教科
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教科(きょうか)とは、組織的に編成された知識や経験などの体系のことである。教育学の立場からは、人類の文化遺産を伝えていく体系を指していう。
日本の学校教育においては、教科を科目という概念によって区分することがある。
[編集] 教科の定義の歴史
教科の本質については、明治時代から度重なる再定義が続いてきている。
1881年に小学校令を全部改正し(第2次小学校令)、尋常小学校の教科として修身、読書、作文、習字、算術、体操が基本的なものとして定められた。その後、1891年に小学校令を再び全部改正し(第3次小学校令)が定められ、教科の数は増加の一途をたどっていった。
1941年には、国民学校令が制定されてそれまでの小学校令にとって代わられたが、このときに数個の科目から教科を編成することにした。当時の編成は次の通りである。
- 国民科 (修身、国語、国史、地理)
- 理数科 (算数、理科)
- 体錬科 (体操、武道)
- 芸能科 (音楽、習字、図画、工作、裁縫、家事) - 裁縫は女子、家事は高等科の女子のみ
- 実業科 (農業、工業、商業、水産) - 高等科のみ
- 外国語その他必要なる科目
これが今日の教科科目制の原型となっていった。
1945年、第2次世界大戦に敗戦すると学校教育法が施行され、1947年に試案という形で学習指導要領が発表された。そこでは、教科は、社会の要求を考えた教育の目標に達するための多面的な内容をその性質によって分類し、それで幾つかのまとまりを作ったものと定義していた。このときは、小学校では特に科目という概念は用いられなかったが、中学校では教育体系の一部が完全に整備されなかったのですべてを教科ではなく「科目」とし、と高等学校の社会、数学、理科、実業(農業、工業、商業、水産、家庭で構成)では数個の科目で教科を構成する形が用いられた。
1951年には学習指導要領が改訂され、教科は、個人生活、家庭生活および社会生活、経済生活および職業生活などの側面を持つ一般目標の到達を分担するものであって、各方面にわたる学習経験を組織し、計画的、組織的に学習せしめるための組織であると再定義した。このとき、小学校には改正前と同様に科目は設けられず、中学校では科目を整理して教科となった。高等学校では、いずれかの教科にすべての科目が属するという形で設けられた。
これは1958年、1960年に告示された学習指導要領でも変わらなかったが、1968年~1970年に告示された学習指導要領では、中学校で一部の教科の中で分野を設け、ある種の科目のように作用している。
1989年の小学校学習指導要領の改訂で、生活科が新設された。
[編集] 教科の構成
現在、教科は、「国語」、「社会」、「算数」または「数学」、「理科」、「外国語」(英語)などで構成されている。教科の一覧については、教科の一覧を参照すること。各学校種別ごとに開設される教科の一覧は、各校種(小学校、中学校、高等学校など)の記事を参照すること。