市原則之
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市原 則之(いちはら のりゆき、1941年10月 - )は、広島県東広島市出身の元ハンドボール選手、元日本男子代表選手、代表監督。現日本ハンドボールリーグ機構会長。日本トップリーグ連携機構専務理事。
[編集] 経歴
広島商科大学(現・広島修道大学)卒業後、1969年、創部された湧永製薬に入社。湧永製薬ハンドボールクラブの主力選手としてハンドボールの四大タイトル(実業団選手権・国民体育大会(国体)・全日本総合・日本リーグ)優勝5回。チームが大阪から創業者・湧永満次の郷里、広島県高田郡甲田町に移った1976年からは監督、1980年からは部長として計20回の優勝をもたらした(1983年・四冠&シーズン不敗、1990年・四冠)。また日本代表選手として1962年の第1回世界選手権出場などで活躍し、1983年、全日本(日本代表)監督に就任。翌1984年、ロサンゼルスオリンピック同監督などで活躍。のち1985年から全日本実業団ハンドボール連盟理事長。またJOC(日本オリンピック委員会)に入り、1996年アトランタ、 2000年シドニー、2004年アテネオリンピック大会(アテネ対策特別委員会委員長)と連続して本部役員を務める他、JOC常務理事兼選手強化副本部長・JOCゴールドプラン委員長、日本ハンドボールリーグ機構会長を務める。また2005年には日本トップリーグ連携機構(会長森喜朗)の専務理事に就任、各リーグの連携を通じて、国際競技力向上の実務を担当する。
2006年12月、第15回アジア競技大会(カタール・ドーハ)日本選手団総監督。
[編集] 外部リンク
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