文系と理系
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文系と理系(ぶんけい りけい)とは、学問(学習・教育・研究などを含む)に対しての日本における大まかな分類方法の1つのことである。文系とは、人間の活動を研究の対象とする学問のことであり、理系とは、自然界を研究の対象とする学問のことである。二つを合わせて文理(ぶんり)と呼ぶ。
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[編集] 概要
文系と理系の区分は、主に高等学校における履修科目のコース分けにおいて使用される。これは、学問と研究の入り口である大学において、高等学校の科目から見て文系的と考えられている学問を専攻する学部・学科等と、または理系的と考えられている学問を専攻する学部・学科等とで、異なった入学試験の科目を課すことが多い事実にも由来しているだろう。
また学問分野を分類するときにも、以上の延長で文系(ぶんけい)、理系(りけい)のどちらかに分けられる。文系とは主に、人間の行動や思考が何らかの形で関わった現象についての学問であり、理系とはそれらを含む自然科学全般を、実証的に研究する学問である。文系は、文献や思考方法など個別の対象を解釈する人文科学と、社会現象や制度を一般的もしくは実証的に解釈する社会科学とにわかれると一般的にいわれている。
しかしながら、文系と理系というのは、あくまでも高等学校のコース分けや入学試験の科目による分類に過ぎず、学問分野の分類には自然科学・人文科学・社会科学という分類を用いるべきだという考え方が、学問の歴史と現状とに鑑みて妥当であるといえる。実際に大学の学部レベルで学問の諸分野に触れると、文系・理系といった単なる二分法が、実際に研究するに当たって学問的に都合を悪くすることも少なくないだろう。また、近代学問が発祥した欧米では自然科学・人文科学・社会科学という分類が一般的である。
日本では、文系・理系という見方が高等学校の段階で厳密に区別されてしまうことが多いため、学部ごとにある特定分野の知識に偏った学生が集まってしまい、広く学問や社会を見渡すような視点を促す教育・研究活動が出来ないといった批判がある。ただし国公立大学のセンター試験ではほとんどの大学が5教科7科目を要求しているため、偏った科目だけの受験は減少しているといえる。
[編集] 学問の内容 と 文系・理系の観点
一般に、理系の学問は数学との親和性が高いため、明示的に理数系(りすうけい)とも呼ばれる。しかし無論、文系に属する経済学、マーケティングなども数学と切り離すことはできず、また、考古学に至っては放射性炭素年代測定など理化学的検査も行うため、数学や物理、化学と切り離すこともできず、福祉では当然に医療系の知識が必要となる。単に数学や化学、物理、生物との親和性だけが文系と理系を隔てるものではない。更に、理系に属する精神医学が文系に属する心理学と深く関わっているほか、本来理系に属する農学には農業経済学や産業経営学など、文系で扱われる内容が重視される学科が存在する。 さらに哲学では、歴史的に数学・物理学・化学・生物学なども扱われてきていることは事実である。ひとつの学問領域に限定されない複合的な視点は、かつてよりすでに求められてきているといえよう。現在では、文系と理系の双方の考え方を同時に扱おうとする態度は特に、文理融合(ぶんりゆうごう)などと呼ばれることが多い。また、そのような態度が要求される分野は、文理系(ぶんりけい)と呼ばれることもある。
文系と理系の区別は、学問が中心的に扱う対象や、具体的な研究方法によって決まるという考え方もある。
理系全体から医学、歯科学、薬学などの医療系の分野を除いて理工系(りこうけい)ということもあり、特に工学と文系諸学問の考え方を同時に扱おうとする態度は、文工融合(ぶんこうゆうごう)と呼ばれることもある。
研究者・学生の気質としては、理系は理詰めで厳密さを求めるが社会性には乏しく、文系はその逆という印象が一般には広まっている。同様の類型化に、理学や哲学等の基礎学系は理論や手続き重視で理屈っぽく、工学や医学等の技術系は結果重視で必ずしも厳密さを求めない、とか、経済学専攻の人間は社会性があってつきあいやすいが、理工系は堅苦しい人間の集まり、というようなものもある。学生であるか、それとも研究者であるかという条件のほか、学士・修士・博士といった最終学歴にも性格との相関もあるかもしれない。日本では理系のほうが文系に比べて修士・博士課程に進学する割合が高い(博士号取得者の8割が理系)が、欧米では文系の博士号取得者も少なくない。
ただし、これらはあくまでステレオタイプであり、個々人の性格を左右するものではない。
[編集] 同一学問系内における乖離
文系と理系は、近代以後各分野の専門知識の増大とともに乖離し、同じ文系内、理系内でも相互理解は厳しくなっている。このような現状は、最近のことではなく20世紀当初からあったと C.P.Snow は「two cultere」の中で述べている。
また、前述のように学問分野の隣接・融合も起こっており、「理系寄りの文系」、「文系寄りの理系」といった分野も存在するため、これも同一学問系内における乖離を引き起こしている。 また、次に見るように、同一学問系内でも論理を基底に据えるか経験を基底に据えるかによって立場が大きく異なる場合もある。
[編集] 形式科学と経験科学
数学と物理学はそれぞれ同じ理系に分類されるが、前者は公理と論理によって構築される形式科学(Formal Science)に属するのに対し、後者は自然現象の観察という経験を通して構築される経験科学(Empirical Science)に属する。数学は算術や天文学に端を発する経験科学という印象を持たれる場合もあるが、実際は自然界に存在し得ないものも表現しうる高度に形而上的な体系となっている。物理学は数学と密接な関係にはあるが、あくまでも自然界に存在するもの、経験に重きが置かれ、事象が説明できれば数学的に厳密な証明を要さない場合も少なくない。両者は密接な関係にありながら、相互の立場、観点は大きく異なる。
文系における哲学や論理学と社会科学や言語学においても、一方が論理と証明を基底とし、他方が経験と実証を基底とする点においては数学と物理学に似た関係が見られる。
[編集] 政界における文系と理系
日本の政党では自民党と公明党に文系出身者が多く、民主党と共産党と社民党に理系出身者が多い。また、中国共産党の執行部は理系出身者で占められている。[1]
[編集] 文系的と捉えられることが多い学問
ただし、経済学・言語学・社会学・心理学には高度な数学的・統計学的解析を伴うものも多い。また、地理学は地球科学と密接な関係を持つため、特に自然地理学や地図学は理系の学問と位置づけられることが多い。
[編集] 理系的と捉えられることが多い学問
農学、工学には経済学や地域研究、生物学・医学には哲学・倫理学、情報学には社会学など、人文社会科学的な考えを要する分野もある。