大量虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大量虐殺(たいりょうぎゃくさつ)とは、人間を意図的に大量に虐殺すること。「虐殺」は国際法で規定されているが、一般報道ではきわめて曖昧に使われている。(虐殺の項参照)
一般的に、1つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する大量虐殺等の行為は、ジェノサイドと言い、その一部はジェノサイド条約において集団殺害罪(国際法違反)として規定されている。詳細は同項目を参照。
[編集] 歴史上の大量虐殺
古来、戦争・征服においては大量虐殺は付き物である。以下は歴史上注目されているもの。なお、ジェノサイドの項目と一部重複するが、同項目の分類方法とは別に、いわゆる虐殺と呼ばれている事件である。
- ユダヤ人による占領地カナンでの先住民虐殺
- 秦による長平の戦いにおける事後処理
- 項羽による新安での降伏した秦兵の虐殺
- 共和制ローマによるカルタゴ殲滅(第三次ポエニ戦争)
- ヨーロッパ、アメリカ合衆国における魔女狩り
- 十字軍によるユダヤ人、アラブ人虐殺
- モンゴル帝国によるユーラシア大陸一帯の征服(バーミヤーン等の都市等の殲滅)
- ヨーロッパ人によるアメリカ大陸先住民・オーストラリア州先住民の殲滅・圧倒
- オランダによるバタヴィアの華人虐殺
- 東欧におけるポグロム
- パラグアイにおけるブラジル軍による虐殺(三国戦争)
- トルコのアルメニア人虐殺
- ソビエト連邦におけるスターリン治世下での粛清
- 第二次世界大戦・太平洋戦争
- 二・二八事件(台湾大虐殺)
- 中国政府(清代 - 中国共産党)によるウイグル・チベット・東トルキスタンでの迫害・虐殺・民族浄化(事実関係については論争あり)
- 済州島四・三事件
- 朝鮮戦争
- 光州事件
- ベトナム戦争
- カンボジアのポル・ポト派(クメール・ルージュ)による虐殺
- イラクによるクルド人虐殺
- ユーゴスラビアにおけるユーゴスラビア紛争、特にボスニア内戦時の民族浄化
- レバノン内戦におけるサブラ・シャティーラ事件
- ルワンダ紛争における虐殺
- ダルフール紛争における集団虐殺
[編集] 注意すべき事柄
虐殺は歴史の対立点になりやすく、どの国についても記述する事自体が微妙なあるいは大きな影響の中にある。この事典もまたその影響の下に不特定多数によって書かれている事に留意せねばならない。