加藤初
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加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - )は西鉄ライオンズ・太平洋クラブライオンズ - 読売ジャイアンツに所属したプロ野球選手(投手)。静岡県出身。巨人で選手兼任コーチ、引退後は西武でコーチを務めた他、台湾・韓国でもコーチを務めている。
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[編集] 来歴・人物
吉原商業高校から亜細亜大学に進むが1年で中退、社会人の大昭和製紙吉原を経て1971年、ドラフト外で西鉄に入団(加藤には後にプレーすることになる巨人からも誘いがあったが、当時弱小だった西鉄の方が登板機会が多いだろうと考えて選んだという)。現役時代は東尾修らと共に先発の一角を任され、血行障害に悩まされた時期もあるものの西鉄~太平洋・巨人で通算19年間プレーした。
入団初年度の1972年にいきなり17勝を挙げ新人王、巨人に移籍した1976年に最優秀勝率のタイトルをそれぞれ獲得している。オールスターゲームにも6度出場し、1976年には対広島戦でノーヒットノーランの快挙を成し遂げている。
1989年からは巨人で選手兼任コーチを務め1990年に現役引退。その後はフジテレビやニッポン放送の野球解説者として4年間過ごした(後年、あまりしゃべりは得意でなかったと自らを振り返っている)。1995年からは西武のコーチに就任し2000年からは西武のフロントに入った。
西武退団後は台湾プロ野球のLa Newベアーズ(その時の監督は元西鉄・太平洋で同僚の大田卓司)、韓国プロ野球のSKワイバーンズでコーチを経験した。2002年・2006年は韓国・LGツインズで投手インストラクターを務めていた。2007年から再び韓国・SKワイバーンズの投手コーチに就任する。
現役時代はどんな時もポーカーフェイスで感情を表に出さないため「鉄仮面」という愛称を付けられた(一時期巨人で一緒にプレーしていたことのあるウォーレン・クロマティによれば、影では「フランケン」というあだ名で呼ばれていたらしい)が、根はとてもひょうきんでユーモアあふれる人物である。牽制球の巧みさには定評があった。マイカー通勤が多い巨人の選手の中で電車通勤を続けたという逸話を持つ。
この電車通勤は、後楽園・神宮・横浜スタジアムのほか、オフのバラエティ番組のゲスト出演にも電車通勤だった徹底振り。フジテレビの年末に放映されたプロ野球珍プレー・好プレーの収録で、島田紳助が「加藤さんは電車通勤をしているそうですが、今日の収録も電車で来られたんですか?」と尋ねたら、加藤は「そうです」と言ってテレビに定期券を見せた。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 静岡県富士市
- 球歴 吉原商高 ― 亜細亜大学 - 大昭和製紙吉原 - 西鉄ライオンズ・太平洋クラブライオンズ(1972年~1975年) - 読売ジャイアンツ(1976年~1990年) - 西武ライオンズ(1995年~1999年)
[編集] タイトル・表彰
[編集] 通算成績
- 490試合 141勝113敗22セーブ 1500奪三振 防御率3.50
[編集] 関連項目
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