縊首により縊死(いし)に至らしめる方法である。歴史的には純粋な絞首による処刑も行われており、その為の装置も作られている。一般的には、囚人の首に縄を掛け、または穴のあいた板に首を通し、高所より吊るす刑。絞首台が使用される。首にかけた縄をねじって絞首する方法も用いられた。受刑者は縄によって頚動脈がふさがれて脳への血流を阻害(縊死)され、または気道が塞がれて呼吸ができなくなる(窒息死)。現在の日本で行われている処刑方法でもある(刑法第11条第1項「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。」)。イギリス式は縄の結び目をあごに掛けるので、落ちたときに、てこの原理で頚椎を骨折させる効果がある。現在の日本の処刑はイギリス式同様に頚椎を骨折させ即死効果を狙っていると言われている。縛り首(しばりくび)ともいう。日本語では「縛り首」の単語そのものには斬首刑の意味もある。これは両手を後ろに縛ってから首を刎ねたことに由来する。
- 斬首刑(ざんしゅ)
- 囚人の首を切り落とす刑。実際に切り落とす方法はいろいろで、江戸期日本の下手人(げしゅにん)・死罪・獄門では当番同心(または山田浅右衛門)が日本刀を用い、中世ヨーロッパでは刑吏(けいり)が両刃の斬首刀を用い、古代中国やイギリスでは斧が用いられた。また古代ローマでは、首をはねる前に罪人を鞭で打った(鞭で打ち殺した後に首をはねることもあった)。これらの手法は執行吏の腕前によっては失敗し、首が落ちるまで何度も斬りつける羽目になるなどの危険も高かった。革命期のフランスで「失敗のない人道的な死刑方法」としてギロチンが発明されると、革命政府は以後の処刑を全てこの機械によって行い、恐怖政治の象徴となった。ギロチンはドイツに輸出され、ナチス時代に盛んに使用されている。フランスでは、1981年9月に死刑制度自体が廃止されるまでギロチンが用いられていた。現在は、イスラム過激派テロリストが拉致・誘拐した者を殺害する際にしばしば用いられている。打ち首(うちくび)ともいう。
- 鋸挽き(のこぎりびき)
- 日本で行われた処刑方法の一つ。江戸期以前においては罪人を埋めてから鋸でひき殺し、そのまま4, 5日晒した。受刑者の苦痛を増幅させるため鋸には切れ味の悪い物や木製竹製の物が用いられることがあった。織田信長を狙撃した杉谷善住坊が、これで処刑されている。江戸期においては尊属殺や主殺しの重大犯罪に対して行われた。鋸挽きの刑に処すと決まった者は、江戸市中を引き回された後、首から下を埋められ首が地上に出る状態にして晒し者にされた。受刑者の首の側には鋸が置かれた。本来の規定では通行人等が自由に鋸を引いて良いという事になっていたが、実際には引かれることは滅多になかった。その後、受刑者は磔により絶命させられ、数日間晒し物とされた。
[編集] 呼吸を阻害する方法
- 生き埋め
- 溺死による処刑
- 受刑者を水の中に落して溺れさせて処刑する方法である。中世ヨーロッパでは主に女性に対する処刑方法であった。中国では沈河(ちんが)と呼ばれ、日本では薦(こも)にくるんで水の中に投げ入れるので、簀巻き(すまき)と称す。
[編集] 毒物を用いる方法
- 薬殺刑(やくさつけい)
[編集] 刃物等で人体を切り刻む方法
- 杭打ち(くいうち)
- 串刺し(くしざし)
- 車裂き(くるまざき)
- 受刑者の四肢を車輪に縛り付け、刑吏が別の車輪を打ちつけて四肢を順次砕き、最後に腹部、または頭を打って処刑する方法。折られた手足を卍状に折り曲げて車輪にくくりつけた死体はそのまま晒される。主にヨーロッパで行われた処刑方法である。
- 磔刑(たっけい)
- 受刑者を十字架などにはりつけにする刑。イエスは十字架へのはりつけによって処刑されたというのが通説とされているが、一本の木の杭にはりつけられ処刑されたと主張する宗教団体もある。戦国時代、織田信長など諸侯らがこの刑を見せしめに利用し、信長は自分の甥に当たる浅井万福丸という子供に対しこの刑を使った。江戸期日本の磔(はりつけ)は親殺し犯、主人殺し犯などに適用される、通常の死刑より一等重い刑罰であった。十字架上の受刑者の脇腹を槍で突いた後、そのまま肩口から突き出すまで刺し貫くのが作法である。ニ~三回突かれると受刑者は絶命するが、かまわず二十数回突く。最後にとどめ衝きとして首を突いて刑が終了する。水磔(すいたく)は、受刑者を逆さに貼り付けた十字架を水際に立て、潮の干満によって溺死させる方法である。
- 腰斬刑(ようざんけい)
- 受刑者の胴体を切断する刑。中国では通常の死罪(棄市)より重い罪に対し科せられた。江戸期日本の金沢藩では三段切りとよばれる腰斬と斬首を組み合わせた処刑方法があった。
- 凌遅刑(りょうちけい)
- 受刑者の肉を少しずつそぎ落とし、長時間苦痛を与えた上で殺す刑。削いだ肉は執行者や為政者が食べる場合もある。剥皮(かわはぎ)、抽腸(はらわたの抉り出し)、烹煮(かまゆで)等と共に中国で行われた処刑法の一つ。中国では清が滅亡するまでの歴史上この刑はずっと執行し続けられ、この刑で処刑された人間の肉は漢方薬として売られて食べられていた。この刑を執行している当時の写真が現存している。また、イングランドの叛逆者に行われる処刑は、まず絞首するが、息の根が止まる前に放し、次に陰部を切断し、腸を取り出し、最後に首、四肢を切断し、城門の各所に晒すというものだった。映画「ブレイブハート」の主人公で有名なウィリアム・ウォレス等がこれで処刑された。
[編集] 高エネルギーによって人体を破壊する方法
- 石打ち刑(いしうちけい)
- 下半身を地中に埋めるなどして身動きを封じた受刑者に対し、死亡するまで石を投げつける刑。現在でもイスラム法による処刑方法の一つになっている。
- 火刑(かけい)
- 受刑者を火で焼いて殺す刑。受刑者は全身を焼かれて死亡するが、火傷より先に酸欠で死ぬともいわれる。火刑、または火炙り(ひあぶり)で有名なのは近世ヨーロッパで行われた魔女裁判の処刑法としてである。魔女は肉の一片からでも再生すると言われていたので、魔女を殺すためには完全に灰にする必要があった。そのため魔女の火刑は足元につんだ薪を使って長時間かけて焼く。火勢が弱いため受刑者は絶命まで時間がかかる。中には、苦痛で暴れたために焼けた皮膚が破れて骨が飛び出したという記録がある。自分が魔女であると告解すれば、火刑の前に縊り殺してもらえた。これに対し、江戸期以降の日本の火罪(かざい)は、萱束(かやたば、枯れたススキの束)を受刑者の首のあたりまで積み上げる薦造り(こもづくり)とよばれる状態で火をかけ、筵(むしろ)であおいで一気に焼き上げる。高温で焼かれるため受刑者は速やかに死に至りその遺骸は小さく縮んでしまう。頃合を見て燃え残りを片付け、とどめ焼き(鼻と、男性なら陰嚢、女性なら乳房をたいまつであぶる)を行う。その後、遺骸は三日三晩晒された後取り捨てられる。あとは野犬とカラスが始末する。
- 釜茹で(かまゆで)
- 銃殺刑(じゅうさつ)
- 囚人を銃により射殺する刑。主に軍隊内の処刑に用いられる。軍隊における正式な銃殺刑では、受刑者は弾止めの壁の前に立たされるか、杭にくくられ、目隠しの後、心臓の位置に標的を張られる。そして銃殺隊によって、胸の目標にむけて射撃が行われた後、銃殺隊長が腰の拳銃で頭を撃ってとどめをさす。なお前線などではより簡便な略式の銃殺も行われた。21世紀初頭現在の中華人民共和国では世界で最も多くの死刑が執行されておリ、一般犯罪者の死刑執行に銃殺が行われ、まれに一般公開もされる。受刑者は後ろ手に縛られ、座らせられた後、後ろから後頭部を撃たれて処刑される。タイでは執行官が延髄に直接銃口をあて処刑している。銃殺刑創始間もない頃は、かなり離れた距離から受刑者の頭部を執行者が狙い打っていたが、この方法ではあまりにも失敗が多く、後に上記の現在の方法に変更された。
- 突き落とし(つきおとし)
- 電気椅子(でんきいす)
- 炮烙(ほうらく)
- 「酒池肉林」で有名な殷の紂王(ちゅうおう)の時代(古代中国)で行われていたという刑。炭火の上に渡した焼けた銅柱の上を歩かせるとあるが、しばしば焼けた銅柱に抱きつかせる刑ともされる。必ずしも受刑者の死を企図した刑では無いが、おおむね助かることはない。
[編集] 動物を使う方法
- ゾウによる踏み付け
- 四つ裂き刑(よつざき、引裂刑とも)
- 猛獣の餌食
[編集] 身体刑(肉刑)
身体刑は、受刑者の身体の一部を傷つける刑罰である。現在ではあまり行われていないが、イラン・サウジアラビアなどイスラム教の原理主義の強いところではよく行われている。
- 宮刑(きゅうけい)
- いわゆる去勢。
- 劓刑(はなそぎ刑)
- 被刑者の鼻を削ぐ刑。
- 断手刑
- 断指刑
- 被刑者の指を切る刑。
- 入墨刑(黥刑)
- 烙印刑(焼印刑)
- 被刑者の体躯(顔面もしくは上腕部が多い)に烙印を押す刑。
- 敲刑(杖刑)
- 被刑者の体躯を杖や棒で叩く刑。ムチ打ち刑。古くから軽犯罪に対する刑として世界的に行われていた。現代ではイスラム文化圏の国を中心に行われている。シンガポールでの例では、3回打たれただけで尻の皮は裂け、大変な苦痛が伴う。回数と打ち方によっては受刑者が死亡する場合もある。
- 臏刑
- 被刑者の足を切り落とす刑。(関連項目: 孫ピン)
[編集] 自由刑
自由刑は、受刑者の行動の自由を奪う刑罰である。
[編集] 現代日本及び諸外国の刑罰
[編集] 諸外国にのみ存在する刑罰
- 終身刑(絶対的終身刑)
- 夜間のみの拘束
[編集] 過去存在した刑罰
- 入牢
- 閉門
- 蟄居
- 永蟄居
- 押込
[編集] 財産刑
財産刑は、受刑者の財産を没収する刑罰である。
[編集] 追放刑
追放刑は、受刑者の居住地域を制限する刑罰である。
[編集] 身分刑
- 非人手下(ひにんてか)
- 被刑者を非人という身分に落とす刑。(1)姉妹伯母姪と密通した者、(2)男女心中(相対死)で、女が生き残った時はその女、また両人存命の場合は両人とも、(3)主人と下女の心中で、主人が生き残った場合の主人、(4)三笠附句拾い(博奕の一種)をした者、(5)取退無尽(とりのきむじん)札売の者、(6)15歳以下の無宿(子供)で小盗をした者などが科せられた。この非人という身分は、江戸時代、病気・困窮などにより年貢未納となった者が村の人別帳を離れて都市部に流入・流浪することにより発生したものと(野非人)、幕藩権力がこれを取り締まるために一定の区域に居住させ、野非人の排除や下級警察役等を担わせたもの(抱非人)に大別される。地域によってその役や他の賤民身分との関係には違いがあるが、特に江戸においては非常に賤しい身分とされ、穢多頭弾左衛門の支配をうけ、病死した牛馬の処理や、死刑執行の際の警護役を担わされた。市中引き回しの際に刺股(さすまた)や袖絡(そでがらみ)といった武器を持って囚人の周りを固めるのが彼ら非人の役割であった。当時の斬首刑を描いた図には、非人が斬首刑を受ける囚人を押さえつけ、首切り役の同心が腕まくりをして刀を振りかぶっているような図が見える。なお、従来の研究では、非人は「士農工商えたひにん」の最下位に位置づけられることから、非常に賤しい存在とされ、非人手下という刑の酷さが強調されてきたが、非人と平人とは人別帳の区分の違いであること、非人は平人に復することができたことなどから、極刑を軽減するためにとられた措置であるという見方もある。
[編集] そのほか
- 手鎖(てぐさり)
- 江戸期日本で行われた刑罰の一つ。
[編集] 付加刑
他の刑罰に付加される刑罰。単独では成立しない。
- 獄門(ごくもん)
- 江戸期日本の死罪の付加刑。
- 晒し(さらし)
- 人通りの多い場所に罪状を書いた高札などと共に長時間放置される刑罰。心中の未遂や生き残りの本来の刑罰は非人手下だが、その前に晒されるのが普通だった。中世ヨーロッパでは鳥かご状の檻に閉じ込めて建物などから吊るして晒す方法が取られている。さらし台を使用する場合もある。
- 市中引き回し
- 江戸期日本の死罪の付加刑で、囚人を馬に乗せ、罪状を書いた高札などと共に刑場まで公開で連行していく。
時代劇で「市中引き回しの上打ち首獄門」などと言われる物。
- 江戸期日本の死罪の付加刑で、囚人を馬に乗せ、罪状を書いた高札などと共に刑場まで公開で連行していく。
- 労働の付加