山下佐知子
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山下 佐知子(やました さちこ、1964年8月20日- )は元女子陸上競技・マラソン選手であり、現在は指導者として活動中である。
鳥取県立鳥取東高等学校、鳥取大学教育学部を卒業。いったん教職に就くが、陸上への思いを断ちがたく1987年に京セラに入社。近年の日本女子マラソン勢の活躍の陰に隠れてはいるが、1991年の世界陸上女子マラソンで銀メダルを獲得し、また1992年のバルセロナオリンピックの女子マラソンでは、メダルにこそ届かなかったものの4位に入賞するという好成績を挙げている。反対に、その91年世界陸上で4位、バルセロナオリンピックでは銀メダルを獲得した有森裕子は山下の最大の好敵手であり、また親友でもあった。
1994年に第一生命に移り、1996年より第一生命陸上部監督を務めている。女子長距離種目では数少ない女性指導者の一人。又、毎年12月下旬の日曜日に行われる、NHKテレビ放映の全国高校女子駅伝では、TVの実況解説者としても活動している。さらに2001年より2007年までの6年間、増田明美と共に日本陸上競技連盟の理事を務めていた。
[編集] 経歴(マラソンのみ)
- 1989年03月 名古屋国際女子マラソンが初マラソン、2:34:59の4位に入り、当時の初マラソン日本最高タイ記録をマーク。
- 1989年11月 ニューヨークシティマラソンに出走するが、2時間53分台のゴールとなり唯一の失敗レースとなった。
- 1990年01月 大阪国際女子マラソンに出走、2:33:17の8位だった。同レースでは有森裕子が2:32:51の6位に入り、当時山下の持つ初マラソン日本最高記録を更新した。
- 1990年08月 北海道マラソンに出場。2:35:41の2位に入り、日本女子ではトップとなる。
- 1991年03月 世界陸上東京大会女子マラソン代表に決定。その直後に名古屋国際女子マラソンに出走し、2:31:02で初優勝を果たした。
- 1991年08月 世界陸上東京大会女子マラソン本番に出場。レース終盤まで優勝したポーランドのワンダ・パンフィルと互角に競り合い、あと一歩及ばなかったが2:29:57の自己ベストタイムで見事2位に入り、銀メダルを獲得する快挙を達成。この成績で翌年バルセロナ五輪女子マラソンの内定代表に決まった。(有森裕子も4位入賞、翌年3月に山下同様バルセロナ女子マラソン代表となる。荒木久美は12位。)
- 1992年08月 バルセロナオリンピック女子マラソン出場。レース中盤の30Km手前で、陸上女子選手として64年ぶりに五輪の銀メダルを獲得した、有森裕子のスパートについていけなかったが、終始持ち前の粘り強さを発揮し、2:36:26の4位入賞を果たした。(当初山下は5着でゴールしたが、4着でゴールした当時EUNのマディナ・ビクタギロワがドーピング違反で失格、山下は4位に繰り上がった。小鴨由水は29位。)しかしその後は故障等に悩まされ、1996年のアトランタオリンピック女子マラソン選考レースへの出場を断念。このバルセロナ五輪女子マラソンが、山下自身の現役選手として最後のレースとなった。
- 2007年2月 第1回東京マラソンへ久々にフルマラソンを出走。ゴールタイム5:08:52、女子の部2937位。(有森は現役ラストランで出場、2:52:45で女子の部5位だった)
[編集] 関連項目
- 有森裕子-同じ日本女子代表マラソン選手として最大のライバルであったが、同時に仲の良い戦友でもあった。女子マラソンでは1992年バルセロナ五輪で銀、1996年アトランタ五輪で銅と、二大会連続の五輪メダリストとなった。
- 荒木久美-山下と同じ元京セラ所属の陸上選手。年齢は山下の方が1年上だが、荒木は高校卒業後に社会人となり、京セラでは荒木の方が先輩となる。1988年ソウルオリンピックの女子マラソン代表選手であった。
[編集] 外部リンク
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