本尊
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本尊(ほんぞん)には、次の意味がある。
- 仏教寺院や仏壇などに最も大切な信仰の対象として安置されたり、お守りとして身辺に常時携帯される、仏や菩薩などの彫刻・絵画・曼荼羅(まんだら)・名号などのこと。
- 仏教以外の宗教において信仰の対象として大切に扱われるもののこと。
- 仏教以外の日常生活において、ものごとの張本人や端倪すべからざる人物、大切にすべき物などのこと。
ここでは、仏教の用語としての本尊について記載する。(他の意味は、仏教の用語としての本尊の転用である。)
[編集] 本尊の由来
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
本尊という名称と概念は、大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の説くところに由来する。
- 本尊の身に亦た二種有り。所謂(いわゆる)清浄と非清浄なり。彼の浄身を証すれば一切の相を離れ、非浄・有想の身は、則ち顕・形の衆色有り。
- 彼の二種の尊形は、二種の事を成就す。有想の故に有相の悉地(しっち、サンスクリットsiddhi、究極の境地なり)を成就し、無想の故に随て無相の悉地を生ず。 説本尊三昧品第二十八
日本では鎌倉仏教の時代に、日蓮によって以下の3つの意義を要件として教義とするようになる。
- 根本尊崇(こんぽんそんすう)。「世界におけるあらゆる物事の根本」として尊ばれ崇められるべきもの。
- 本来尊重(ほんらいそんちょう)。「私たち自身の生の本来的なありかた」として尊重されるべきもの。
- 本有尊形(ほんぬそんぎょう)。無限の過去からもともと有ったのだが今までは隠れていた「尊い存在の姿・かたち」が顕現したもの。
これは、日蓮の最もライバルとして意識していたと思われる空海の興した真言宗への対抗意識のなせる業ともいわれている。日蓮宗系各宗派の立てる本尊である大曼荼羅の字体は、真言宗自家薬籠中の梵字(悉曇文字)への近接が窺われる。
[編集] 各宗派の本尊
以下に日本仏教における主要な各宗派の本尊を示す。
- 南都六宗・・・・本尊は寺によって異なる。東大寺(華厳宗)金堂本尊は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ、大仏として有名)、薬師寺(法相宗)金堂本尊は薬師如来、興福寺(法相宗)中金堂本尊は釈迦如来。
- 天台宗・・・・円(天台)・密(密教)・禅(禅宗)・戒(戒律)の四宗を相承した最澄によって日本へ伝えられた宗派であり、本尊も各寺院によってまちまちである。延暦寺の根本中堂、西塔釈迦堂、横川中堂の本尊はそれぞれ薬師如来、釈迦如来、観音菩薩である。真正極楽寺のように阿弥陀如来を本尊とする寺院もある。
- 真言宗・・・・中心的尊格は大日如来だが、各寺院の本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩、不動明王などさまざまである。これは全ての仏は宇宙の真理の象徴であり、法身である大日如来が姿を変えて現われたものとする観念に基づくと思われる。東寺、神護寺、醍醐寺の本尊はいずれも薬師如来、金剛峯寺の本尊は阿閦(あしゅく)如来(薬師如来と同体とも)である。
- 浄土宗・・・・阿弥陀如来(上品上生の座像)
- 浄土真宗・・・阿弥陀如来(上品下生の立像)(「南無阿弥陀仏」の名号本尊、または仏像や立像の画など)
- 臨済宗・・・・仏殿本尊としては釈迦如来を安置することが多い(縁によりその他観音菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩等)ただし、禅宗寺院では仏像と同様、時にはそれ以上に祖師像を重視する傾向がある。
- 曹洞宗・・・・仏殿本尊としては釈迦如来を安置することが多い(ただし、心の中の存在として観念的に捉えている。縁によりその他観世音菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩等)ただし、禅宗寺院では仏像と同様、時にはそれ以上に祖師像を重視する傾向がある。
- 日蓮宗、法華宗・・・・久遠実成の釈迦牟尼仏/弘安5年日蓮臨入滅直筆大曼荼羅/中央に題目を記した宝塔と、その両脇に釈迦如来と多宝如来を配し、その下に日蓮像を配する「三宝尊」
- 日蓮正宗・・・弘安2年10月12日の*本門戒壇之大御本尊(通称、板曼荼羅)