安芸飯室駅
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安芸飯室駅(あきいむろえき)は、広島市安佐北区安佐町飯室に存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)。
可部~安芸飯室間が開通した1936年10月13日に開設されたが、JR可部線非電化区間(可部~三段峡間、延長46.2km)の廃止に伴い、2003年12月1日に廃駅となった。
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[編集] 駅名の由来
[編集] 駅の様子
- 駅は無人駅だが、平屋建の駅舎があった。駅舎の北側に線路とプラットホームがあった。
- プラットホームは島式一面二線で、列車の交換が可能だった。廃止前には可部~加計間では唯一の列車交換可能駅になっていた。
- 駅舎とプラットホームは下り線路と平面交差の通路で結ばれ、東側からプラットホームに上がっていた。
[編集] 駅の周辺
- 駅前を国道191号が通過していた。
- 駅舎と国道191号の間には駅前広場があった。
- 国道191号のすぐ南側には太田川が流れている。
- 駅前にある長沢橋(広島市道)と駅の少し西側にある長沢大橋(広島市道)で太田川の対岸にある広島市安佐北区安佐町久地に渡ることができる。
- 駅から東に行くと広島市安佐北区役所安佐出張所(旧安佐町役場)や広島市消防局安佐北消防署安佐出張所、安佐町商工会がある。安芸飯室駅は安佐町の代表駅だったことがこのことから伺える。
[編集] 沿革
- 1936年(昭和11年)10月13日 国鉄(当時)可部線・可部~安芸飯室間が開業する。終着駅で、当時の所在地表示は広島県安佐郡飯室村であった。
- 1946年(昭和21年)8月15日 安芸飯室~布間が開通し、終着駅としての役割を布駅に明け渡す。広島市中心部への原子爆弾投下(1945年8月6日)や終戦(1945年8月15日)からまだ1年しか経っていない戦後の混乱期に開通していることから、戦争激化に伴う工事中止までにかなりのところまで完成していたものと思われる。
- 1955年(昭和30年)3月31日 飯室・小河内・久地・鈴張・日浦各村が対等合併して安佐町が成立したことに伴い、所在地表示が広島県安佐郡安佐町飯室に変更される。
- 1971年(昭和46年)5月20日 安佐町が広島市に編入されたことに伴い、所在地表示が広島市安佐町飯室に変更される。
- 1973年(昭和48年) 広島市内の駅に編入される。
- 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行したことに伴い、所在地表示が広島市安佐北区安佐町飯室に変更される。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄の分割・民営化により可部線がJR西日本の路線に移行する。
- 2003年(平成15年)12月1日 JR可部線・可部~三段峡間が廃止され、安芸飯室駅も67年の歴史に終止符を打つ。