日本製鋼所
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種類 | 株式会社(東証1部:5631) |
略称 | 日本製鋼、日鋼、JSW |
本社所在地 | 東京都千代田区有楽町1丁目1番2号 |
設立 | 1950年12月11日 |
業種 | 機械工業 |
事業内容 | 機械、鉄鋼、産業機械、電力機器、化学プラント、防衛機器 |
売上高 | 単体:1,456億円(2006年3月期) 連結:1,734億円(2006年3月期) |
関係する人物 | 伊藤博文、井上角五郎、山内万寿治、團琢磨 |
外部リンク | http://www.jsw.co.jp/ |
株式会社日本製鋼所(かぶしきがいしゃにほんせいこうしょ、The Japan Steel Works, Ltd.)は、鋼板、鍛造品、鋳造品、プラスチックの射出成形機、戦車や艦艇の砲を製造する日本の株式会社である。三井グループに属し、かつて戦艦大和の主砲の砲身を製造したことでも知られる。略称は日鋼(にっこう)、あるいは英語表記の頭文字をとってJSWと記される。
目次 |
[編集] 概要
登記上の本店を東京都千代田区有楽町1丁目1番2号、日比谷三井ビルに置く。本社機能は日比谷三井ビルと東京都府中市日鋼町1丁目1番地の旧自社ビル(日本製鋼所東京製作所跡地、2004年(平成16年)に売却)に分かれている。
資本金約200億円、従業員約2,000名、売上高約1,700億円を有する。東京証券取引所第一部(機械)に上場している。
株式会社日本製鋼所は、1907年(明治40年)、英国の技術を導入して国産の兵器を製造する会社として、北海道炭礦汽船株式会社、英国アームストロング・ウイットウォース会社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)、英国ビッカース会社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)の出資によって北海道室蘭市に設立されたが、企業再建整備法により第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)に解散した。
解散された旧会社の資産と人材をもとに新たに設立された株式会社日本製鋼所は、兵器の製造で培った鍛造技術、鋳造技術を活用し、発電所、化学プラントに用いられる特殊な鍛造品、鋳造品、プラスチック・マグネシウムの射出成形機や各種の産業機器を製造している。また、戦車や艦艇の火砲などの防衛兵器の製造も続けている。
製作所として、発電用タービンローターや原子力用部材、化学プラントに用いられる鉄鋼製品やブレードやタワーなど風力発電用風車を生産する室蘭、プラスチック・マグネシウムの射出成形機、戦車や艦艇の火砲などを生産する広島、レーザーアニール装置など電子機器用装置を生産する横浜がある。かつては産業用機械を生産する東京、鹿島工場のほか、軍需用機器を製造・補修していた宇都宮(後のシンガー日鋼)、赤羽作業所、および輪西工場(現新日本製鐵室蘭製鐵所)があった。
[編集] 沿革
- 1907年(明治40年)北海道炭礦汽船株式會社(北炭)と英国アームストロング・ウイットウォース會社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)、英国ビッカース会社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)の共同出資により北海道室蘭町に設立
- 1911年(明治44年)室蘭に私立楽生病院(直後に日本製鋼所職工共済会病院と改称、現日鋼記念病院)開設
- 1915年(大正4年)本社を東京へ移転
- 1918年(大正7年)室蘭工業所(現室蘭製作所)にて日本初の航空機用エンジンである室0号完成
- 1919年(大正8年)北海道製鐵株式會社(現新日本製鐵室蘭製鐵所)と合併
- 1920年(大正9年)株式會社松田製作所を買収、廣島工場(現広島製作所)とする。一部は東洋コルク工業(現マツダ)として分離独立
- 1924年(大正13年)製鉄事業を輪西製鐵組合に移管
- 1931年(昭和6年)輪西製鐵株式會社設立、製鉄・探鉱事業を分離
- 1935年(昭和10年)神奈川県金沢町に横浜工場を起工
- 1936年(昭和11年)横浜製作所竣工・操業開始
- 1938年(昭和13年)東京府北多摩郡府中町に武蔵製作所(旧東京製作所)を起工
- 1941年(昭和16年)武蔵製作所竣工・操業開始
- 1943年(昭和18年)栃木県河内郡平石村に宇都宮製作所を起工
- 1944年(昭和19年)宇都宮製作所竣工・操業開始
- 1945年(昭和20年)終戦、民需転換開始
- 1949年(昭和24年)朝鮮戦争特需のため赤羽作業所を設置
- 1949年(昭和24年)宇都宮製作所をパインミシン(シンガー日鋼)として分離
- 1949年(昭和24年)広島日鋼争議
- 1950年(昭和25年)企業再建整備法により株式会社旧日本製鋼所と改称ののち解散、あらたに株式会社日本製鋼所を設立(4製作所、1作業所体制)
- 1953年(昭和28年)日鋼赤羽争議
- 1954年(昭和29年)大規模合理化により日鋼室蘭争議勃発
- 1961年(昭和36年)赤羽作業所閉鎖
- 1975年(昭和50年)広島製作所内に機械研究所を設立
- 1976年(昭和51年)茨城県鹿島郡神栖町に鹿島工場を設置
- 1980年(昭和55年)日本製鋼所病院を医療法人社団 日鋼記念病院(現医療法人社団 カレスアライアンス)として分離・独立
- 1983年(昭和58年)横浜製作所を横浜市金沢区福浦に移転・操業開始
- 1988年(昭和61年)東京研究所を設置
- 1987年(昭和62年)東京製作所閉鎖、跡地に府中インテリジェントパークを建設開始
- 1989年(平成元年)東京研究所を移設する形で千葉県四街道市に中央研究所設置
- 1999年(平成10年)鹿島工場閉鎖
- 2001年(平成12年)千葉研究室(旧中央研究所)を横浜研究室に移転・統合
- 2003年(平成14年)風力発電用タワーを生産開始
- 2005年(平成17年)風力発電用ブレードを生産開始
- 2006年(平成18年)室蘭製作所構内に茶津風力発電所を建設、風力発電(売電)事業に参入
[編集] 英語表記
日本製鋼所の英語表記はThe Japan Steel Works, Ltd.であり、設立当初から用いられてきた。このため1970年の新日本製鐵の設立の際に新日鐵は英語名にJapan Steelを用いることができず、やむなくNippon Steel Corporationにしたという経緯がある。なお、旧日本製鐵株式會社の英語表記はJapan Iron & Steel Co., Ltd.であり、日本製鋼所と混同しない。
[編集] 株式業界での符丁
他の「日本セイコウ」という会社名(例えば日本精工)との混同を防ぐため、日本製鋼所株は株式市場関係者によって「アーム」と呼ばれることがある。これはもちろん、上記アームストロング社との資本関係に由来する。(ちなみに子会社にアーム興産という不動産会社がある)
[編集] 日本製鋼所グループ
- 日鋼機械センター
- 常陽工学
- ファインクリスタル
- J-Win
- 日鋼検査サービス
- 日鋼特機
- ニップラ
ほか各社。
[編集] 参考文献
- 『日本製鋼所社史資料 創業より50年間の歩み』(日本製鋼所、1968年)
- 『日本製鋼所社史資料 続巻』(日本製鋼所、1978年)
- 奈倉文二『兵器鉄鋼会社の日英関係史 日本製鋼所と英国側株主 1907~52』(日本経済評論社、1998年) ISBN 4818809705
[編集] 関連項目
- 国鉄7100形蒸気機関車 - かつて室蘭製作所で使用された蒸気機関車。現在は「しづか号」として復元され、小樽交通記念館に保存されている。
- 團琢磨 - 日本製鋼所5代目会長。三井財閥の最高指導者。