出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山岸智 |
名前 |
愛称 |
ヤマギシ |
カタカナ |
ヤマギシサトル |
ラテン文字表記 |
YAMAGISHI Satoru |
基本情報 |
国籍 |
日本 |
誕生日 |
1983年5月3日 |
出身地 |
千葉県 |
身長 |
181cm |
体重 |
77kg |
血液型 |
A型 |
選手情報 |
在籍チーム |
ジェフユナイテッド市原・千葉 |
ポジション |
MF |
背番号 |
16 |
利き足 |
右足 |
代表歴 |
キャップ |
3 |
得点/失点 |
0 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山岸智(やまぎし さとる、1983年5月3日-)は千葉県千葉市稲毛区出身のサッカー選手である。ジェフユナイテッド市原・千葉所属。ポジションは主にミッドフィルダー、両サイドウイングを受け持つ。地元出身であり、下部組織となるジュニアユース、ユースを経てトップチームに昇格している。新しい日本代表監督となったオシムのお気に入りの選手の一人であり今後の代表での活躍が期待されている。2006年10月4日、ガーナ戦で初出場を果たした。
[編集] プレースタイル
ジェフ・ユースではフォワードを務め、ユースでの最後の大会となる2001年のJユースカップでは大会得点王になったほど元々、得点力はある選手である。トップチームに入ってからは、ユーティリティー性を持たせるクラブの方針から、ボランチ、ウイングのポジションをこなせるように鍛えあげられた。
2003年シーズンの開幕戦で、行き成りスタメンで右ウイングを任せられた。最初は相手左サイドに突破を許し、先制点を献上する要因となるも、後半立ち上がりに絶妙なポジショニングで崔龍洙からのクロスを受け取ると、そのまま相手ゴールに突き刺し、この試合の逆転劇を演出した。この決定機における絶妙なポジショニングとデビュー戦で初ゴールを挙げられる運の良さは山岸の大きな武器の一つとなる。
このシーズンはシーズン終盤まで、坂本將貴と右サイドのスタメンを争う存在となり、イビチャ・オシムによる若手起用のモデルケースとなったが、2004年シーズンから2005年シーズンの中盤にかけて出番を失っていった。特に2004年8月に行われたレアル・マドリードとのフレンドリーマッチでは、試合開始早々に足をつってしまい、オシムサッカーの根本となる走る事に関して相当の疑問が呈された。(このときレアル・マドリードのグティに足を伸ばしてもらった事が後々まで語り草になった。)
2005年シーズンは昨シーズンまで左サイドを務めていた村井慎二がチームを抜けた事から、サイドをこなせる選手が少なくなり、その影響で次第に出番を増やしていった。このシーズンの終盤では中盤を分厚くして攻めると言う手法が採用され、水野晃樹と共に右サイドを受け持った。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J・J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
2002年 |
市原 |
J1 |
26 |
0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0 |
2003年 |
市原 |
J1 |
26 |
20 |
2 |
- |
3 |
0 |
0 |
0 |
2004年 |
市原 |
J1 |
16 |
12 |
4 |
- |
3 |
0 |
0 |
0 |
2005年 |
千葉 |
J1 |
16 |
30 |
2 |
- |
7 |
0 |
1 |
0 |
2006年 |
千葉 |
J1 |
16 |
34 |
6 |
- |
5 |
4 |
1 |
0 |
2007年 |
千葉 |
J1 |
16 |
|
|
- |
|
|
|
|
通算 |
96 |
14 |
- |
18 |
4 |
2 |
0 |
[編集] 経歴
[編集] タイトル
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 2003年 U-20日本代表(2003FIFAワールドユース出場)
[編集] 試合数
年度 |
試合 |
国際Aマッチ |
出場 |
得点 |
2006年 |
(19) |
3 |
0 |
通算 |
3 |
0 |