小野清子
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小野 清子(おの きよこ、1936年2月4日 - )は、日本の五輪出場選手(体操)、政治家。参議院議員。元国務大臣。旧名大泉 清子。
生年月日 | 1936年2月4日 |
出身地 | 宮城県岩沼市生まれ 秋田市育ち |
最終学歴 | 東京教育大学 (現・筑波大学) |
前職 | 慶應義塾大学体育研究所 東京教育大学非常勤講師 |
役職 | 元・参議院予算委員長 |
当選回数 | 3回 |
世襲の有無 | なし |
選挙区 | 比例 |
所属党派 | 自由民主党(伊吹派) |
党の役職 | 党党紀委員会副委員長 |
会館号室 | 参・議員会館330号室 |
HPの有無 | http://www.onokiyoko.com/ |
女子 体操 | ||
銅 | 1964 | 女子 体操団体 |
幼少時、病弱だったため体操を始めた。東京教育大学(現・筑波大学)体育学部を卒業後、同郷同窓でのちに東京オリンピックの体操競技で金メダルを得る小野喬と結婚。慶應義塾大学体育研究所に勤務しながら体操の技能を磨き、ローマオリンピックに出場。東京オリンピックでは一男一女の二児の母として出場し、体操競技で団体銅メダルを得た。体操選手を引退後は文部省中央教育審議会委員など、各種審議会委員を務めてスポーツを通じた青少年教育に従事。のち、中曽根康弘首相の要請で参議院議員選挙に出馬して初当選。以来、議員活動のかたわら、日本音楽著作権協会理事長や日本オリンピック委員会理事など、スポーツ・文教関係の役職を歴任。また現在も国際養神会合気道連盟の会長を務めている。第1次小泉第2次改造内閣で国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策、食品安全担当)として閣僚入り。参議院議員3期目。二男三女あり。元参議院予算委員長。 現在、党紀委員会副委員長。
[編集] 話題
- 2003年11月: 右翼関連会社から1995年から1998年にかけて献金を受けていたことが発覚。(献金は、後に返却)
- 2004年9月: 1998年までの10年間、公設秘書として勤務実態のない女性を登録してたとの疑惑がもちあがる。
- 2006年3月: 予算委員会にて、民主党の蓮舫議員を「レンポー君」と呼ぶ。
[編集] 年譜
- 1954年 秋田県立秋田北高等学校(女子校)を卒業
- 1958年 東京教育大学(現・筑波大学)体育学部卒
- 1959年 慶應義塾大学体育研究所に勤務
- 1960年 ローマオリンピック大会で体操競技団体4位
- 1962年 世界選手権 個人総合で11位
- 1964年 東京オリンピック大会で体操競技団体銅メダルを獲得
- 1965年 東京教育大学の非常勤講師に就任
- 1986年7月 第14回参議院議員選挙で初当選(東京選挙区)
- 1992年7月 第16回参議院議員選挙で再選
- 1998年
- 第18回参議院議員選挙で落選
- 日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長に就任(後に参院選立候補のため任期途中で辞任)
- 1999年 日本オリンピック委員会理事に就任
- 2001年 第19回参議院議員選挙で当選(比例区)
- 2003年 第1次小泉第2次改造内閣で国務大臣(国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当、食品安全担当))
- 2005年 参議院にて、郵政法案に反対した中曽根弘文予算委員長の辞任を受け、後任の予算委員長となる。
- 2006年 日本女子サッカーリーグ(mocなでしこLEAGUE)名誉会長に就任。
- 2006年 党党紀委員会副委員長に就任。
- 2007年2月 自民党は7月に行われる第21回参議院議員選挙に年齢などを理由に公認候補者としないことを決定。議員引退が見込まれる。
[編集] 外部リンク
日刊スポーツ・「あのメダルは今」64年東京 体操男子団体金、女子団体銅 小野喬・清子さん
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カテゴリ: 日本の閣僚経験者 | 日本の国会議員 | 秋田県の政治家 | 日本の体操競技選手 | オリンピック体操日本代表選手 | 1936年生 | 日本のオリンピック銅メダリスト