大木武
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大木 武(おおき たけし、1961年7月16日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー選手でサッカー指導者。現Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府監督。
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[編集] 略歴
出身校は清水市立辻小学校・清水市立第一中学校・静岡県立清水東高等学校・東京農業大学。現役時代は株式会社富士通サッカー部(後の川崎フロンターレ)でMFとしてプレー。
母校である東京農業大学からコーチの依頼を受け、次の可能性にトライしてみようと現役を引退し、富士通に勤めながら指導者としての道を歩み始めた。1993年には富士通を退社し清水エスパルスのユース監督兼ジュニアユースコーチに就任。その後サテライトコーチを経て、1999年にはスティーブ・ペリマン監督が一時帰国した際には代行監督としてナビスコ杯2回戦で指揮を執った。
2002年にはJ2ヴァンフォーレ甲府の監督に就任。3年連続最下位だったチームを7位にまで引き上げ昇格争いができるチームにまで育て上げた。その手腕が評価され、2003年には清水エスパルスの監督に就任するが成績が振るわず、2004年には川崎フロンターレのユース監督に就任した。2005年にはヴァンフォーレ甲府の監督に復帰、チームをJ1昇格に導いた。
[編集] 所属チーム
[編集] 現役時代
- 1970年-1973年 - 清水市立辻小
- 1974年-1976年 - 清水市立第一中
- 1977年-1979年 - 清水東高
- 1980年-1983年 - 東京農業大
- 1984年-1991年 - 富士通サッカー部
- 1991年8月現役引退
[編集] 指導者時代
- 1991年8月-1992年 - 東京農業大サッカー部 コーチ
- 1993年-2001年 - 清水エスパルス
- 2002年 - ヴァンフォーレ甲府 監督
- 2003年 - 清水エスパルス 監督
- 2005年- 現 在 - ヴァンフォーレ甲府 監督
[編集] 指導者としての特徴
サッカー監督としての信条は「見てくれたお客さんがもう1回見たいと思うサッカーをする」事。「サッカーはエンターテイメント」という哲学をもち、4-3-3システムを採用する攻撃的サッカーを得意としている。
これらを特徴付けたものとして、まず東京農業大学コーチ時代に指導者として教材のひとつになった、ACミランのビデオが挙げられる。猛烈な運動量でボールを奪い、時にはオフサイドトラップをする、システマティックなプレッシングサッカーを見てカルチャーショックを受けたという。また1995年には、北海道キロロリゾートでキャンプを行っていたラツィオの合宿に押しかけ同然で帯同した。その際に憧れであったズデネク・ゼーマン監督と話した経験が今の指導者としての基礎が形成された。
特にパス&ムーヴを繰り返すショートパススタイル、流動的なポジションチェンジ、チャンスの時は4,5人が一斉に前線へ駆け上がる高速カウンターなどに、ゼーマンの影響が見てとれよう。
ヴァンフォーレ甲府 - 2007 |
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1 阿部謙作 | 2 秋本倫孝 | 3 津田琢磨 | 4 山本英臣 | 5 井上雄幾 | 6 奈須伸也 | 7 石原克哉 | 8 茂原岳人 | 9 須藤大輔 | 10 藤田健 | 11 宇留野純 | 13 田森大己 | 15 増嶋竜也 | 16 アルベルト | 17 鶴見智美 | 18 長谷川太郎 | 19 池端陽介 | 20 鈴木健太郎 | 21 鶴田達也 | 22 桜井繁 | 23 山崎光太郎 | 24 大西容平 | 25 鈴木健太 | 26 保坂一成 | 27 御厨貴文 | 28 木村勝太 | 29 富岡英聖 | 30 時久省吾 | 31 林健太郎 | 32 杉山新 | 33 久野純弥 | 34 ジョジマール | 35 大島翼 | 36 寄井憲 | 37 國吉貴博 | 監督 大木武 | クラブ | |
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