日持
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基本教義 |
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縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
日持(にちじ、建長2年(1250年) - 没年不詳)は、鎌倉時代中期から後期にかけての日蓮宗の僧。駿河国の出身。甲斐公・蓮華阿闍梨と称する。日蓮六老僧の一人。駿河国蓮永寺の開山。
初め駿河国の天台宗寺院四十九院で日興に師事して、天台教学を学んだが、のち日蓮に師事した。日蓮の没後は日興と不和となり、1288年(正応元年)日浄とともに願主となって武蔵国池上本門寺に祖師像を安置した。 その後の消息については不明であるが、一説に拠れば1295年(永仁3年)海外布教を志し、樺太の本斗郡本斗町阿幸から中国東北部に渡ったという。東北や北海道函館には、日持にまつわる伝説が残っている。 伝説によると、日持が北海道に渡ったとき、それまで見たことも無い魚が大漁に採れた。「法華の坊さん」が来たからということで、その魚を「ホッケ」と呼ぶようになったという。 また、第二次世界大戦では当時の満州において、日持の物とされる遺物が発見されたと報道された。(これについては、贋作説あり。)