川邉忠義
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川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日- )は、かつて読売ジャイアンツや日本ハムファイターズに所属していたプロ野球選手(投手)である。1994年までの登録名は川辺 忠義(かわべ-)。
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[編集] 来歴・人物
秋田工業高校3年の1986年に夏の甲子園に出場。三回戦の佐伯鶴城高校戦で完投したが敗れた。その後、社会人野球の川崎製鉄千葉を経て、1989年のドラフト会議で巨人から2位指名され入団した。人の名前を憶えるのが苦手な長嶋茂雄監督から「ワタベくん」とブルペンで呼ばれ続けたエピソードをもつ。
1995年オフ、日本ハムの河野博文がFA権を行使して巨人と契約。その人的補償として川邉が選ばれ、川邉は一軍未出場のまま日本ハムに移籍することになった。1993年に導入されたFA制度で、人的補償による移籍第1号である。
1996年に日本ハムで一軍初登板を果たすと、5月19日のロッテ戦で初勝利。この年、先発や中継ぎとして活躍したが、翌1997年は再び一軍登板なし。オフに自由契約となり、そのまま引退した。
※余談:1989年のドラフト会議で巨人が指名した6選手(大森剛、吉岡雄二など)は、全て後に日本ハムか近鉄に移籍している。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m93cm、95kg
- 投打 右/右
- 出身地 秋田県秋田市
- 球歴・入団経緯 秋田工業高校-川崎製鉄千葉-巨人(1990年~1995年)-日本ハム(1996年~1997年)
- ドラフト年度・順位 1989年2位
[編集] 背番号
- 20(1990年~1994年)
- 59(1995年)
- 46(1996年~1997年)