宮路年雄
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宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。城南電機創業者。和歌山県日高郡中津村(現:日高川町)出身。
[編集] 略歴
- 1928年(昭和3年)8月20日、和歌山県日高郡で材木商を営む家の次男として生まれる。
- 和歌山県立和歌山工業学校(現・和歌山県立和歌山工業高等学校)機械科に進学。
- 1941年12月、太平洋戦争が勃発し、学徒動員で兵庫県明石市にある飛行機部品工場で一年半ほど働く。その後運輸通信省に移り機関車の整備を行う。
- 1951年、大阪で兄と共に、自動車のダイナモやバッテリーの販売・修理を行う会社「阪和電機」を設立。
- 1966年、家電品卸の「信光電機有限会社」を創業。1968年、東京都世田谷区祖師谷に、その小売部門として家電安売りの「城南電機」1号店を出店。一時は都内に6店舗を出店した。
- 1994年3月、前年の記録的な冷夏の影響で全国的に米不足となった。宮路は秋田県大潟村でヤミ米29トンを買いつけ、3月27日に杉並区の城南電機・西永福店で安売りした。当時の食糧庁は食糧管理法の無許可販売と判断し、城南電機に行政指導した。(1993年米騒動参照)
- 1998年5月9日、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。69歳。
- 宮路年雄の死後、息子が会社を継いだが売り上げは急降下し、約1ヶ月後に全店舗が閉鎖された。
[編集] エピソード
- よく「城南電機の宮路社長」と言われたが、正確には「城南電機」という名前の会社は存在しない。信光電機有限会社の小売部門の通称である。なお、建物の管理を行う「株式会社城南」という子会社があった。
- 商品の仕入れのために常に3000万~4000万円の現金をアタッシェケースに入れて持ち歩いて、自らロールス・ロイスを運転したことで知られ、何度も強盗に襲われた。1994年5月23日には本社の社長室で刃物を持った男に襲われて軽い怪我を負い150万円を奪われた。
- 襲われるたびに周囲からは「社長、危ないから止めたほうがいいですよ。死んでしまったら元も子もないんですから」と言われた。しかし戦時中に仕事で機関車に乗っている時に何度も機銃掃射を受けたことがある宮路は、著書で「今、生きているだけで儲けものなのだから、もう怖いものなどない。機銃掃射に比べたら、チンピラみたいな強盗なんか物の数ではない。」と語っている。
- ヤミ米を安売りしたことについても、著書で「5キロ6000円強で仕入れたコメを3000円で売り出すという話にマスコミは大変驚いたようだが、私なりの計算があってこの価格を決めたというわけだ。もちろん損は出る。しかし、まあ本音を言えば、この安売りで城南電機の知名度、信頼度がますます上がることを考えれば、1000万円ぐらいの損は安いものだ。」と語っている。
- 1995年、ビートたけし監督の映画『みんな~やってるか!』に電器店社長役で出演した。
- ユニークなキャラクターが人気を呼び、「浅草橋ヤング洋品店」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」など数多くのテレビ番組に出演した。
- 江頭2:50とは友達で、よく飲みに行っていた。
- パチンコ好きで知られ、それに関する著書やゲームソフト「宮路社長のパチンコファン勝利宣言」を発売していた。