南光坊
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南光坊(なんこうぼう)は愛媛県今治市にある真言宗の寺で、四国八十八箇所の第55番札所にして、金剛院(こんごういん)と号し、別宮山(べっくさん)と号する。
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[編集] 歴史
[編集] 興り
時は大宝律令の発して間もない大宝の世の末なる3年(703年)、異説にあってはそれから9年後の和銅5年(712年)。『神の島』といわれる大三島に鎮座する大山祗神社にはその数24の僧坊があったが、越智郡日吉村の地に別宮を創建したこの年、そのうちの8つがその別宮の別当寺としてともに遷された。
これらの坊はそれからしばらくともに在り続けたが、戦国時代(1493年頃~1573年頃)に差し掛かった折、伊予の全土を襲った長宗我部氏の軍勢により焼き払われ、もって天正年間(1573年~1592年)中に失することとなった。
しかしのちに至って、それらのうちの一坊が別宮(大山祗神社)の別当寺として再興の時を見た。ここに今に至るところの別宮山南光坊の歴史が始まった。
[編集] 近世以降
江戸時代には藤堂高虎の祈祷所として薬師堂が再建されるなど、近世は今治藩主の篤い崇敬と庇護を受ける神宮寺としてあった。文久年間(1861年~1864年)には金毘羅堂が造られる。
時も下って明治になると、神仏分離令にしたがう形で神仏習合の状態を脱し、これをもって、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)を本尊に拝する寺として独立した。
大正5年(1916年)には大師堂が建造される。第二次世界大戦のさなかには境内が激しい空襲にさらされ、これにより伽藍のほとんどが消失したが、金毘羅堂とこの大師堂だけは無傷であった。
[編集] 伽藍
[編集] 本尊
釈迦如来の師とされている大通智勝如来の秘仏を本尊として、その脇仏として弥勒菩薩と観音菩薩を、ともに瓦屋根の本堂に祀る。大通智勝如来を本尊とするのは四国八十八箇所で当寺のみである[3][2]。真言は『なむだいつうちしょうぶつ』[4]。
[編集] 大師堂
弘法大師(空海)を拝するこの堂は、山門を入ったところの右手の場所に置かれている。第二次世界大戦のさなかの空襲によって境内の大部分が消失するも、金毘羅堂とこの堂だけがその戦禍を免れた。伝えられるところによれば、数多の焼夷弾が境内に落ちてきたものの、それらのいずれもがこの堂の屋根を滑り落ちてゆき、そのときの堂内にいた避難者の全員が無事であったという。[1][4]
[編集] 所在と交通
愛媛県今治市別宮町3-1に所在。四国旅客鉄道予讃線今治駅から徒歩にて5分。[2]
[編集] 文献資料
- ^ a b 『四国古寺を往く』 〔ISBN 4886021077〕 P.153 - 冨永航平
- ^ a b c d 『MSNトラベル - 国内観光ガイド - 南光坊』 - Microsoft
- ^ a b 『四国古寺を往く』 〔ISBN 4886021077〕 P.152,153 - 冨永航平
- ^ a b c 『四国八十八カ寺&周辺ガイド』 〔ISBN 4883382567〕 P.130 - エスピーシー